koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第116回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十六目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第24回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 七回目
カリガンダキ川沿いのカロパニ村のスゥイ・ユ-・ロッジSEE YOU LODGとアンナプルナ1峰8,091m


 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も24回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地ムスタン郡の大河カリガンダキ川の村々の商売バザ-ル。
 今回は、前々回のベニ村から、トレッキングでカリガンダキ川を下りながら、自動車道路を離れて川の対岸につり橋を渡り、旧街道を一日歩くと、カロパニ村。
 このカロパニ村、カリガンダキ川左岸を歩き、つり橋を渡って右岸に辿り着くと直ぐ。つり橋を渡りきると、左前方に頂陵部分を真っ白な氷河に覆われた、8千m峰のアンナプルナⅠ峰を仰ぎ見ることができる。カロパニ村にはSEE YOU LODGと新築建築中のロッジあり。
 自動車道路があるのだが、徒歩のトレッキングでは、丁度前日のベニ村と川を下って一日行程のタトパニ村の中間点にカロパニ村がある。村といっても数件のロッジや民家があるだけなのだが。
アンナプルナⅠ峰Annapurna・8,091mのベ-スキャンプを襲う大雪崩
 アンナプルナⅠ峰は、わたしが1991年ポストモンス-ン季節にアタックした山。北海道隊がベ-スキヤンプからアドバンス・ベ-スキヤンプ移動し、C1目指している時だった。頂上に至るル-ト上のC2上部の登攀中の韓国隊が雪崩に遭遇。4名が行方不明。
 次いで、わたし達の隊も、C2からC3設営中に、下部のC1から荷揚げ隊3名が、鎌氷河からの懸垂氷河崩落雪崩に遭遇。3名が雪崩走路外へ走って逃げるが、一名が流される。完全にデブリに埋没するが、2名の声掛けコ-ル捜索で、雪中の埋没者が声を発し埋没地点判明し、掘り出して生存確認。
 雪崩死亡事故寸前で回避した。
 わたし達の登山隊は、事前に登攀中の危険があれば、登山中止して下山を確認していたので、ここで全ての登山活動を終了。
 しかし、まだ私たちへの危険が続いた。
 登山活動を終えて、ベ-スキヤンプへ集結した次の日の午前中だった。ベ-スキヤンプから北方向を見上げると、右側にアンナプルナⅠ峰の頂上。その左側のアンナプルナ北氷河の流れ下るその左上側の、ティリチョ・ピ-クTilicho Peak7,134m頂上直下に張り出していた懸垂氷河がグラ-っと傾くと、ほとんど垂直の壁を真っ逆さまに落下。
 この懸垂氷河雪崩は、急峻なティリチョ・ピ-クを落下する過程で、青氷が砕かれて猛吹雪で我々のベ-スキャンプを襲った。
 標高差約2,500mを落下する雪崩の速度は時速200kmを超えた。
 ベ-スキヤンプでのんびりと日向ごっこ中の隊員は、「ナダレダ-逃げろ-」の声に一目散。50mほど下部の岩場へ。岩の裏側に居る隊員たちの横を猛スピ-ドで、大雪崩が駆け抜けて行った。
 200km超えのスピ-ドが氷河からベ-スキャンプでスピ-トが落ちたといえ、テントのポ-ル3張がペチヤンコ破壊。テントの外に干してあった寝袋が一つ、宙に舞って行方不明。
 この雪崩を八ミリカメラで、寸殿の所まで撮影した隊員がいた。
ネパ-ル登山規則の変更
 1990年ころまでは、ネパ-ル・ヒマラヤの登山は、一シ-ズン・一山・一ル-ト・一隊の原則があった。ネパ-ルの登山規則で、わたし達がネパ-ル政府観光省登山局に登山申請したのは、1991年の3年前。その時はこの原則通りで、北海道隊の一隊だけがベ-スキャンプ入りの許可だったのが、1990年からダブルブッキングOK。わたし達がベ-ス入りした時は、他に韓国隊やスペイン隊など数隊が、一緒に登ることとなった。
アンナプルナⅠ峰Annapurna・8,091m
 アンナプルナⅠ峰は、世界の8千m峰14座の内10番目に高い。アンナプルナはサンスクリツト語で「豊穣の女神」の意味。
 アンナプルナ・ヒマ-ルは、ネパ-ルの北側のチベット国境に近いほぼ中央に位置し、東西50kmの山域。その山域には、第1峰から第2峰(7,937m)、第3峰(7,555m)、第4峰(7,525m)などの他にアンナプルナ・サウス南峰(7,219m)やマチャプチャレ峰(6,993m)・フアング峰(7,647m)・など十数座がある。
 ネパ-ルが130年間の鎖国を解いて開国した直後の、1950年6月3日、フランス隊モ-リス・エルゾ-グ隊長らが北面を初登頂。これは世界14座の8千m峰の最初の登頂でもあった。この登頂は無酸素登頂の快挙でもあった。
 モ-リス・エルゾ-グ隊長とラシュナルの二名も、下山中に鎌地形の氷河からの雪崩に遭う。モ-リス・エルゾ-グ隊長が両手の凍傷で、シェルパ達に担がれての下山キャラバンとなった。
冬季アンナプルナⅠ峰南壁登頂・群馬県山岳連盟隊
 アンナプルナⅠ峰南壁の初登頂は、1970年春にイギリス隊が初登頂。
 冬季に群馬県山岳連盟隊は、1984年~85年にアタックするが退敗。再度1987年~88年の冬期間に4名登頂。
 12月20日15時17分登頂。16時に登頂後の下山下降直後、比較的傾斜の緩い斜面で1人滑落。そして、19時過ぎの暗い中C4直前で1人滑落。「20時03分、アレッという声だけを残して転落してしまう。アイゼンが岩にこすれ、赤い火花が暗闇に散る。」2名の登頂隊員が滑落死してしまつた。
 冬季南壁初登頂の栄冠に下山中の二名滑落死亡事故。第二次アタック隊は中止。
参考資料 憧憬の白き壁・冬期フンナプルナⅠ峰南壁・群馬県山岳連盟

