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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第12回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その十二 アンナプルナヒマ-ル十二回目

前回は1985年1月のアンナプルナヒマ-ルのトレッキング三回目を見てみた。

続きのアンナプルナヒマ-ルのトレッキング四回目。

 

狩猟用の鉄砲

食用の野生動物はいないので護身用なのだろう

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ダンプスホテルDhampus 1799m

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水牛とマチャプチャレ峰6993m

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ダンプスは尾根状  アンナプルナヒマ-ルを眺望

左からマチャプチャレ峰 アンナプルナⅣ峰 アンナプルナⅡ峰 ラムジュンヒマ-ル

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ダンプス村からフェディPhedi 1220mへの下りに広がる段々畑

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フェディ着 河原で昼食

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フェディから出発地ポカラまで歩いてすぐ

ポ-タ-出発

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アンナプルナヒマ-ルのトレッキング出発地ポカラに戻る

ポカラ飛行場出入り口の道路を挟んだ向かいのホテル着

出かけるときは曇っていたポカラ、今日の天候はクリヤ-

ホテル中庭からヒマラヤの絶景

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ポカラ発 カトマンドゥ行路線バス

子供達とガイドはバスの屋上に乗って、途中のトイレタイムまで

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第11回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その十一 アンナプルナヒマ-ル十一回目

前回は1985年1月のアンナプルナヒマ-ルのトレッキング二日目を見てみた。

続きのアンナプルナヒマ-ルのトレッキング三日目。

 

朝 又石楠花林を歩く 標高が高く雪道

ダウラギリⅠ峰の遠望やアンナプルナヒマ-ルを眺めるプ-ンヒルPoon Hill 3198m目指して

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もうすぐプ-ンヒルの展望丘

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プウ-ンヒル着

右のアンナプルナ・サウスAnnapurna South 7219mを背に

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マチャプチャレM achhapuchhare 6993m

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中央のアンナプルナ・サウスAnnapurna South 7219m

右はヒウンチュリHiunchull 6441m

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早朝のプ-ンヒルからロッジに戻る

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凍てつく小川で顔洗い

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タダパニ村Tadapani 2721m

段々畑  家の屋根は薄い石を敷いている

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ガンドルンGhandrung1951mのスノ-・ビュ-ロッジ

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ネパ-ルのタバコ「ビリ-」の葉の植物

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1985年当時 ネパ-ルで販売されていたタバコ

Ganesh Biri ガネッシュ・ビリ-

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お昼ご飯

コック見習いのカンチャがお湯を沸しミルクティ作り

トレッキングや登山のチャイ(ミルクティ)は粉末のミルクを使う

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天気も良く、ゆっくりの昼食

ネパ-ル人は一日二食

 午前9時ころに朝食

 午後8時ころに夕食  

 朝起きるとチャイと簡単なおやつ

 3時・4時ころにもチャイとおやつ

ガイドやコック(カンチャ)達はこの昼食と夕食時に食べる。日本人の2倍以上の量を食べる

ポ-タ-達は、各自背負っているお客さんの荷持つの上に自分の食糧を背負っている。ゆえにガイドが二食付の賃金なので、自分で食糧を持参するポ-タ-賃金の方が高い

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ネパ-ルヒマラヤのスケッチ

この時のスケッチブックから、第1回ネパ-ル絵画展を開催

以後、2007年まで7回のネパ-ル個展を開催

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第10回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その十 アンナプルナヒマ-ル十回目

 前回は1985年1月のアンナプルナヒマ-ルのトレッキングを見た。このトレッキング、私の家族、女房と小学校5年生と一年生の息子で4名。それと北海道自然保護連合の事務局を手伝っていた大学生3名を加えて7名パ-ティ。

連合の大学生にちょっと声をかけただけで、すぐに行くと。親のすねが細くなっただろう。

 このトレッキング、帰ってきたら北海道新聞社の記者から取材したい、とのこと。文化面に大きく取り上げてもらった。このブロク掲載のために当時の新聞を読んだら、なんと一家4名で総費用160万円も掛かっていた。8千m峰の遠征一人分とほぼ同額。

