ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その五十四回目
寺院と仏塔 その三十七回目 カトマンドゥ旧王宮広場の寺院と仏塔 その三十六回目
29.タレジュ寺院 (ロイヤル・テンプル・オブ・バハーニ・タレジュ寺)Taleju mandir
前回は、カケシュワ-ル寺院の写真を見た。
今回は、カトマンドゥ王宮広場内の建築物で一番高さがある建物、タレジュ寺院の写真を見てみる。
広場最大で北東方向に立派に高くそびえる、13の基壇の上に三階建ての36.6mのタレジュ寺院。カトマンドゥ市内で最も高い寺院。
1549年・1562年・1564年マヘンドラ・マッラ王の建立。建立年が資料によって三種類あるが、ここ広場に入場するパンフレットには、1564年としているので、わたしは1564年と信じたい。
ネワ-ル様式の建築で、タレジュ・バワニ女神(ドウルガ)を祀る。南インドの神だったタレジュ・バワニ女神は、後にマッラ王朝の守護神となる。
寺院の開放は年に一回だけ。10月のダサイン大祭にヒンドゥ-教徒が、行列になって参拝礼拝するために入寺院する。
タレジュ・バワニ女神像を飾る部屋には、2008年の国王退位以前は、最高位カ-ストの司祭と王族の国王一家のみの入室が許されていた。その為に寺院名を別名ロイヤル・テンプル・オブ・バハーニ・タレジュ寺院と呼ぶ。
タレジュ・バワニ女神の化身が、生き神様のクマリ
この広場にはクマリの館がある。生き神様のクマリは初潮を迎える前に退位し、新しいクマリと入れ替わる。ヒンドウ-教は、女性の出血を汚れとするから。
新しいクマリの選考手続きは複雑怪奇
3人に絞り込まれた新しいクマリの、最終選考の場所がここタレジュ寺院。
クマリは、7世紀に仏教とヒンドゥ-教から始まった。現在のクマリ制度に至る過程は、10世紀ころの南アジアのヒンドゥ-教や仏教が起源。女性に神が乗り移って儀式を行うことを当時の君主が大いに関心を寄せていたことから始まったと云われている。
歴史的にネワ-ル族はクマリを信仰し、生き神様として崇拝してきた。
ネパ-ルの「クマリ」とは
クマリに選ばれるのは、血のけがれのない初潮前のネワール仏教徒サァキャ出身の少女。3,4歳前後に32の身体の特徴と、厳しい条件に合格した少女だけがクマリになる。
サァキャ族はネワ-ル文化の金細工職人の一族。現在でもカトマンドゥの隣の市パタン市内に、神像・仏像造りのサァキャ族が生活している。
クマリは、タレジュ・バワニ女神の化身であり、祭りのときだけクマリはお寺から外へ出かけて山車に乗りカトマンズの町を練り歩く。クマリ館三階の自室から山車までは、白色のジュ-タンの上を抱きかかえられて移動する。
カトマンドゥ盆地で10人のクマリがいるが、その中でもロイヤル・クマリ一人は特別。カトマンドゥ・ダルバ-ルスクエア-(王宮広場)のクマリの館に住む一人だけ。 生き神様であるクマリが街中を練り歩くのは、ネパールの首都・カトマンズで行われる伝統的な行事の一つインドラジャトラIndra Jatra祭。
インドラジャトラ祭はこの地域で信仰されている神々の王と言われるインドラ神を祀る祭りで、お米が無事に収穫が出来ることを感謝することから始まったと言われている。
クマリを選ぶ過程では、カ-スト制度の最上級カ-ストである占星術師とクマリ選任士が関わる。
占星術師の役割は、予め作成されているホロスコ-プと呼ばれる占星図に基づいて、女神のシンボルとなるクジャクの星回りに当てはまる少女を探すことから始まる。
初潮前の少女で、占星図に示されている内容と合致するものを選別して3名に絞り込む役割がクマリ選任士の仕事。
クマリは宗教上のけがれなき女性でなければならなかった。
初潮前でなければならないのは、ヒンドゥ-教の教義によるもの。女性の月の物の月経中は、他の家族と一緒に食事もできないほどの汚れである。
ネパ-ルでは1990年ころから始まった民主化で、国教のヒンドゥ-教が憲法から無くなり、憲法改正で国王も一市民となった。
民主化後の今日ではヒンドゥ-教の教義も市民の日常生活に厳格な影響を与えていないが、以前は月経中の女性の食事は、その女性の部屋に運ばれて一人で食事をしなければならなかった。汚れのある期間は家族と一緒に食事ができなかった。
聖水のある神聖な場所の台所キッチンの入室も許されなかった。
クマリ最終選考はタレジュ寺院内において司祭が
クマリの最終選考は、タレジュ寺院内において司祭が行う。この司祭、これもカ-スト制度の最上級カ-スト。司祭のなかでも主任司祭が行う。行う選考儀式は、候補クマリとその家族、そして見物人と参拝者などが集う中で行われる。
