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第50回北海道登山研究集会の開催 その3回目

50回目の北海道登山研究集会が開催される その3回目

 前回は、2021年11月13日14日に開催される北海道登山研究集会の論文報告集、について触れてみた。

今回は、この第50回目の北海道登山研究集会の論文報告集の、わたしが書き綴ったものについてアップしてみる。

 今年の6月だったか、北海道勤労者山岳連盟の理事長さんからメ-ル。北海道登山研究集会の論文報告集編集中で、「北海道登山研究集会の50年」の標題での原稿依頼だった。

 さて、原稿を引き受けたは良いのだが、「50年」なのだ。原稿締め切りまで3ケ月。50年分の資料に目を通し、記録の整理をして、尚且つわたしのコメントを入れると、依頼されたペ-ジ数のA4で4~5ペ-ジになるはずはない。

 ま、とにかく50年分の資料の整理と読み合わせをしなければ。わたしの所には、登山と山岳団体の記録を書き綴った物が、本棚の四分の一を占めて、生モノならとうの昔に腐るくらいの保管期間だ。

 北海道登山研究集会に関するもの全て。まず、北海道勤労者山岳連盟や北海道道央地区勤労者山岳連盟の定期総会関係や連盟発行物の「連盟だより」など、の書物。そして、北海道登山研究集会開催つどに発行される資料集や論文報告集。これらを本棚のある部屋の床に並べた。山になるほど量。わたしの家の本棚のある部屋は、家を建築した34年前に、建築会社へ本棚を作るので床の強度を強く作ってもらい、わたしが四畳半ほどの一面前面に本棚を作成した。

 50年分の資料をあたって、原稿完成が9月になった。

 「北海道登山研究集会の50年と共に登る」と「北海道登山研究集会・記念講演会と分科会など開催内容50年の歴史」は今回と次回に分けてこのブログにアップする。

 そして、この二つの原稿を書く過程で、他の項目にも目が行く。定期総会議案書や連盟だよりには、山岳連盟主催の色々な行事や事業などが詳細に綴られていた。それが、ついつい書き綴ったのが他に4項目になった。この4項目、機会があったら私のブログに後々アップしたい。

その⒈ 北海道道央地区勤労者山岳連盟の日高中央横断等路建設反対の活動・日高中           央横断道路建設反対運動の歴史 北海道の貴重な山岳自然を守った登山者たち・日高山脈襟裳国立公園指定の結実

その2 北海道道央地区勤労者山岳連盟の北海道雪崩講習会

その3 北海道道央地区勤労者山岳連盟の近郊の山一斉清掃登山・クリ-ンハイク

その4北海道勤労者山岳連盟 会員の死亡遭難事故 

 

「北海道登山研究集会の50年と共に登る」

 第1回目の北海道登山研究集会が開催されたのは、50年前の1972年12月でした。その頃わたしは札幌勤労者山岳会の会員でしたので、当時の資料があってもよいのですが、残念ながらわたしの所にある北海道登山研究集会(以後は道登研と云う)に関わる資料は、第4回道登研から。そもそも最初は、事前に資料を作成しなかったかも。

 資料集としては、第20回まではコピ-や印刷ものをホチキス留めしたもので、第21回からはきちんと冊子としてまとめられている。現在公の機関などで大量に格安でプリントできるが、50年前は自前で印刷できない社会だった。印刷会社へ外注しなかったことは、行事開催の予算との関係で理解できる。現在でも、相当の費用が掛かる行事なのに道登研の参加費は取っていない。

 もう半世紀前のことを調査するのは簡単ではない。わたしの所蔵する昔の資料は、幸いにも主催者の定期総会議案書と行事の開催ごとに発行される「連盟だより」などがある。この連盟だより、毎月発行されていたり、年に6回のときもある。これらの資料のおかげで、道登研に関する詳細な内容が手元にある。

 

北海道登山研究集会の位置づけ

 わたしの所属する札幌ピオレ山の会では、道登研開催日の登山はできず、全道の組織内外の山仲間との交流・研究活動が登山そのものと同列の位置づけと云えるだろう。

 現在札幌市内で開催されている道登研は、全道の労山会員が普段の活動を持ち寄って、それを基に話し合い討論し、その内容を参加者が共有する。それを参加者は、地元に持ち帰って自分自身の登山や、連盟活動と山岳会・クラブの活動に生かすことになる。

 全道から持ち寄る議題と、当日話し合う議題は、どのように決められたのでしよう。わたし達の山岳会やクラブは、日本勤労者山岳連盟に加盟して登山活動を行っている。その全国連盟には規約の他に組織の灯台とも云える趣意書がある。現在の趣意書は1978年に改訂されたもの。

 日本勤労者山岳連盟趣意書には、前文と5項目の内容、そして最後に組織末端の山岳会やクラブに加入しようとする一人ひとりの登山愛好者への呼び掛け文で構成されている。その内容を簡単に触れると、1「権利としての登山」、2「登山の多様な発展」、3「海外登山の普及」、4「遭難事故の防止」、5「自然を守る」、終わりの文「われわれはこうした認識と立場に立って、登山の創造的発展のために運動をすすめている。そしていま登山の新しい発展のため、心をひとつにして尽力しようと、広く登山を愛好する人々に呼びかけるものである。」

