ネパ-ル・ロ-ルワリンヒマ-ル・カ-タン峰遠征40周年の集い・七回目
2022年11月25日午後3時から、札幌ガ-デンパレスで、40年前に初登頂した北海道カ-タン峰登山隊の集いが開催された。
今回で7回目、四回目前から40年前のネパ-ルヒマラヤ・カ-タン峰登山をアップし始めた。
前々回は、ネパ-ル政府の登山に関する規則の詳細、その内ネパ-ル政府が登山を認めている414座の全てについてアップした。
前回は、ネパ-ル政府の登山に関する規則の詳細をアップ。
今回は、1982年カ-タン峰登山隊の写真をアップする。
先々発が9月14日成田出発二名。先発は9月16日成田発6名。先発隊は隊荷物をベ-スキヤンプまで運ぶ。
後発隊は、職場の休暇が取れない隊員が9月29日、千歳発。
先発の本隊は、10月7日にBCに到着。
後発隊は10月8日に到着して、隊員全員が、ようやく顔を会わせることができた。
わたしが高山病一歩手前の高度障害
ところがである、10月11日朝にわたしが高度順応できず、歩行もあやしいほどに高度障害。それで、コック見習いのカンチャのナムゲル・シェルパに背負われて、キャラバ宿泊した下部の放牧地ルムディンカルカへ、亀海ドクタ-と下ることる。二泊三日のスティ。
わたしがBC復帰すると、もうル-トメイキングが進んでいた。
続いて、21日に木下が不調でBCから下山するが、木下はBCへ復帰ことなく、カトマンドゥへ戻ってしまった。
北東稜の稜線に新雪が積もり、ナイフリッジのル-ト工作が困難
12日、ビルディングほどのセラック帯を進んでキヤンプ1を設営。ここから岩場を突破して北東稜を進むが、ここからが大変。
23日に降り積もった、BCにも降り積もった新雪が、北東稜のナイフリッジに積もり、危険なル-ト工作が進まない。
カ-タン峰初登頂
26日、セラック帯に多く使ったスノ-バ-を掘り起こして、北東稜に使用ことにする。ル-トが伸びず、登頂できないことも考えられる。掘り起こしたスノ-バ-の代わりにしたのは、ベ-スで焚く薪(ダウラ)。
11月1日、隊長とネパ-ルの係官リエゾンオフイサ-が相談して、10月31日登頂日を延期して1次隊が登頂。
11月2日、2次隊・3次隊が登頂。わたしは3次隊、午前11時45分登頂。
ネパ-ルのロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰、初登頂った。
兵庫隊と親交
11月7日、カトマンドゥへの帰路、ルクラ飛行場には、カ-タンの隣の山キヤリオルン峰登頂した兵庫隊が居て、飛行場でソフトボ-ル試合を行う。ルクラ飛行場は、坂道で砂利道。ボ-ルを坂の下方に打ったら、即アウト、のル-ル。
このキヤリオルン兵庫隊、北東面からの登頂だったが、我々の隊が下部のカルカをキヤラバンしている時、南西側からアタックできなかった為、ネパ-ル人高所ガイド達が、宿泊装備を持参しないで北東側の偵察に来た。一晩我々のテントに入れて、食事を出してあげた。
カ-タン峰 6853m 北東稜
岩場の登攀
登山隊の隊荷物に集まるポ-タ-たち
大人や子供や女性のポ-タ-が、軽い荷物を探して
男女入り混じったポ-タ-たち
ロングスカ-トに前掛けの女性のポ-タ-をシェルパニと呼ぶ
ベ-スキャンプ直前の急な岩場のキャラバン
キャラバン中とベ-スキャンプで調理するコックは、キッチンセットを背負う
カ-タンC2からエベレストとロ-ツエ
ルクラ飛行場
BCからセラック帯を登攀
カ-タン峰初登頂
カ-タン峰報告書