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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地   その④バクタプ-ルの七回目

 ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その④バクタプ-ルの七回目。

 世界文化遺産バクタプ-ルの一回目から六回目までは、バクタプ-ル市内の旧王宮広場地域と800m前後に隣接する寺院群を見てきた。

 七回目は王宮広場の南側200mの寺院群に隣接する陶工広場 Pottery square を見た。

 陶工広場のことを英語でPottery squareと云うが、ネパ-ル語でスクエア-squareは広場の意味。ネパ-ルでは広場や交差点などをこのスクエア-とチヨ-クであらわしている。大きな広場のことをスクエア-、十字路や交差点をチヨ-クと云う。十字路や交差点なので自動車専用なのかというとそうでもない。お祭りが始まる2・3日前からこのチヨ-クと呼ばれる十字路や交差点は、食料品や日常雑貨などのバザ-ルが開かれ、買い物の市民であふれる。

 カトマンドゥの外人街町から旧王宮広場までの約1kmの間には、チェトラバティチヨ-ク・タヒティチヨ-ク・アサンチョ-ク・インドラチョ-クなどがある。

 今回はバクタプ-ル旧王宮広場地域における2015年4月25日のネパ-ル大地震による壊れた仏塔や寺院を写真で見てみる。

2015年4月25日のネパ-ル大地震で倒壊した文化遺産の修復作業が各地で行われている。私のライ族の友人に質問された。「バラサ-ブ、カトマンドゥの各地で壊れた寺院や仏塔の修復・手直しをしている全ての作業員がネワ-ル人だが、なぜネワ-ル人だけなのか」。ネパ-ル人でも分からないことが日本人の私に判るのか、と思われるが。実は私には判るのです。友人への質問の答えはこうです。「カトマンドゥ盆地に古来から住む種族はネワ-ル族。このネワ-ル族は13世紀ころから、このカトマンドゥとその周辺の文化を築いてきた。金銀細工、木彫、建築と幅広くネパ-ル文化の中心だったし、ヒンドゥ-教のカ-スト制度の最上位カ-ストに君臨してきた。権力と富と名誉の頂点でもあった。その金銀細工、木彫、建築などのネパ-ル文化の担い手は、今もネワ-ル族の人達が受け継いでいる。」

ネパ-ルの種族とカ-ストの関係から、最上級カ-ストはこのネワ-ル族とブラ-マン族。ブラ-マンはインド系ネパ-ル人でネワ-ルはネパ-ル系ネパ-ル人と云われている。インドからネパ-ルへ侵入した小王国の王様と星占師達がヒンデゥ-教を持ち込むときに、ネワ-ル族を最上位カ-ストとして厚遇することで承知させたとされている。

 

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バクタプ-ル国立美術館

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