koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第119回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十九目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第27回
マナカマナのケ-ブルカ-商売 

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真は27回目。
 カトマンドゥから西へ150kmのポカラに向かう途中の、標高1,385m丘の上にある村マナカマナのケ-ブルカ-の写真を見てみる。
 カトマンドゥからポカラに向けてプリティビ・ハイウエ-を約100km走ると、マルシャンディ川の対岸の丘へのゴンドラ麓駅がある。1998年開業の長さ3kmの標高差千mを約10分で運ぶケ-ブルカ-。
 この丘の上に17世紀に開設されたヒンドゥ-教寺院があり、多くの信仰者がケ-ブルカ-に乗ってお参り。ケ-ブルカ-開設以前は、ヒンドゥ-教のお祭りの時に多くの信者が登り2時間歩いて、お参りしてたのだろう。
 ケ-ブルカ-には、生贄のヒツジなどを乗せる専用ゴンドラ車もある。
 ネパ-ル国内には二か所のゴンドラを運営するケ-ブルカ-会社がある。ここマナカマナの他には、カトマンドゥ-盆地の南西方向のチャンドラギリにある。
 チャンドラギリは、標高2,550mの小高い山で、麓のタンコッタ村の麓駅から標高差千m距離2,500m、2016年にケ-ブルカ-が設置された。
 マナカマカ村もチヤンドラギリも、ヒマラヤのビユ-ポイントとして、観光客が一年中押しかけている。

 

カトマンドゥからポカラに向けてプリティビ・ハイウエ-を約100km走ると、マルシャンディ川の対岸の丘へのゴンドラ麓駅

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ヒンドゥ-教の神様への生贄を運ぶ専用のケ-ブルカ

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ヒンドゥ-教の神様への生贄のヒツジや鶏

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直ぐ近くのゴルカ町と同様に、オレンジ農園が多い

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f:id:koyaken4852:20200531101954j:plainネパ-ル最大で独占企業の通信会社のエヌセ-ル広告

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マナカマナ寺院

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豆(ダル)の乾燥風景 

ネパ-ルの定食ダルバ-トのダルス-プになる

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ネパ-ルのバザ-ル 第118回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十八目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第26回
バンディプルのバザ-ルや商売 

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真は26回目。
 カトマンドゥから西へ150kmのポカラに向かう途中の、丘の上にある町バンディプル村の写真を見てみる。
 カトマンドゥとポカラを結ぶ自動車道路のプリティビ・ハイウエ-ができたのが1974年。それ以前のバンディプル村は、インドとチベットの交易中継地点の宿場町だった。おそらく中世時代からのことだろう。プリティビ・ハイウエ-から南の丘へ登ったところ。
 19世紀にカトマンドゥ盆地の住民ネワ-ル族が入り込み、現在の街並みはネワ-ル建築様式が多い。
 ここからのヒマラヤ・ビユ-は、西側からダウラギリとマナスル山域から始まり、アンナプルナやランタン・ヒマ-ルまで遠望できる、のだが、わたしが行った時には残念、雲に隠れていた。

バンディプルの街並み

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家の建築にレンガは欠かせない
竹籠のドッコでレンガを運ぶ

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ビンデャバシニ寺院

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寺院の名前が分からない

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ネパ-ルのバザ-ル 第117回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十七目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第25回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 八回目
カリガンダキ川沿いのタトパニ村のホテル・ヒマラヤ


 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も25回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地ムスタン郡の大河カリガンダキ川の村々の商売バザ-ル。
 今回は、カリガンダキ川のトレッキング出発地ジョムソンから、川を下る最終地のタトパニ村のホテル・ヒマラヤ。ジョムソンから徒歩速足で2日半間で、温泉の沸く村タトパニに到着。
 ここタトパニ村からは路線バスで、途中ベニのバスタ-ミナルで乗り換えてポカラへ向かう。
タトパニは「暖かい水」の意味
 ネパ-ル語で水のことを「パニ」。ガスコンロなどで湯を沸かすと、パニが「タトパニ」になる。お湯のこと。地中から沸き出でる温泉も、ネパ-ルではタトパニと呼ぶ。カリガンダキ川沿いでは、ただ一カ所ここだけ温泉が湧き出ている。
 ちなみに、ネパ-ルの首都カトマンドゥ市内の、在日本大使館のある地域の町名は「パニポカリ」。大使館の向かって直ぐ右隣がカトマンドゥ水道局。水道局のことをパニポカリと呼ぶ。
 わたしがここら辺のホテルの経営者なら、直ぐにこの温泉を利用して、ホテルのお風呂やシヤワ-に使い、また冬季間の寒い時期の暖房にも使用する。のだが、ここでは昔から露天風呂があるだけ。
 わたしは、初めてタトパニ村に宿泊したのが1991年。この時は、アンナプルナⅠ峰登山の帰りのキャラバンで一泊。そのご自動車道路ができてからも、2度宿泊通過。
ネパ-ルのチエックポスト
 タトパニに到着する少し前の村ガ-サ村には、ここを通過する外国人のチエックポストがある。
 チエックポストには、ネパ-ルの係官が常駐して、登山隊やトレッキングや旅行でカリガンダキ川沿いを訪れる、外国人のTIMS(Trekker's Information Management System情報管理システム)証書や国立公園入域許可書などをチエックする。
 外国人が通る国立公園や、登山許可の必要な山域には、必ずチエックポストがある。これには、ネパ-ルの観光事業の国庫収益が関係していて、ネパ-ルの大切な収入源なのだ。ここのチエックポストで通行手形のTIMS証書や国立公園入域許可書を持参していないと、ここで料金を徴収して発行するのである。ちなみに、TIMS証書F20USドルで国立公園入域許可書は2,000RSネピ-。1RS=1円。
 ネパ-ルには、これらの外国人相手の観光税みたいなシステムの他に、国道にもチエックポストがある。路線バス自家用車・タクシ-などのバイク・自動車は必ずチエックポスト通過時に料金が徴収される。20RSや30RSと安価。
 それと、カトマンドゥを出て郊外に向かうタクシ-も、特別なチエックポストに届け出が必要。このチエックポスト、朝の10時からでないと窓口が開かない。ネパ-ルの公務員の業務開始時間は原則10時だから。カトマンドゥしないから、10時前にタクシ-で郊外へ出かけるのはダメ。 ネパ-ル人の公務員は、朝食が9時から10時なので、家で朝食を食べてから仕事場に行くことになる。
 ちなみに、ネパ-ル人は一日二食。朝10時前後と就寝前の9時前ころに晩御飯。しかし、一日三食の諸外国の昼食にあたる12時には、ネパ-ルの役所の窓口が閉まるのは不思議。昼食は食べないのだが、おそらくチャイを飲む時間なのだろう。
 話しが横道を歩き出してしまった。タトパニのホテル・ヒマラヤの写真を見てみる。