 1978年から今日まで変更することなく続くこの5項目は、今回簡単ではあるが道登研の詳細をまとめるにあたって、本当に道登研内容と合致しているのか、わたしなりに照合しながら作業を進めた。北海道の勤労者山岳会とその会員の行ってきた登山と組織運営が、灯台の360度照らす光に合致していたのか、この文書を読むあなたが判断してほしい、とわたしは考えている。

 それでは、この全道の連盟組織内の労山会員と、組織の枠を外した多くの会員外登山愛好者達にも、日常の登山活動と並行して行う登山全般の研究活動は、いったい何がどうだったのだろうか。今回途切れることなく続き開催50回目を迎える今回、過去の道登研活動を顧みることとする。

開催初期からの道登研実行委員会運営の困難と、逆に継続開催の成果

 開催2年目の反省が1973年3月開催の北海道勤労者山岳連盟第4回定期総会に掲載されている。また、北海道道央地区勤労者山岳連盟の定期総会では、主管する教育部の総括にその後も必ず記載されているが、1980年3月開催の第3回定期総会記載の第8回についても、ここで触れておく。

 現在の道登研は、労山会員以外も含めた多くの登山愛好者が多盛に参加してる。しかし、開催初期にはその準備から組織内への開催内容の周知など、手際の悪さもあり困難な様子が窺われた。

 開催20回前後に、開催内容の質実の変化がある。道央地区勤労者山岳連盟の定期総会議案には、反省が多くみられる第20回以前だが、この頃から開催主管する地区連盟教育部の開催総括には、北海道内唯一の登山を科学的に研究する集まり、との自覚で、それなりの開催内容の充実さが見て取れるので、第26回取り組み活動の総括にも触れる。

 第26回目の総括から、次回第27回の開催実行委員会に変化が見られる。主管する道央地区連盟教育部から複数実行委員に加えて、遭難対策部と海外委員会・自然保護委員会から担当理事が実行委員に加わることになつた。

 この第26回の地区連盟教育部反省点は、連盟加盟団体から選出する実行委員が、単年度一回だけで次の年には入れ替わること。一人の人が複数年継続任務にしてほしい、旨を反省点に挙げている。この継続行事開催についての企画や準備・実行する開催実行委員会側の、各会・クラブ選出の人選問題は、第26回から四半世紀経つ今日までの重要な課題である。準備期間の約6ケ月間で、新人の実行委員に開催趣旨から細部の諸係の仕事まで、全てを納得してもらう説明・教育を施すが、やはり半人前の委員のままで退任する。これを毎年行う大変さが、分かっていながら解決に程遠い現実が続いている。

 わたしは道央地区連盟の発足後に、理事長を9年間務めた。道登研開催実行委員たちの苦労が身に染みている。開催を始めて50年積み重ねた最近の道登研を観ていると、わたし達が次の登山を企画・計画するわくわく感と同様な、素晴らしい道登研の企画・実行する実行委員皆さんの心意気が感じられる。

北海道勤労者山岳連盟第4回定期総会の記述

 第2回登研の反省として。登山研究集会の今後の充実、発展は重要である。しかし、現在登研は、取り組み体制のまずさと共に、各単位労山における研究集会の位置づけ、意義づけが徹底していない。いい換えれば登研の必要性を切実なものとして持っていないという実情かある。

 期間と取り組み体制の問題もあろうが論文の提出はおろか、レジメすら出来ない状況は克服する必要がある。

北海道道央地区勤労者山岳連盟第3回定期総会の記述

 北海道ブロック協議会主催による第8回道登研は道央地区連盟の企画運営により、11月17、18日の両日北海道青年会館において68名の参加により開催された。17日は国府谷盛明氏の講演と交流会を行い、18日は3分科会「労山運動について」「女性と登山について」「遭難対策について」と全体集会が行われた。分科会については従来と進め方を若干変えるなど工夫したが、全体としては文字通り研究集会と言えるまでに至っていないのが実情である。

 参加者が前回の96名から大幅に減少、加盟各会への事前呼びかけや、集会内容の充実をはかっていくことが必要である。

道道央地区勤労者山岳連盟第22回定期総会の記述

  今年の第26回登山研究集会は、昨年にひきつづき「登山を科学する」というところに重きをおき、真に登山を研究する場とすることをめざした。本登山研究集会が北海道での唯一の総合的な登山研究の集会であることを自覚し、労山外の団体・登山愛好者にも広く参加をよびかけた。                           

これまでの成果を基礎に、今後いっそうの内容・組織の両面での発展、より質の高い研究集会となることが期待される。そのためには、単年度ごとに実行委員会の大半が入れ替わるのではなく、構成を一定の継続性、連続性をもつたものにすること。あるいは各分科会の助言者、司会者を複数年度同一者で行う、研究レポ-トの作製を会単位での取り組みとしてお願いするなども考えられる。また、実行委員会が主体となって取り組むが、同時に各分科会に対応する連盟理事会各担当部門の日常の系統的な取り組みの強化も必要であろう。