 前回ネパ-ルのポ-タ-やガイドについて少し触れた。イギリスのエベレスト登山隊にネパ-ルガイドのテンジン・ノルゲイさんがいる。このテンジンさんに触れたいのだが、このブログの字数が多くなるので次の機会に譲ることとする。

ではネパ-ルのアンナプルナトレッキングを写真で見てみる。

 

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ビレタンティのつり橋

現在はここのつり橋手前まで自動車道路が完成している

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1月なのに取り入れ後の農耕地を耕す

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1350m標高のカトマンドゥとほぼ同標高のバナナ畑

1月 たわわなバナナ

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チベットとの交易道路、ドンキ-(ロバ)

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お昼のランチ、キッチンセットを持参したトレッキング

毎昼食は1時間30分間

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小川に掛かる木の橋 地元の人達がドッコを背に

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ウレリUlleri 2120mで一泊後

ラリ-グラスの林を歩く 大木の石楠花

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ゴラパニ村Ghorepani 2853m 到着

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プ-ンヒルロッジ

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第9回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その九 アンナプルナヒマ-ル九回目

 前回までのネパ-ルの楽しいトレッキングは、ネパ-ルの道路について、山岳の昔からある生活道路と新しい自動車道路を見てきた。第1回目から8回目までアンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれたカリ・ガンダギ河沿いのトレッキングの写真を見てきた。

 今回からは、続いてアンナプルナエリアの1985年のトレッキングを見てみたい。この頃はまだ自動車道路計画はなかった。そこに生活している住民の生活道路と古くからチベットとの交易のための道路で使われていた道が、私達の楽しいヒマラヤトレッキングで歩いた。

 現在のネパ-ルのトレッキングは、トレッキングル-トのほとんどがネパ-ル語でバティと呼ばれるロッジに宿泊する。トレッキング中の食事もそのバティの食堂メニュ-で食べるのが普通になっている。

 

1985年当時のネパ-ルトレッキング

 私が1985年に行ったトレッキングは、ネパ-ル人メンバ-として、ガイドとコックそしてコック見習いのカンチャを引き連れ、現地の出発地では日本人メンバ-の荷物とネパ-ルメンバ-の荷物を運ぶロ-カルポ-タ-を雇用した。

 この総荷物には、出発地で購入した食事の食材は勿論、包丁や料理に使用するキッチンセット一式を含んだものに宿泊用のテントがあり、今では考えられないほどの荷物になった。

 ネパ-ルの登山では、ベ-スキャンプから登頂までの衣食住と登山装備の全てを運ぶ。私はネパ-ルの本格的な登山を二度行っているが、二度ともポ-タ-数は100名を超えた。昔のK2登山隊の報告書を見ると、なんと600名のポ-タ-が荷を運んでいる。今回のトレッキングも登山と同様だった。私を含んだ7名の日本人の衣食住荷物を運ぶことになる。

 ちなみに、現在のネパ-ルトレッキングは、現地のバティを利用するので、コックを連れないので食材やキッチンセットなし、テントなしで、お客さんの日本人の荷物を運ぶだけ。

 宿泊施設やレストランが確りと完備していることが、お客さんである私達の出費を節約することにもなっている。

 

ロ-カルポ-タ-とハイポ-タ-

 ネパ-ルのホテルなどでは、お客様が到着し宿泊部屋までホテルのポ-タ-が荷を運んでくれる。このポ-タが一般的なポ-タ-。ネパ-ルにはチップ制度がないので、ポ-タ-の仕事が終わったらありがとう(サンキュ-)の一言で良い。

 ネパ-ルヒマラヤでは登山やトレッキング時のポ-タ-が必要になる。ヒマラヤトレッキングや登山のベ-スキャンプまでのキャラバンの荷運びは「ロ-カルポ-タ-」と呼ぶ。他方、高所ポ-タ-は、ヒマラヤ登山時、高所登山に必要なアイゼン・ピッケルが使え、ロ-プワ-クが出来てBCから上部キャンプへの荷揚げを行う者のこと。

