koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ノンフイクション映画「極限の人」

映画「極限の人」人生クライマ-・山野井泰史と垂直の世界、を見てきた

 単独・無酸素でヒマラヤ登攀を挑み続ける、山野井泰史さんを画いた映画。

 映画の内容と感想は、観る各々で違うのだから、書かないことにする。ただ、全体から感じたことは、登山の危険に重きを置いて、登山の楽しさが少なかった。少し残念。

 山野井泰史さんの、登山人生を画いた全部で、その中にわたしが一緒に食事などした人が3人でてきた。まず山野井泰史さんご本人。そして、奥さんの妙子さん。三人目は山野井さんがお付き合いのあった一村文隆さん。

 わたしは、2007年からネパ-ルに借家を借りて生活している。最初の2年6ケ月は、ネパ-ルの首都カトマンドゥの比較的治安の良いラジンパット街にフラットを借りて。普通ネパ-ルに滞在できる期間は、1月1日~12月31日間に4ケ月と決められ、特別な事情ある場合5ケ月間なのだ。それて、あとの7ケ月間は空き家になるので、カトマンドゥでエ-ジエント業の社長に合鍵を預けてあった。

 エ-ジエントの話では、ネパ-ルヒマラヤの北壁登攀などで来ネの日本隊若者の内、約半数がわたしの借りていたフラットに寝泊りして生活していた、とのこと。

 映画に出てきた私と食事したりした3人は、皆さんがわたしの借りていたフラットをカトマンドゥのベ-スキヤンプとして利用していた。

ネパ-ルで借家を探すのは大変

 ネパ-ルでは一軒家を借りて住む時は、お手伝いさんなどを雇用しなければならず、気に喰わないからと解雇は簡単にはできない、などやさしくはない、のだ。外人の不動産所有は、法律で禁止されている。それで、わたしは約一週間毎日借家探しをして、ようやくネパ-ル人の雇用が要らないフラットを見つけた。多くのフラットは、一週間毎日大掃除をしなければ生活できるほどに綺麗にならない物件ばかり。ただ一軒だけ、掃除のいらないフラットが見つかり、バストイレ四畳部屋二部屋とベットル-ム二部屋、それとキッチン・ダイニング・リビングの続き大部屋。

 家具付きフラットだったが、それに加えて、家具製造販売店にベット二つとソファ二台、高さ35cmのテ-プルを特注して入れ、板張りのリビングを絨毯敷きにして、ホテルでいうと4つ星位のフラットになった。ので、わたしにとっては札幌に住んでいるのと同じ、自炊もできて快適生活のネパ-ル暮らしになった。

わたしのフラットで生活していた3名・山野井さんの映画に出てきた3人

 山野井泰史映画に出てきて、私のカトマンドゥ・フラットに泊った、一村さんとわたしの出逢いまでは色々とあって、話が長くなるが。最初の人は一村文隆さん。

 まず最初は、山岳雑誌「岳人」2007年2月号に遡る。岳人誌の中に「山野井泰史のデジカメ日記」のペ-ジがあって、この号には「パリラプチャ峰に登れず」の記事。    その記事に付いていた写真はネパ-ルヒマラヤのパリラプチヤ峰m北壁6017mの写真。その写真の撮影者が、札幌登攀倶楽部の中川博之さん。

 山野井泰史さんが登れなかったパリラプチヤ北壁を、一年後の2007年ポストモンス-ン季節に、中川博之さんと一村文隆さんが完登する。その登る前と登攀後のカトマンドゥで、わたしの借りていたフラット暮らしをしていた。中川さんの奥さんも一緒だった。

 わたしが同年11月末に渡ネして、フラットに着いたら3人が住んでいた。無事に登攀していたので、こじんまりと日本食レストランで登頂祝い。アメリカの大学卒業し、帰国途中でカトマンドゥに寄った、プロ級のギダ-演奏の上平さんと、幼少期にピアノ演奏した中川さんの縦笛の演奏となる、楽しいひと時だった。

 一村文隆さん、私が2018年にカトマンドゥ暮らしをしていた10月、ネパ-ル・マカル―山群のチャムラン峰7319mの北壁単独登攀に来ていた。カトマンドゥで他のチャムラン登山の2人とは少し話をしたのだが。一村さんは下山ル-トの偵察で滑落事故死してしまった。

 ちなみに、一村さんは世界的優秀なクライミングの賞、フランスのピオレ・ド-ル(金のピッケル賞)を受賞してる。2008年のカランカ北壁6931mと2009年タウチェ北壁6542mの二回。

あとの二人は、映画の主人公山野井泰史さんと奥さんの妙子さん。

 わたし夫婦とエ-ジエント夫婦、そして山野井さん夫婦が食事をしながら山野井さんの話。2009年10月、ネパ-ルヒマラヤ・カルジャン峰7200mに山野井さん単独でアタック。6300mを最高地点で上部に懸垂氷河のため降下し登攀終了。それまでのヒマラヤ登山は、敗退後は悔しさが残っていたが、この時は不思議となんとも思わなかったそうで。登路の上部にハングの氷塊が出てきたのを見て、直ぐに下山を決めた、と。話が続き、ネパ-ルに来る前に、東京の奥多摩で熊と格闘して鼻をケガして、鼻呼吸できなかったのが、手術で鼻の穴が開通して良くなったことなど語ってくれ、楽しいひと時を過ごす。

 山野井さんの奥さん、妙子さんは、わたしが1991年ネパ-ルのアンナプルナヒマ⋯ル・アンナプルナ1峰8091m登攀時、ベ-スキャンプに居た時だった。ラジオの短波放送で、エベレストの東方にあるマカル-峰8463mで遭難の報。妙子さんはまだ泰史さんと結婚前で、長尾妙子さんのラジオ遭難報は、他の男性隊員と二人でマカル-登頂。下山時に風雪に見舞われて8千m以上の高度で2日間ビバ-ク。男性は死亡し、妙子さんは凍傷で手の指を第二関節から先の10本全部と、足の指8本切断。この映画の中で妙子さんは、亡くなった男性が登頂を喜んでいた、と様子を語り、毎年男性の墓参する様子を映していた。

映画「極限の人」

 

岳人 2007年2月号

中川博之さん撮影・山野井さんとパリラプチヤ北壁

2007年12月4日 カトマンドゥ レストラン「華」

わたしの借りていたフラットで地図を見る中川・一村

上平さんのギタ-・中川さんの縦笛

 2009年10月、ネパ-ルヒマラヤ・カルジャン峰7200mに単独でアタック、6300mを最高地点で、上部に懸垂氷河のため下降、その後カトマンドゥのエ-ジエント社長宅で

カトマンドウ市内レストラン

モンベルカトマンドゥ店前で