儀式場所には赤土に牛糞を混ぜた清めの土を床の一角に塗り、儀式用にはランプと水差し、花輪、供物、牛乳を固めたカ-ドと云われる凝乳、チユ-ラと呼ぶフレ-ク状の干米などの品々が置かれる。
牛糞は、相当以前だが最上位カ-ストの家で飼われていた雌牛の糞を、台所の床の掃除にも使われていた。台所は神聖な場所でそこを清める牛糞。
下級カ-ストの不可触カ-ストはこの上位カ-ストの台所を覗くのも禁じられていた時代があった。
この生き神様のクマリ、衣装は赤色でなければならない。赤色はは創造のエネルギ-を表し、ネパ-ルでは赤い服は既婚者に限られているがクマリだけは例外。
クマリの宗教的役割は、未来を予見し、病気を治し、願い事を叶え、災厄からの加護、地域や家族の繁栄をもたらすなどのご利益があるとされている。
又、現世と神の橋渡を行い、ネパ-ル語でマイトリ・バ-ヴァナ-と云う慈愛の心で、万人を慈み、その境地を信者にもたらすとも云われている。
民主化後のクマリ
ネパ-ル民主化後の現在のクマリはどのような待遇なのだろうか。国王時代には、王様がクマリにひざまずいて礼拝した。憲法改正で国王が一市民になった現在、代わりに大統領や首相がひざまずくと思われていたが、そうはなっていない。民主化がそれを許さないのだろう。
ヒンドゥ教が国教でなくなったことで、宗教的差別制度のカ-スト違反の罰則法律も廃止され民主化が前進している。ネパ-ルの社会変化と同様にクマリも信仰対象でなくなりつつある様だ。
ネパ-ル女性の人権と尊厳が平等になるため、クマリの成否が試されている。
昨年2017年9月のインドラジャトラ祭に、クマリの役割が復興
2008年の国王退位以降、国王や大統領・首相などは一回も訪れた形跡がなかった。それが、なんと2017年のインドラジャトラ祭に大統領が礼拝に来た。大統領の職責を果たし、万人に幸せな生活が訪れる様にと、クマリから額に赤いティカを付けてもらった。
この大統領、なぜか人目を避けたのか夜中の11時に訪れた。2007年までは、国王が堂々と来ていたのに。
ネパ-ルの大統領がクマリの館に来て、一番喜んだのはここを運営管理する人達。これで2008年以降途絶えていた、国家予算によるクマリの館運営管理の支給が復活する。
カトマンドゥ盆地にいるクマリは10人
バクタプル・カトマンドゥ・パタンの3都市に王宮があり、3人の王様が居た時代には3人のロ-ヤル・クマリが居た。現在はカトマンドゥ・ロ-ヤル・クマリだけ。
2008年に国王が退位。国名はロ-ヤル・ネパ-ルからネパ-ル民主共和国に変更され、クマリの名称もロ-ヤルが取られて、ただのクマリに。
今回は、わたしのカメラで撮った、カトマンドゥのタメ-ル地区のキラガル・クマリを写真で見る。
クマリになるためには32の条件
クマリ選考基準を満たす32の条件。女性で初潮前など32の選考基準がある。わたしは全部を知らないが、その一部は、①死んだ水牛の首を見せられても平然としている、②雀のような低い声、③黒い髪、④牛のようなまつ毛、⑤バニヤンイチジクの木のような体、⑥鹿のような太もも、⑦ライオンの胸、⑧海の殻のような首、⑨小さな舌、⑩アヒルのような柔らかい声など。
この少女の神を怒らせると国家に災難がおよぶと信じられている。
かつて国王でさえ、クマリに認められないと王位に就くことができない。
32の条件について、王宮に仕えるヒンドゥー教の司祭と仏教の高僧五人が判定。
選ばれたクマリは、大きなお祭りの期間にわずかに外出する以外は、平均約七年間、『クマリの家』に暮らす。完全無欠の神様ですから、教育を受けることがない、とされている。しかし、家庭教師みたいな女性が付き添っている。退位すると直ぐに学校にに入学する。
参考資料
在ネパ-ル日本大使館ホ-ムペ-ジ
ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン
ネパ-ル 地球の歩き方
カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎
ネパ-ル紀行 三瓶清朝
ネパ-ル アジア読本
NPO法人 ネパ-ル観光情報局
タレジュ寺院 ロイヤル・テンプル・オブ・バハーニ・タレジュ寺
左 カケシュワ-ル寺院 奥 タレジュ寺院
タレジュ寺院の門 獅子が二頭
ダサイン大祭に大勢のヒンドゥ-教徒が並ぶ
2015年4月25日ネパ-ル大地震後
カトマンドゥ盆地に10人 額に第三の眼を持つクマリ
カトマンドゥ旧王宮広場・クマリの館
キラガル・クマリとその一家
クマリを乗せる山車
インドラジャトラ祭りで三日間カトマンドゥ市内を練り歩く