ネパ-ル生活2018年、楽しいネパ-ル暮らし
その34回目 カトマンドゥの友人に再開、ポカラの友人探しに失敗
ネパ-ル暮らしを始めて、足かけ12年目になった。その前から知り合いのネパ-ル人がいた。
10月24日の夕方、ポカラからカトマンドゥに帰って来た。
ポカラでは、1982年のヒマラヤ登山の時の高所ガイド頭の住む家探しをした。1991年にアンナプルナⅠ峰8,091mの登山の帰りに、ポカラに降り立った時、このシェルパ族の友人が待っていてくれた。ポカラの彼の安ホテルの中庭で、20人ほどの宴会をしたのが最後。現在のポカラでは、手に入らない位の高級ホテル街。
彼から貰っていた名刺に書かれていたホテルの場所を探したが、残念。日本語の分かる友人と一緒にポカラへ行ったので、この友人に聴きながらの友人シェルパ宅探しだった。二日間もかけたのに。
今回、カトマンドゥに10月17日に着て。次の日、カトマンドゥに住むネパ-ル人友人探しにも、失敗していた。なにせ、ここの所2年おきのネパ-ル暮らし。ネパ-ル人の友人宅や電話番号が変わっていて、一からの友人探し。
カトマンドゥの友人宅探しに失敗、ポカラの街で偶然の再開
このエ-ジェント業・ガイドのライ族の友人。この人の家探しに失敗していて、なんと、ポカラで成功した。ポカラに住んでいたシェルパ族友人探しで、街々を歩き廻っていた時だった。電話中のネパ-ル人の横顔。似てた。横に回り込んで顔を見ると。黒い見かけた友人の顔だった。
ライ族の友人、一瞬ビックリ。わたしは、ヤ-ヤ-探したよ。と喜び。
何ということか。ネパ-ルの国内で、偶然のたまもの。カトマンドゥでも遭えなかった友人に、他の地方都市での再開。ガイド業で忙しいらしく、すぐに貸し切りマイクロバスに乗り込んだ彼。互いの電話番号を知らせて、10日後にカトマンドゥで会う約束。
ボダナ-ト・ストゥパ-内で咲く花
わたしの住んでいる家の三軒隣の家に咲く花