ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その百四十四回目
10.カトマンドゥ市内に点在する寺院と仏塔
その第16回 メイピ-寺院
15回を、カトマンドゥのタメ-ル地区から旧王宮広場間にある、寺院と仏塔の写真を見た。
今回から、わたしが2013年と2018年に暮らした地域、メイピ-地区にある寺院の写真を見てみる。
わたしがネパ-ルで生活し始めたのが12年前、2007年のポストモンス-ン季から。最初の6年間は、ラジンパット地区だった。その後タメ-ル地区の北側の町のメイピ-地区とタメ-ル地区を行ったり来たり。
その間、3軒の借家に住んだ。
今回の寺院は、わたしが住んでいたメイピ-地区の、借家から徒歩で3分の標高50m程の、竹林のある丘の上に立つ寺院。寺院の名称は分からないので、わたしが勝手にメイピ-寺院とした。
メイピ-寺院はヒンドゥ-教寺院。その作りはレンガ積みと木彫刻の典型的なネワ-ル建築文化の造り。丘の上50m上に上がる階段脇には、チベット仏教のチョルテンが飾ってあって、神の寺院と仏教の神仏習合が見られる。日本人には聞きなれない言葉の神仏習合、日本も明治維新以前は神と仏が仲良くしていた。明治になり侍から天皇が権力者に代わり、男の天皇が神事を行うことで、神の天皇以外の日本人全てが、神に仕える奴隷的身分に変化、とわたしは考えるのだが。
天皇が神事を行うことで、それまで仲良かった神と仏、神社と寺院の関係が天と地の差位に変化。
我が国日本の神仏習合の歴史と事実
1868年3月28日、日本の神仏分離令公布。
明治維新後の王政復古により、天皇中心の天皇家理想の政治が復活。今から150年前、明治維新政府は、神仏習合禁止の神仏分離令を発布。
天皇中心の国家神道国となり、事実上の天皇絶対政治が始まる。男のただ一人の天皇が君臨する絶対国家の誕生だった。男しか天皇になれない法律や天皇の君臨を妨げる行為の罰則規定法律の整備が進む。
1945年8月15日の第二次大戦敗戦まで続き、仏教・寺院・仏像・経典など、全ての仏教が最上位の神社や神と切り離される。神仏分離令を発布の三日後からは、神社にあった仏像やお経を放擲(ほうてき)放り投げ、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)焼き捨てられた。全国の路上などにあった仏像など、徹底的に壊された。天皇神の復活の美しい古代信仰のために、神輿からは仏教色排除され、いたる所の仏像の首が切られ、顔がはぎ取られた。
わたしが見た訳でないので、史実を辿ってみた。
神仏習合が壊され仏様の虐待が進んだだけでない、それだけでは済まなかった。男の天皇が神になったと同時に、日本の隅々まで、男尊女卑が瞬く間に進んだ。江戸時代に育まれた男女同権社会の終焉。
1945年8月15日の第二次大戦敗戦後、日本国憲法で絶対権力者の天皇がなくなった、が、神仏習合廃止例の廃止がなく、相変わらず天皇は神事を国税で行っている。我が国日本の男尊女卑は相変わらず、国内隅々まで浸透して、世界的にも稀に著しくその歴史が継続されている。
話がネパ-ルの宗教の、神と仏の仲良し神仏習合が、我が国日本の情況に、話が横道を歩き出してしまった。元に戻してネパ-ル寺院の写真。
メイピ-寺院
私の借家から徒歩3分
竹林のある50mの丘、ぐるっと一周りの道路、健康に一回り歩く人・走る人
一周りのレンガ積み塀
寺院への階段前の入り口は南側と西側に二か所
階段の上部には、チベット仏教のチョルテン
階段を上ると寺院前の門
高校生の学校帰り、寺院はデ-トスポツト
私の借家と寺院間は生徒の通学路