    この頃の道登研は北海道ブロック協議会主催だが、ここで北海道労山の連盟形態の変革と、他の主催行事などを少し説明する。

 北海道の勤労者山岳会の組織は、道央地区・道東地区・道北地区の3地区連盟で運営されている。3地区を統括する意味の北海道ブロック協議会の形態だった。日本勤労者山岳連盟に加盟する体制は3地区連盟が直接に加入となっていた。

◎ 1971年昭和46年に北海道勤労者山岳連盟結成。

◎ 1978年から1979年にかけて3地区連盟結成され、道連盟が北海道ブロック協議会に組織変更。

◎ 1989年1月、東京都と北海道が全国連盟加入の形態をとることとなり、全国組織再編に合わせて再度北海道連盟が結成された。3地区連盟が道連盟に加盟の現在と同じ組織形態となった。

 

 1989年この年第18回道登研開催時に、全国でも開催してた第11回全国登山研究集会として札幌市内北海道青少年会館を借り切って開催されている。この時は、全国18都道府県40山岳会・クラブ197名が参加した。

 ちなみに、勤労者山岳会の北海道全体活動行事は、この道登研と北海道組織学校の二行事に加えて、一般の登山愛好者にも参加を呼び掛ける全道登山祭典が毎年開催されていた。北海道組織学校は、1974年度のこの道登研第3回から分離して初回を開催。北海道組織学校は、会員拡大や山岳会やクラブの組織運営についての活動交流が主な開催内容で、道登研と合わせて登山活動全般と会・クラブ活動の両方全てを網羅させようとしていた。北海道組織学校は、第18回目の1991年に全道登山者交流集会に名称変更される。

北海道登山研究集会の成果は今日の一人ひとりの登山愛好者の登山そのもの

 わたしが道登研の過去を振り返って、その歴史の1ペ-ジづつを資料としてまとめた目的は、他方、この原稿の標題を「北海道登山研究集会の50年と共に登る」にしたのは、記念講演や分科会に参加した多くの登山愛好者が、山の先輩の話に耳を傾け見聞きし、そうして分科会に参加して課題を討論、これらの身に着けた全体の成果が、一人ひとりの現在の登山になっているから、と考えてのこと。

 山岳団体の果たす役割は何でしよう。それは明確で「登山の普及と発展」にあると云えるでしよう。道登研の記念講演の選定や分科会の項目こそがそれで、弛まなくその役割を追求した50年と云える。

 遭難対策や海外登山・自然保護の分野では、現実に数多くの成果となっている。北海道雪崩講習会が第26回継続開催され、数々のヒマラヤの8千m峰登頂につなげたし、知床の山岳自然林保護活動が、林野庁の森林生態系保護地域制度を新設し知床の世界自然遺産登録につなかった。そして、今年中に永い道路建設反対運動が結実しての日高山脈国立公園指定の成果となる。

 そして、なによりもあなたの日々の日常の「登山」になっていることが大切。

北海道登山研究集会内容

 今日の北海道登山研究集会は、北海道勤労者山岳連盟が主催し、その行事内容を主管するのは北海道道央地区勤労者山岳連盟。実際に行事を執行するのは1982年第11回から道央地区連盟教育部。2017年度から連盟理事会の教育部が登山文化委員会に名称組織変更され第46回から登山文化委員会が実施。専門部担当理事は、加盟各会の都合によって選出されるが、他の海外や自然保護委員会と同様な委員会の委員複数年固定化で、実行委員会の人員固定化につながるのかどうか、今後の行方が注目される。

 この道登研は札幌市と北海道(北海道教育委員会)から、市民の文化スポ-ツ活動として名儀後援されている。

道登研は土曜日夕方からと日曜日の二日間の日程で、土曜日に記念講演と終了後の講演者との懇親会。日曜日は朝から夕方までの4分科会(5分科会もある)に分かれての課題の話し合い・討論。終了後には4分科会参加者が一堂に全体集会を開催。別会場には山の写真展が2007年第36回から開催されている。

 参加者全員に資料集が事前配布され、労山会員には参加されない希望者にも無料配布。分科会に参加されない会員外には有料販売する。

 なお記念講演については、道登研32回に北海道勤労者山岳会創立40周年記念として山野井泰史さん、42回に創立50周年記念講演会として服部文祥さんを招き、大会場での講演となった。これら周年行事時には、後援団体としてマスコミや登山運動具店など多数が加わっている。

 著名人を招いた講演会は、第16回の1987年11月に山岳写真家の白籏史郎さん講演で、475名(チケット販売611枚)参加がある。

2003年11月8日土曜日 第32回北海道登山研究集会 北海道勤労者山岳会創立40周年記念 山野井泰史 「挑戦への軌跡」

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第19回北海道登山研究集会 資料集 1990年11月10日11日

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第23回北海道登山研究集会 資料集 1994年11月12日13日

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第29回北海道登山研究集会 論文報告集 この回からA4版 2000年11月11日12日

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第36回北海道登山研究集会 論文報告集アルキバ この回から6回発行 2007年11月10日11日

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第50回北海道登山研究集会 論文報告集 2021年11月13日14日

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