koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ル登山隊 K2・8611m冬季初登頂 おめでとう 第9回 

ネパ-ル人の2登山合同隊が、K2・8611mの冬季初登頂おめでとう その九回目

魔の山 K2 その2回目 「K2非情の頂」の一回目

 ネパ-ル人隊の世界第二位の高峰パキスタンのK2冬季初登頂の、おめでたいことから始まったこのブログ、もう9回目。

 少し横道にずれて歩き出したのを、前回からパキスタンのK2峰の話題に戻して、1986年K2の13人死亡遭難事故を記述した「K2 嵐の夏」の内容に触れてみた。日本隊のK2登頂記の「「K2登頂幸運と友情の山」に次ぐ2冊目。

 今回は前回同様、K2・8611mで起きた、女性5人の登頂者の全員遭難死亡の様子を記した「K2非情の頂」の内容について、若干触れてみたい。K2の冊子3冊目。

K2非情の頂                                                                                                                     

 462ペ-ジに及ぶ「K2非情の頂」は、アメリカ・ニユ-イングランドのジヤ-ナリストのジェニファ-・ジョ-ダンjennifer jordan の著書Savage Summit)、日本語版は2006年4月に出版。副題にthe true stories of the first five women who climbed k2 (K2に登った最初の5人の女性の実話)。

 2003年までにK2登頂した5人の女性サミッタ-の生と死を叙述したもの。

 ジョ-ダンさんは登山とは縁ないジヤ-ナリストで、友人達との話題で、「5人目に1998年ダウラギリⅠ峰で最後の生き残りも死亡」の話に興味を示して書き綴ることとなる。K2の麓のベ-スキヤンプに二度も行き、危険なK2の気象状況と山容を目のあたりにした。

 この本は、多くの方々が購入して読めば、それで良し、だが、なかなか手に入らないだろうから、少し説明としてここに書いてみたい。

1986年~1995年に5人のK2頂上に登頂した女性たち

一人目 ワンダ・ルトキエビィッチ 1986年6月23日女性初K2登頂者 ポ-ラ  ンド人 35歳 6年後の1992年5月21日カンチェンジュンガで行方不明

二人目 リリエンヌ・バラ-ル 1986年6月23日登頂 フランス人 37歳 下山中行動不能で死亡

三人目 ジュリ-・トウリス 1986年8月4日登頂 イギリス人 下山中にテント内で死亡

四人目 ジャンタル・マリ-・アニエス・モ-デュイ 1992年8月3登頂 フランス人 1998年ダウラギリⅠで雪崩死亡。34歳だった。

五人目 アリス・ハ-グリ-ヴズ 1995年8月13日登頂 イギリス人 頂上直下下山中低気圧強風で死亡

6人目以降の女性登頂者

六人目 エドゥルネ・パサバン 2005年7月20日登頂 スペイン人 31歳 下山中足指2本失う、パ-トナ-は足指10本失う

七人目 不明                                                             

八人目 小松由佳 2006年8月1日南南東リブから登頂 日本人東海大学創立50周年

 

女性のK2初登頂物語

 1986年6月23日10時15分、女性初のK2登頂者はポ-ランド人ワンダ・ルトキエビィッチ。3度目のK2だった。アブルッツィ稜から登攀。

同日11時15分、初登頂の1時間後にフランス人のリリエンヌ・バラ-ルが女性第二登。

 ジャ-ナリストのミッシェル・パルマンティエが資金を出し、モ-リス・バラ-ルとリリエンヌ・バラ-ル夫妻の登山隊。リリエンヌ・バラ-ルのK2女性初登頂の出版目的だったフランス登山隊。バラ-ル夫妻が女性のワンダ・ルトキエビィッチを登山隊に招くと、ミッシェル・パルマンティエが怒り心頭。リリエンヌの初登頂物語出版物の販売数を考えると、マア当然。

