ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十六回目
10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔
その第18回 メイピ-寺院の三回目
わたしがネパ-ル生活をしてた地域の寺院の写真、三回目。たぶん、寺院名はヒンドゥ-教神様に因んだ名称なのだろう。分からないので、わたしが勝手に地区名のメイピ-寺院と名づけた。
前回も触れたが、この寺院の参道にチベット仏教のタルチョ-が飾れていることで、神仏習合と説明した。このことでわたしが勝手に、神様を祀るヒンドゥ教寺院に、チベツト仏教が仲良くしている様子を神仏習合と称した。
我が国日本の神仏習合はどうだったのか。NHKの番組から少し調べてみた。
現在の日本で、神様と仏様がなかよくする神仏習合を見かける場所はない。それは、明治維新後の1868年3月28日に神仏分離令が公布され、神や神社以外の信仰対象物の破壊が始まった時から、今日まで続いているから。
何故、神仏習合の復興がなされないのだろう。私なりに考えてみた。
1945年8月15日の第二次大戦敗戦で新憲法が施行されたが、天皇章条項は残った。
明治維新後神仏習合の廃止令である神仏分離令後、日本の男の天皇が神事を通して神になった。そのことが、昭和の新憲法下でも脈々として続けられ、天皇の国事行為が禁止させられても、神として変わらない地位にあるから。神でない皇太子も、代替わりの時に、全額国費の神事で神になる。
ようするに、一人の男の神がいる限り、その一人以外のすべての国民は神に仕える民になる、というプロセスが日本の法律で規定されている。
敗戦後の新憲法以前は、天皇や国旗国歌への反対反逆罪の罰則があった。今は、この罰則が無くなったが一部復活しようとしているし、実は神に反逆する社会的制裁は存在する、とわたしは考えている。第二次大戦で「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった市民や兵隊がいたのは、法律でなく「社会」だった。現在も一般市民は、天皇の前で「万歳」が日常。
わたしは、一人の男の天皇が日本国で生活するのに反対している訳ではない。しかし、国や国民の象徴天皇が、日本の法律や国民の税金を使って「神」になるのは、どうなのだろう。このままでは、再び日本の神仏習合の復興を願うわたしの希望は、叶えられそうにはない。
また、話が横道を歩き出してしまった。NHKの番組から少し調べて、「我が国日本の神仏習合はどうだったのか」は次回とする。
メイピ-・テンプルの三回目
標高100m丘の上の寺院を取り巻く塀の西側(南口もある)
第一の門
第一の門を入ると、象さんの石造りガネ-シャ神と寺院を守る獅子
西側の第一の門を入ると
ヒンドゥ-教の三大神の一人シヴァ神の乗り物の牡牛ナンディ-と神の象徴のシヴァリンガ
信者が熱心にリンガに聖水をかけ、お祈り
50m上の寺院へ続く石造りの階段
ヒンドゥ-教寺院内にチベット仏教の五色タルチョ-
階段を登ると、西側第二の門
メイピ-・テンプル
寺院の外壁に石彫刻
シヴァ神の息子のガネ-シャ神
寺院の横にも、ヒンドゥ-教の三大神の一人シヴァ神の乗り物の牡牛ナンディ-と神の象徴のシヴァリンガ
カトマンドゥ中心街地図の左上が、寺院のあるメイピ-地区
わたしが2013年と2018年に暮らしていた町