 

トレッキングガイドと登山ガイド

 エベレスト街道エリアに住むシェルパ族は1930年代から、イギリス隊のエベレスト遠征のポ-タ-やガイドを担っていた。1953年にイギリス隊がネパ-ル側からエベレストを初登頂した時、ヒラリ-と共に登頂したのがテンジン・ノルゲイシェルパ

 以後、多くの危険と困難を物ともせずに多くのシェルパ族が登山のガイドを勤めてきた。そして、今日では「シェルパ」が国際語の「案内人」と云われるようになっている。

 しかし、この国際語の案内人の意味は、登山の案内人とは区別される。日本人でネパ-ルの登山やトレッキングで出かけていく人達の中には、山の案内人をシェルパと云っている。現在のネパ-ル登山やトレッキングの案内を担っているのは、シェルパ族は少数になった。他の民族出身者が大勢を占めている。私が知っているのは、ライ族とグルン族。ネパ-ルに住む60以上の民族で、山の案内人はほぼこの3民族だろう。

 私は登山やトレッキングの案内人を、それぞれ区別して、トレッキングガイドやクライミングガイドと云うようにしている。決して一色たんにしてシェルパとは云わない。どうしてかと問われると困るが、なんと云おうかシェルパ族に失礼だと思うのだ。

 シェルパ族は1930年代から外国人に雇われて、登山の知識と技術を身に着け、危険個所はお客さんの前に出てル-ト工作をしてきた勇敢な歴史がある。テンジンはインドのダ-ジリンに登山学校を開校して、シェルパ族に登山の知識と技術の継承を行ってきた。

 現在でも、例えばエベレストの最終キャンプまで3民族のガイドが混合で活躍したとする。この最終キャンプから頂上へ雇い主の登山隊を案内するのはシェルパ族が優先されのである。

 

 それでは、自動車道路もなく、宿泊施設も整っていなかった昔のネパ-ルヒマラヤのトレッキングを写真で見てみる。

現在はネパ-ル第2の都市になってるが、当時は3番目の人口だったポカラ市から出発する。

 

地図右下のポカラから出発する 地形図

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千歳発 成田経由 タイ・バンコク経由 

ネパ-ル・カトマンドゥ・トリブバンエア-ポ-ト着

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カトマンドゥのエ-ジェント事務所で

まずチャイ(ミルクティ)をごちそうになる

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カトマンドゥ→ポカラ

ポカラ出発 7名分の荷物 ガイド・コック・カンチャの荷物とキッチンセット 食糧など、竹を編んだドッコに入れて

ポカラでポ-タ-を雇う

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まずフェディ1220mから急登で一日歩く

ノ-ダラ1500mで一泊

朝 小雨のノ-ダラ出発

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ノ-ダラ村からカ-レ村へは尾根状を歩く

現地で雇ったポ-タ-に手を取られて歩く

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羊の群れ

ちょっと雨宿りで一本とる

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村の家の屋根はスレ-トスト-ン(薄い石を敷く)

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二泊目はテント泊

チャンドラコット村1580m

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チャンドラコット1580mからモディ・コ-ラ(川)へ下りビレタンティ村1100m

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ネパ-ルの道路と道路工事 その5

ネパ-ルの道路と道路工事 その五

 ネパ-ルの道路と道路工事の写真を、5月5日から9日まで4回に亘って写真で見てみた。カトマンドゥ市内の私が住んでいるラジンパット地域の幹線道路、とラジンパット道りの道路拡幅工事を見てみた。

そして、ヒマラヤの生活道路と自動車道路についても見てみた。

 ネパ-ルの道路は何といってもエベレストが聳える国の山岳道路だろう。ヒマラヤの村から村へ縫うように造られている道。ネパ-ルの山間部には、いつごろから付けられたのか分からないくらい昔からの道路がある。チベットとインドの交易には、ネパ-ルを経由しなければならなかったし、独自のネパ-ルとチベットの交易に道路が使われた。