f:id:koyaken4852:20200526133722j:plain

f:id:koyaken4852:20200526133609j:plainカロパニ村近くのつり橋が地下ずくと道路標識が

f:id:koyaken4852:20200526133741j:plain

 

f:id:koyaken4852:20200526133755j:plain

f:id:koyaken4852:20200526133827j:plain

f:id:koyaken4852:20200526133842j:plain

f:id:koyaken4852:20200526133857j:plain

カロパニ村のSEE YOU LODG

f:id:koyaken4852:20200526133937j:plain

f:id:koyaken4852:20200526133945j:plain

f:id:koyaken4852:20200526133959j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134016j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134034j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134050j:plain

カロパニ村からアンナプルナⅠ峰と右のファング峰

f:id:koyaken4852:20200526134150j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134203j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134214j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134258j:plain

朝日輝くアンナプルナⅠ峰

f:id:koyaken4852:20200526134329j:plain

アンナプルナ1峰北面
頂上下部の氷と岩の模様
鎌の形をしたその上下の鎌氷河

f:id:koyaken4852:20200526134438j:plain

雪崩の様子

f:id:koyaken4852:20200526134509j:plain

f:id:koyaken4852:20200526134539j:plainニルギリ南峰6,839mのトロブギン峠からアンナプルナⅠ峰

f:id:koyaken4852:20200526134635j:plain

北海道隊

f:id:koyaken4852:20200526134702j:plain

北海道隊ベ-スキヤンプを襲う懸垂氷河雪崩

f:id:koyaken4852:20200526134740j:plain

アンナプルナⅠ峰ベ-スキャンプにある死亡事故の墓標

f:id:koyaken4852:20200526134820j:plain