ネパ-ル生活2018年、楽しいネパ-ル暮らし
その35回目 ボダナ-ト・ストゥパ-のあるボ-ダ-地区で、尼さんが頭を丸めていた
ボダナ-ト・ストゥパ-のある地域をボ-ダ-町と呼ぶ。この街には、ボダナ-トを取り囲む様に、チベット仏教テンプルがいくつか点在してる。
これらの寺院の写真を撮りに出かけた。
すると、お寺の隅で、女性の僧侶の頭を剃っていた。
頭を丸めている男性の頭も坊主頭なので、この人も坊さんか。
ネパ-ルのどの解説書にも、ボダナ-ト・ストゥパの建設年が掲載されていない。少し離れた場所のスワヤンブナ-ト・仏塔は、紀元前250年に、インドのアショカ王が建設してる。
わたしが勝手に、このボダナ-トも、スワヤンブナ-トと同様に紀元前250年インドのアショカ王建設と考えている。
アショカ王は、お釈迦様の生誕地を訪れた時に、ブッダの辿った現在のカトマンドゥも訪れ、パタン市内に4ストウパ-建設も行っている。4ケ所共にアショカ・ストゥパ-と呼ばれている。
ボダナ-トは現在チベット仏教の仏塔
スワヤンブナ-トも、現在はチベット仏教の仏塔になっている通り、ボダナ-トも同様。
インドを最初に統一したアショカ王が建立した仏塔だが、歴史的にはチベットとインドの交易の中間地点としてのネパ-ルだったので、当然にチベツト仏教徒が仏塔にお参りに来る。現在ではネパ-ルのヒンドゥ-教寺院に、インドのヒンドゥ-教徒が巡礼に来るのと同様に、ボダナ-トにもインド人が来ていたのだろう。
2千年以上も歴史が経過した今日、ボダナ-ト仏塔の周りにはチベット仏教寺院が建てられて、多くの僧侶たちが功徳の生活を営んでいる。
1950年代初めの写真では、畑地の真ん中にボダナ-トがあり、その周囲を取り囲む様に宿坊があった。その宿坊が現在のチベット仏教寺院に替っていったのだろうか。
参考資料 トニ-・ハ-ゲン「ネパ-ル」
女性の僧侶の頭を剃る
1950年頃のボダナ-ト・ストゥパ-
周りは畑地で宿坊が周りを囲っている
1950年頃のパタンにあるアショカ・ストゥパ-
紀元前250年当時は、仏教色はなくチャイティヤと呼ばれる、単なる塚だった
正式なストゥパ-と呼ばれる仏塔は、ブッダお釈迦様の真骨を祀るもの
カトマンドゥ市内から、遠くのスワヤンブナ-ト(自在者寺院)の高丘を望む
このスワヤンブナ-トは、紀元前250年アショカ王によって建立されている
1950年当時、カトマンドゥ市内は畑地だったことが判る
ガネッシュ・ヒマ-ルがそそり立つ
ボダナ-ト・ストゥパ-