 ネパ-ルの山岳道路の写真を見ているうちに、5月11日~18日にネパ-ルのヒマラヤトレッキングの写真に入れ替わってしまった。「ネパ-ルヒマラヤの楽しいトレッキング」を8回写真で見てみた。ネパ-ルのトレッキングは、1981年と1985年の昔の写真を今後見てみたい。自動車道路建設前のネパ-ルだ。

今回は、その前にネパ-ルの道路と道路工事に戻って、道路工事を写真で見てみる。

 

私の借家フラットの前が工事現場

4軒並びの家の前は、牛が一週間に一回は草を食む広場になっている

そこが突然、フライテントが張られ、草地に大きな穴が二つ掘られた

ラジンパット通りまで歩いて5分400m程の道のアスファルト舗装工事始まる

トヨタのハイエ-スが運転上手な運転手しか通れないほどの狭い道路

大きなドラム缶がトラックで運ばれてくる。砂利も、たき木も

ネパ-ルは、味のある手作り品が多い。その理由は簡単、機械生産よりも人手生産が安価だからだ。

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初めは何をしているのか分からなかった

古いアスファルト舗装していた道路の、傷んだ部分をはがしていた

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アスファルト造りの砂利

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まずドラムカンを熱して中のアスファルトをどろどろにする

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穴の上に鉄板を敷き、穴の中でダウラ(木)を燃やす。その上に大ドラム缶に入ったアスファルトを流し、砂利を入れてかき混ぜる

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どろどろのアスファルトと砂利を混ぜ、アスファルト出来上がり

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運搬用のトラクタ-まで運ぶ

どうしてトラクタ-を横付けしないのだろうか

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日本では、砂利とどろどろアスファルトを混ぜる過程を見たことがない。たぶん機械の中で混ぜるのだろう

トラクタ-が道路まで運ぶ

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工事現場と化した普段は牛の草を食む広場

青いフライシ-は、作業員の休息場

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焚き木 ネパ-ル語でダウラ

この白い塀、私が一階のフラットを借りている家、右側の鉄の扉から出入りする

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これは日本の道路工事と同じ。アスファルト舗装完成

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第8回

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第八回 アンナプルナヒマ-ル その八

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれた渓谷の、カリ・ガンダキ川沿いの自動車道路からつり橋を渡って、旧道の地元の生活道を歩いてみた。続いて又自動車道路に出て、タトパニ村まで貸し切りバスを止めて乗り込み、温泉地タトパニまでを写真で見てみた。

 今回は、タトパニ村から路線バスの乗り換え地ベニ町を経て、トレッキングの振出地ポカラまでを写真で見てみる。

 ベニからは路線バスに乗り換えてポカラ市までだが、ベニでは多くのタクシ-運転手に囲まれた。運ちゃんにポカラ、カティと尋ねる。カティパルサはネパ-ル語で「いくらですか」。すると1、900RSルピ-(1RS=1円)と値段の応え。

 私はネパ-ルで値段の交渉をしないことにしている。ネパ-ルでは特に日本人と見ると、特別に高い値段を吹っかけてくるからだ。ネパ-ルでの買い物やタクシ-乗車では、欧米人は最初からお金に厳しい態度を取っていて、あまり吹っかけるのを見かけない。日本人はお金で済むことなら、と、特にネパ-ルの物価が日本の数分の一なので、気にもかけていないのだ。

 私はタクシ-運ちゃんに1000RSと一言。すると、運ちゃんは1800と言い出す。いつものことで、互いに少しづつ増減額して中間の金額で手を打つのだ。私は絶対に交渉はしない。私はネパ-ル人ガイドと他のメンバ-を引き連れて、路線バスへと移動する。すると毎度のことで、運転手は駆け寄ってきてOK1000RS。私はネパ-ルではいつもこのようにしてタクシ-に乗車する。タクシ-メ-タ-で走る価格をだいたい知っているので、時にはメ-タ-値段よりも安く乗ることがある。ネパ-ルの経済をダメにしているのはたいがい日本人なのだ。日本人一人一人は、世界的には特段の金持ちではないのに。

