ネパ-ルからエリザベス・ホ-リ-さんが亡くなられた知らせが届く
ネパ-ルからの訃報のお知らせは以下の通り
「1960年以来ネパールにジャーナリストとして住み多くの登山者の慕われたホーリーさんが、1月26日94歳の高齢で病死された。」
ホ-リ-さん自身がネパ-ルヒマラヤのデ-タ-ベ-ス
ネパ-ルヒマラヤの生き字引エリザベス・ホ-り-さんは、元ロンドン・タイムス社の記者。
1960年からネパ-ルの首都カトマンドゥに在住で、現在までネパ-ルヒマラヤの登山記録を収集し、発信し続けていた。世界各国の山岳雑誌編集者は、長きにわたって正確無比なホ-リ-さんの情報を記事にしていた。
ネパ-ルヒマラヤ6,500m以上の登山隊の登山者には、必ず面談して登頂の可否を聞き、登山状況の確認をしていた。ホ-リ-さんが、どの様にして登山隊の下山を知るのか。登山隊下山と同時に宿泊ホテルに電話が来る。そして、いつ会えますか、と直ぐにやって来る。
ホ-リ-さんの情報収集は抜かりがない。登頂者への情報の尋ね方は巧妙にして適格。例えば「頂上手前にある○○○から頂上はどの様に見えましたか」「頂上にある人間大の○○○岩に雪がのっていましたか」など。登頂したと主張する登山者が「○○○が有って、どうのこうの」と答える。
ホ-リ-さんは、サンキユ-、と云ってお帰りになる。別れ際に決して、「あなたは嘘つきで登頂していない」とは云わない。だが、ホ-リ-さんのネパ-ルヒマラヤ登山記録には、未踏で退敗、と記入され、○○○登山隊○○○峰登頂できず、と全世界に発信されるのだ。
ネパ-ル政府は、ホ-リ-さんの業績を讃え、ダウラギリヒマ-ルの6,128m峰にホ-リ-・ピ-クと命名した。
日本のネパ-ルヒマラヤ登山者は、ホ-リ-さんにお世話になった方々が多く居るだろう。
遠く札幌の地から、エリザベス・ホ-リ-さんのご冥福をお祈りする。
2009年10月 カトマンドゥでエリザベス・ホ-リ-さんと
2009年アマダムラム峰登山隊隊員と
1991年 アンナプルナⅠ峰8,091m北海道登山隊隊長とホテル屋上
若かりしホ-リ-さん