9月24日はネパ-ルのインドラジャトラ祭
昨日まで、ネパ-ル情報として、ネパ-ルの交通写真をアップしてきた。
今月の2018年9月17日にネパ-ルのカトマンドゥ・トリブバン国際空港に到着。11年目のネパ-ル生活を始めた。
ネパ-ル滞在の二か月間、ネパ-ルで暮らしながら、毎日ネパ-ルの面白い話や、普通の日常のことをアップしようと思っている。
ネパ-ルの道路事情や交通について、毎日写真をアップし初めていたが、昨日9月24日(火)は、カトマンドゥのインドラジャトラ祭。少し写真をアップしよう。
インドラジャトラ祭 Indra Jatra
お祭りは、少女の生き神様クマリがカトマンドゥの街を、市民に「家内安全」や「健康祈願」を行いながら練り歩く。市民達は生き神様に敬拝する祭り。
日本での山車が町々を練り歩いて、お祭りを盛り上げるのと同様。
ダ-バ-スクエア(王宮広場)のクマリは、抱きかかえられてクマリの館から白色ジュ-タンで、金色の山車に乗る。
他の地域のクマリを引き連れて、街を練り歩き、カトマンドゥ中が熱気にあふれる。
カトマンドゥ盆地には10人のクマリ
せっかくなので、クマリについて少し調べてみたので、説明。
タレジュ・バワニ女神の化身の生き神様クマリは、初潮を迎える前に退位し、新しいクマリと入れ替わる。ヒンドウ-教は、女性の出血を汚れとする。初潮前のネワール仏教徒サァキャ出身の少女。3,4歳前後に32の身体の特徴と、厳しい条件に合格した少女だけがクマリになる。元もとの起源は、神々の王と言われるインドラ神を祀る祭り。米の収穫が無事に終える様にと感謝することから始まったと言われている。
ちなみに、ヒンドゥ-教徒の家では、女性の生理中は家族と一緒に食事もできず、一人で食事する。
ネパ-ルの民主化とクマリの立ち位置
1990年から始まったネパ-ルの民主化。市民と議会の民主化闘争。その後、国王は二回のク-デタ-で絶対君主に返り咲く。議会や国民は怒りにおこる。国王をただの市民とする暫定憲法を議決。
2008年、制憲選挙後の議会の決議で、国王退位。
ネパ-ルは長い歴史上、憲法に国教はヒンドゥ教と謳っていた政教一致政治。民主化を形ばかり受け入れた国王は、憲法改正して「ヒンドゥ-教徒の国王」とした。
しかし、国王が民主化に抵抗するほど、民主化は激化。国王制度そのものの廃止に動く。いわゆる政教分離の、暫定憲法となった。
それまで、ネパ-ルの最大祭ダサイン大祭には、国王がクマリにひざまずいて拝礼した儀式も、国王から権力を引きついだ首相や大統領はクマリに会うことさえ叶わない。
ネパ-ルのヒンドゥ-教社会にひざまづいた大統領
昨年2017年のインドラジャトラ祭の日に、ネパ-ル国民にとって異変が起きた
2008年の国王退位以降、元国王や大統領・首相などは一回も訪れた形跡がなかったクマリの館。それが、なんと2017年のインドラジャトラ祭に大統領が礼拝に来た。大統領の職責を果たし、万人に幸せな生活が訪れる様にと、クマリから額に赤いティカを付けてもらった。
この大統領、なぜか人目を避けたのか夜中の11時に訪れた。クマリはさぞかし眠たかっただろう。いや、就寝から起こされての宗教儀式だったのかも。
これで、クマリの館運営費が国費に復活か。
どこかの首相は、靖国参拝や玉虫料の奉納など、政教一致にこだわりを見せている。植民地化させられた朝鮮半島や大陸の指導者は、絶対反対を叫んでいるが、関心の自国の国民が黙認。国会で公務員に大嘘をつかせ、嘘の資料で法案通過。友人達には優先政治、絶対君主に大接近だ。
9月24日に会えたダルバ-ルスクエア-(王宮広場)以外の地区の幼い少女のクマリ
額に第三の眼を持つ 山車に腰かけて
クマリの館 お布施を出すと、この窓からクマリが顔を出してくれる。いや、拝顔料か
インドラジャトラ祭の準備の山車三台
クマリの館
2015年のネパ-ル大地震でつっかえ棒
インドラジャトラ祭 正装した鉄砲隊の入場
鼓笛隊の入場
クマリの館は機動隊に囲まれ、厳重警戒
市民の音楽隊も入場