私は、自分よりも貧しい人を見て、自分は幸せと思う比較幸福論は嫌いだ。

 ブログの話が横道を歩き出してしまった。元に戻して楽しいネパ-ルヒマラヤのトレッキングを写真で見てみる。

 

 

アンナプルナヒマ-ル ポカラ周辺の地形図

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温泉地レテ村から早朝に路線バスで出発

荷物はバスの上。赤いヤッケを着たポ-タ-。ジョムソンで雇って、これから徒歩で戻るのだろう。ネパ-ル人は3分の一か4分の一のバス料金なのでバスかも。バスパ-クに見送りに来てくれた。

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バスの中で。ネパ-ル女性の腕輪

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ベニ町のモモ屋さん。ネパ-ルのモモはギョウザのこと

モモ専門店では、小さなモモ10個で50~70RS

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1900RSを1000RSに値切ったタクシ-

約60kmの山道を1時間20分でポカラ市に到着

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ポカラ市リバ-パ-クホテル着

私がポカラ滞在で定宿にしている

サウジは日本で6年間、サウニは日本で7年間の出稼ぎ

日本で長女を出産

6年・7年間で貯めたお金で、ポカラの借地にホテル建設

ここで10年間営業し、貯めた資金を頭金にしてホテル新館建設。2014年新館完成

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ホテル旧館の手前に新館建設中

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ホテルのサウジ社長プラカシ・パンシィさんと

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ポカラ市内 山岳博物館

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ポカラ市のフェワ湖サイドの外人街からマチャプチャレ峰6993m

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羊の群れ ポカラ郊外で、お祭り近くになると街に売りに出る

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早朝 ポカラ郊外の丘サランコットでヒマラヤを眺める

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ポカラの食堂でお酒 トンバ

アワやヒエを麹で発酵させる

ストロ-で飲み、お湯をそそいで3杯くらい飲める

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お酒の元アワが見れる

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ポカラからカトマンドゥまではフライトで

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ポカラエア-ポ-ト

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第7回

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第七回 アンナプルナヒマ-ル その七

 前回は、アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに挟まれた渓谷の、カリ・ガンダキ川沿いの自動車道路伝いに下るトレッキングのカロパニ村2520mから下りながらを写真で見てみた。

 今回は自動車道路からつり橋を渡って、旧道の地元の生活道を歩いてみる。これがネパ-ルヒマラヤの本当のトレッキングの楽しさだ。

 

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水牛が飼われている。ここには6頭もいた

標高が高く涼しいが、昼間は直射日光で暑く水の中で涼んでいる

ネパ-ルでは、牛は第三の眼を持つシヴァ神の妻パ-ルヴァティ-神の乗り物。

牛は神ではないが、神の乗り物で神聖さは神と同等に扱われていた

水牛や標高3千m以上で飼われていヤクは牛と区別されている

水牛とヤクの混結牛はゾッキョと呼ぶ

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どこの家でもニワトリを飼っている

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養蜂の箱

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ブタも飼われている

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再度、旧生活道路から自動車道路に出て一本、一息

ここで、路線バスを待つ

私達は貸し切りバスを止めて強引に乗車

ここから徒歩なら3時間のタトパニ村まで

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道に戻ると羊

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ジ-プや路線バス

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貸し切りバス内

巡礼でムスタンかムクチナ-トの帰りだろうか

貸し切りなのだが、巡礼パ-ティのサウニ(女リ-ダ-)にチャッカリと乗車料金を取られた

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温泉の町タトパニ村  タト(暖かい)パニ(水)

温泉の場所が道路になって、少し湯船の位置が移動していた

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タトパニの温泉

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タトパニのバスパ-ク

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タトパニ村のホテル

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