ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第九十四回
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第2回
ポカラのバザ-ル 二回目
ポカラ・レ-クサイド地帯のバザ-ル
前回は、ポカラ市内のバザ-ル写真を見た。
今回はポカラのバザ-ル写真二回目。
ポカラにはフェワ湖Phewa Tal と呼ぶ大きな湖がある。この湖の湖畔一帯が外人街の機能を持つ地域になっている。
1970年代、1974年にカトマンドゥ――ポカラ間に自動車道路が開通すると、世界中のヒッピ-がカトマンドゥに集結していたのが、ポカラへ移動。この時代から、フェワ湖周辺が外人街として今日に至っている。湖畔一帯2km近くが、ホテルやレストラン・お土産屋が犇めく。
カトマンドゥ――ポカラ間に自動車道路の開通
カトマンドゥ――ポカラ間に自動車道路が開通した1974年、最初にこの道路を利用した日本人は、ダウラギリⅠ峰8167m登山隊の東京都山岳連盟隊。丁度登山終了して帰路キャラバンしてポカラ着、道路が完成していたため、往路はカトマンドゥからs-徒歩キャラバンして来た道を、復路は自動車で帰れることになった。
1950年、ネパ-ルが130年間の鎖国を解いて開国した当時、ネパ-ルには道路を走る自動車がなく、当然自動車道路がなかった。スイス人のトニ-・ハ-ゲンは、1950年にネパ-ル調査のためカトマンドゥに滞在。アンナプルナ方面調査にポカラまで10日間を要している。カトマンドゥ出発時は馬に乗って出かけたが、ポカラへ向かう途中、カリガンダキ川の渡渉に馬が使えず、徒歩の旅となった。
国際連合の援助で、ネパ-ルの開発が始まる。第一次5ケ年計画は1956年~1961年で208億円の予算。内135億円が開発予算。カトマンドウ~ポカラ間の道路建設の最終計画は第四次開発計画時。(第五次の開発計画は1976年~1980年で予算額2023億円)
ちなみに、ネパ-ル全土の自動車道路は、1952年に606kmから1972年には3175kmに延長。
それでは、ポカラ・レ-クサイドのバザ-ル写真を見てみる。
ポカラ・レ-クサイドのバザ-ル
バザ-ル街からマチャプチャレ峰の頭が見られる