ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その二十六回目
寺院と仏塔 その九回目 カトマンドゥ旧王宮広場の寺院と仏塔 その八回目 クマリの館の三回目
前々回から、カトマンドゥ王宮広場内にあるクマリの館と、その館に住むクマリについて、写真などを見た。
ネパ-ルの政治をも動かしたクマリについて、今回も少し触れてみたい。
生き神様のクマリは、ここカトマンドゥ王宮広場のクマリに限っては、このクマリの館に住み込んでいる。この住宅から外に出るのは、お祭りでネパ-ルの市民に、その姿を見せて幸せを届ける時だけ。
普段のクマリは写真撮影禁止だが、この祭りで山車のクマリは、ネパ-ル市民も外国人も、一斉にスマ-トホンを向けて撮りまくる。
インドラ・ジャトラ(Indra Jātrā)祭
年に1度、雨季明けとなる9月に、8日間に渡り開催される大祭「インドラ・ジャトラ(Indra Jātrā)」で、生き神クマリは山車に乗り、3日間街中を巡り一般市民へ祝福の顔見世を行う。
インドラ・ジャトラ祭は、この地域で信仰されている神々の王と言われるインドラ神を祀る祭りで、お米が無事に収穫が出来ることを感謝することから始まった。8日間にわたり松の木を立て、神々を迎える祭り。
クマリと国王とネパ-ル大統領
わたしは以前に、下記の文章をこのブログに書いたことがある。
「1990年から始まったネパ-ル民主化は、その後の現在のクマリはどのような待遇なのだろうか。国王時代には、王様がクマリにひざまずいて礼拝した。憲法改正で2008年国王が一市民になった現在、代わりに大統領や首相がひざまずくと思われていたが、そうはなっていない。民主化がそれを許さないのだろう。ヒンドゥ教が国教でなくなったことで、宗教的差別制度のカ-スト違反の罰則法律も廃止され民主化が前進している。ネパ-ルの社会変化と同様にクマリも信仰対象でなくなりつつある様だ。ネパ-ル女性の人権と尊厳が平等になるため、クマリの成否が試されている。」
さて、2017年の9月、インドラ・ジャトラ祭にネパ-ルの大統領が、クマリを初訪問した。ネパ-ル共産党所属の54歳、ビディヤ・デヴィ・バンダリ(Bidhya Devi Bhandari)大統領は、夜の11時、クマリが就寝の時間の訪問だった。
国王がクマリを訪れたのは、クマリが国王に「ティカの儀式」を行い、国王はクマリに自分の職責を果たせるように願い、ネパ-ル市民万人が幸せに生活できるようにと、クマリにひざまずいて祈願した。のだろう。
ネパ-ルの大統領は、果たしてクマリに願い事を祈願したのだろうか。はたまた、クマリの方が大統領に、クマリの館活動維持費の国家予算支給のお願いをしたのだろうか。
2015年4月25日のネパ-ル大地震で、ここクマリの館もレンガ造りが壊れた。修繕費用を大統領に切願するしかない情況。
次回は地震災害で壊れたクマリの館。
クマリの交代
昨年ネパ-ルのダサイン大祭の時に、ここ旧王宮広場に建つクマリの館の主が交代した。正式には、9月28日から交代。
それまで生き神様クマリだった、12歳のマティナ・シャキャは、3歳のトリスナ・シャキャに交代した。マティナ・シャキャも3歳でクマリに就任しているので、9年間務めたことになる。
クマリは、幼い少女で神になる。最初は3歳に相応しく、お人形さんなどを遊び相手にしたり、その後小中学校の教育を、専属の教師から受け館内が学校となる。3歳少女の家族は、館への見送りと、退役のお迎え以外は、家族としての接見はできない。神だからである。
始めて館に入室するときは、家族の手から館運営人に手渡され、歩くことはない。お祭り時にも、山車への行き来は抱きかかえられて歩くことはない。
クマリの館
ヒンドゥ-教徒がクマリの館にお布施をすると、この三階の黄金の窓からチラットだけクマリが顔を見せる
インドラ・ジャトラ祭、クマリが乗る山車
カトマンドゥ市内キラガル地区のクマリ