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ネパ-ルの雪崩 ランタンヒマ-ル

ネパ-ルの雪崩 ランタンヒマ-ル

 前回までに3回に亘って、栃木県内の高校7校の登山部が参加して開催した春山安全講習会と、この高校生達が巻き込まれた那須温泉ファミリ-スキ-場コ-ス外雪崩死亡事故について、その内容について私の考えを若干書いてみた。

 前回は私が経験した道内の雪崩事故や、ネパ-ルヒマラヤのアンナプルナⅠ峰の雪崩について触れた。

 

ネパ-ル・ランタンヒマ-ルの雪崩

今回はネパ-ルのランタンヒマ-ルの雪崩を写真で見てみる。 

 私はネパ-ルヒマラヤ登山のためにネパ-ルを訪れている。その最初は、1981年に次の年にアタックするロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mの偵察だった。 しかし、ロ-ルワリンの玄関口のルクラまでのフライトが、天候不順のため連続三日間キャンセルになり、ランタンヒマ-ルのトレッキングとなってしまつた。職場の休暇に都合がつくメンバ-が偵察に行ってくれた。

 

楽しいネパ-ル

 以後私は、登山とトレッキングで3~4年に一度平均でネパ-ル通いをし、会社の定年退職を機に首都のカトマンドゥ市内にフラットを借りて、ここ9年間札幌とネパ-ルを行ったり来たりしている。1985年に小学校の一年生と四年生の息子と女房、それと当時北海道自然保護連合の事務局を担当していた大学生3名を誘って、7名で三週間のネパ-ルトレッキングを楽しんだ。

 このトレッキングを契機に絵描きの女房が、ネパ-ルのスケッチ旅行に出かけて行くようになり、以後女房は毎年一か月間くらいの日程でネパ-ルへ通うようになった。女房は個展「ネパ-ルの絵画展」を7回開催するに至っている。

 私は1981年からネパ-ルを訪れているが、それはあくまで楽しむため。最近はネパ-ルの友人に「嫌なことはしない」「きらいなことは避ける」と云いながら生活している。こう云うと殆ど何もしない様に聞こえるかもしれないが、友人から頼まれて、山岳運動具店のモンベルカトマンドゥ店造りに、現場監督として一か月もかけて汗を流している。実はこれは私にとって「楽しい」生活の範疇に入る事柄だからだ。借家のフラットの部屋も自分好みに、大家さんの許可を得て改造したりした。

 

楽しくないネパ-ルの雪崩

 前回のブログで触れたネパ-ルヒマラヤの雪崩は、私がネパ-ルで生活する「楽しい」の、全く逆のことになる。山岳の雪崩は、そこに生活する人達やそこで登山活動する人にとっては、生死を分ける脅威になる。

 今回から、この「楽しくない」ネパ-ルの雪崩について、多くの写真で見てみたいと思っている。幸いに、私が写したネパ-ルの雪崩写真や、友人知人などが届けてくれた雪崩写真が沢山ある。

 雪崩は雪が崩れると書く。雪は氷の結晶からできているので、氷と雪が崩れることを雪崩と呼んでいる。私は雪崩講習会に携わって約23年。NPO法人北海道雪崩研究会を立ち上げて、昨年の5月まで会長として雪と雪崩の研究に邁進してきた。この間に研究会は、雪崩講習会の講師資格を持つ会員を約40人養成し、毎年3日間の北海道雪崩講習会を開催して、北海道の積雪期雪崩事故防止活動をしている。研究会の研究活動は、国内の雪や雪崩の専門家の多くの皆さんと協同関係があり、最近では毎年カナダの専門家との協働活動もしている。

 

ネパ-ル・ランタンヒマ-ルの雪崩

 ネパ-ルは北海道の約二倍の国土面積。世界最高峰エベレストが鎮座しているので、山岳国と思われがちだが実は農業国。インドの国境に接しているタライ(テライ)平野は、亜熱帯気候で三毛作が可能な稲作国。

 タライからチベット側へは、インド亜大陸ができる過程で、ブ-タン・ネパ-ル・インドパキスタンなどへ伸びるヒマラヤが形成され、ネパ-ルの山岳地帯は、中国のチベット高原に国境がある。

 ランタンヒマ-ルは、ネパ-ルの山岳地帯の十分の一くらいになるだろうか。7千m峰が聳え、ランタン川が流れるランタン渓谷は世界一の美しい渓谷と云われている。

 今回写真で見る雪崩跡は、ランタンヒマ-ルに聳えるランタン・リ峰と、登山隊やトレッキングで訪れるランタン村。2015年4月25日のネパ-ル大地震で、ヒマラヤの氷河が崩れ、村を襲った様子などを見てみる。

 ランタン・リ峰にアタックしていた私の友人は、ちょうどその日は天候悪化で、登山隊メンバ-全員がベ-スキャンプに居て難を免れた。しかし、ランタン・リ峰頂上周辺の氷河が地震ではがされ雪崩となって駆け下った。幸いにもBCを襲うことなく、設営していたテントは無事。

 BCに居た全員がネパ-ル軍のヘリコプタ-で救出され、ヘリに二度乗り換えてカトマンドゥへ降り立っている。

 そして、救助中のヘリから見るランタン村は壊滅していた、と友人は写真を送ってきた。村人とトレッカ-合わせて約300名が、雪崩の犠牲となった。

 前回も触れたが、カトマンドゥ大学教授の私の知人が今年4月2日に写した写真には、氷河雪崩がランタン谷を埋め、その氷と土砂の堆積物は、今後10年間は溶けないだろう、とメ-ルで解説している。この大学教授は、1970年代からランタン谷に入って氷河の研究をしていた。今回は20年ぶりのランタンヒマ-ルとのこと。

 

ランタン・リ峰とベ-スキャンプ 友人の撮影

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地震前のランタン・リ  友人の撮影

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地震後のランタン・リ、頂上の氷がはがれている  友人の撮影

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キャンジン村 1981年10月 まだ家が無く村ではない、テント設営

ロ-カルポ-タ-は子連れの一家

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キャンジン村 2002年3月 トレッキングの宿として村ができた

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キャンジン村 2015年4月25日地震後の氷河雪崩の爆風で屋根が飛ばされている 友人の撮影

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キャンジン村住民はテントに避難  友人の撮影

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キャンジン村 2017年4月 屋根など再建復旧されている 知人の撮影

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ランタン村 1981年10月 この村の右側には家は無かった

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ランタン村 2002年3月 この村全体が新たに建設された 右上に旧村がある  地震で手前の数軒が若干家の形を残していた(この後の写真)

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ランタン村の旧村は吹き飛ばされ、氷と土砂の堆積物に埋まった 2015年4月の地震直後のレスキュ-ヘリから友人の撮影

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ランタン村の新村は右側数軒だけ形を残し吹き飛ばされ、この左側に旧村を覆う堆積物(この前の写真) 2015年4月の地震直後のレスキュ-ヘリから友人の撮影

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ランタン村とその下部のランタン川に堆積する氷と土砂 2017年4月知人撮影

知人のブログ文書より=第1回目の雪崩は、現地にいた大阪市立大学のランタン・リ峰登山隊の報告で、地震直後の正午ごろにランタン・リ峰頂上部が崩れ、雪崩をひきおこし、ランタン村を襲ったことが分かっている。

ランタン川に堆積した氷河の氷と土砂は川の流れで溶けた。川の両岸に残っている

川の左上部にランタン村があった

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