 頂上アタック時に、先行していたリリエンヌ・バラ-ル夫妻が、なぜか頂上直下でス-プを飲む長時間休息中に、その横を通り過ぎてワンダ・ルトキエビィッチが初登頂してしまつた。

 ここで、無酸素で8千mを超える高度で行動する高度障害が問題。8千を超える高度のC4滞在日数を最短にして、登頂後も素早くもっと下部キャンプへ下山しなければならない。それなのに、C4でもたもたしているうちに、相当の高山病寸殿の高度障害に陥っていたのではないか。

 高山病寸前で頂上を目の前にして、長時間休まざるを得なかったリリエンヌ・バラ-ル夫妻、登頂後に下山できず、ワンダ・ルトキエビィッチがビバ-ク用テントで一泊した場所までも下りられなかった。その後、7月末にBCに残っていた韓国隊が行方不明になった場所から3千m下部のK2麓でリエンヌ・バラ-ルの死体を発見。

 女性初登頂者のワンダ・ルトキエビィッチも残っていて、ギルキ-追悼ケルンに遺体を収容した。リリエンヌ・バラ-ルは標高差3千mを滑落したことになる。

 1986年にはレナ-ト・カザ-レット夫婦が参加。南南西稜アタックのゴレッタ夫人も、女性初登頂のチヤンスがあった。

 K2の女性初登頂競争について「K2非常の頂」には、次の様に記述されている。

 1986年、同じ年に3人目の登頂者となるイギリス人女性のジュリ-・トゥリスの言葉。

 「彼らの隊にアメリカ人女性がいることが問題だったのだろうか? そう、女性にとってK2は、今の所未踏峰なのだ。ジュリ-は、いかなる形の競争にも徹底して反対していたので、頑張って一番乗りしようなど、思ってもいないのに・・・」

 K2の女性3人目の登頂者ジュリ-・トゥリスも下山できなかった。

 

1986年~1995年に5人のK2登頂した女性

3人は下山できず、2人は8千m峰で遭難死亡

 K2登頂の二人目リリエンヌ・バラ-ルは、下山中行動不能で、たぶん滑落死亡。

 三人目ジュリ-・トウリスは、下山中にテント内で死亡。

 五人目アリス・ハ-グリ-ヴズは、頂上直下下山中低気圧強風で飛ばされ死亡。

 一人目ワンダ・ルトキエビィッチは、6年後の1992年5月21日カンチェンジュンガで行方不明。

 四人目ジャンタル・マリ-・アニエス・モ-デュイは、1998年ダウラギリⅠで雪崩死亡。

f:id:koyaken4852:20210312151350j:plain

K2の人目女性登頂の小松由佳さん(ホ-ムペ-ジより)

f:id:koyaken4852:20210312151447j:plain

2006年、日本人女性K初登頂の小松由佳さん・植村直巳賞受賞

f:id:koyaken4852:20210312151537j:plain

ジュリ-・トゥリスの生きがいは、登山と武道

f:id:koyaken4852:20210312151619j:plain

女性隊の初登頂

2014年7月26日午後3時35分、キヤンプ4から16時間、人のネパール人女性、パサン・ラム・シェルパPasang Lhamu Sherpa)、ダワ・ヤンズム・シェルパDawa Yangzum Sherpa)、マヤ・シェルパMaya Sherpa

2021年1月16日にネパ-ル人男性10人が、冬季初登頂時には9人がシエルパ族。今回も全員シエルパ族の女性

Photograph by Maya Sherpa

f:id:koyaken4852:20210312151714j:plain

氷河K2頂上直下の懸垂

f:id:koyaken4852:20210312151813j:plain

K2から流れ下る氷河を見下ろす

f:id:koyaken4852:20210312151911j:plain

f:id:koyaken4852:20210312151935j:plain

ベ-スキヤンプ近くのギルキ-追悼ケルン

f:id:koyaken4852:20210312152027j:plain