 タトパニのホテル・ヒマラヤ

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カロパニからしばらく歩くとガ-サ村のトレッカ-のチェックポスト

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わたし達の許可書をチエックする係官

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ネパ-ルのTIMS制度(Trekker's Information Management System トレッカー情報管理システム・トレッキング登録制)写真 28mm×34mm

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ネパ-ル自然公園入園証 アンナプルナ自然保護地域許可書 

写真20mm×27mm

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タトパニのバスタ-ミナル

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f:id:koyaken4852:20200527205810j:plainジョムソンからタトパニまで荷物を背負って歩いてくれたポ-タ-

 

 

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次のバスタ-ミナルのベニ村まで

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路線バスの前の座席に座った女性の腕輪

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ベニのバスセンタ-にあるモモ屋(モモは餃子のこと)

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タトパニ温泉 1991年
まだ自動車道路がない時代で、トレッカ-や登山者で賑わう
水着がなく、日本人全員はパンツ姿で

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ネパ-ルのバザ-ル 第116回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十六目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第24回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 七回目
カリガンダキ川沿いのカロパニ村のスゥイ・ユ-・ロッジSEE YOU LODGとアンナプルナ1峰8,091m


 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も24回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地ムスタン郡の大河カリガンダキ川の村々の商売バザ-ル。
 今回は、前々回のベニ村から、トレッキングでカリガンダキ川を下りながら、自動車道路を離れて川の対岸につり橋を渡り、旧街道を一日歩くと、カロパニ村。
 このカロパニ村、カリガンダキ川左岸を歩き、つり橋を渡って右岸に辿り着くと直ぐ。つり橋を渡りきると、左前方に頂陵部分を真っ白な氷河に覆われた、8千m峰のアンナプルナⅠ峰を仰ぎ見ることができる。カロパニ村にはSEE YOU LODGと新築建築中のロッジあり。
 自動車道路があるのだが、徒歩のトレッキングでは、丁度前日のベニ村と川を下って一日行程のタトパニ村の中間点にカロパニ村がある。村といっても数件のロッジや民家があるだけなのだが。
アンナプルナⅠ峰Annapurna・8,091mのベ-スキャンプを襲う大雪崩
 アンナプルナⅠ峰は、わたしが1991年ポストモンス-ン季節にアタックした山。北海道隊がベ-スキヤンプからアドバンス・ベ-スキヤンプ移動し、C1目指している時だった。頂上に至るル-ト上のC2上部の登攀中の韓国隊が雪崩に遭遇。4名が行方不明。
 次いで、わたし達の隊も、C2からC3設営中に、下部のC1から荷揚げ隊3名が、鎌氷河からの懸垂氷河崩落雪崩に遭遇。3名が雪崩走路外へ走って逃げるが、一名が流される。完全にデブリに埋没するが、2名の声掛けコ-ル捜索で、雪中の埋没者が声を発し埋没地点判明し、掘り出して生存確認。
 雪崩死亡事故寸前で回避した。
 わたし達の登山隊は、事前に登攀中の危険があれば、登山中止して下山を確認していたので、ここで全ての登山活動を終了。
 しかし、まだ私たちへの危険が続いた。
 登山活動を終えて、ベ-スキヤンプへ集結した次の日の午前中だった。ベ-スキヤンプから北方向を見上げると、右側にアンナプルナⅠ峰の頂上。その左側のアンナプルナ北氷河の流れ下るその左上側の、ティリチョ・ピ-クTilicho Peak7,134m頂上直下に張り出していた懸垂氷河がグラ-っと傾くと、ほとんど垂直の壁を真っ逆さまに落下。
 この懸垂氷河雪崩は、急峻なティリチョ・ピ-クを落下する過程で、青氷が砕かれて猛吹雪で我々のベ-スキャンプを襲った。
 標高差約2,500mを落下する雪崩の速度は時速200kmを超えた。
 ベ-スキヤンプでのんびりと日向ごっこ中の隊員は、「ナダレダ-逃げろ-」の声に一目散。50mほど下部の岩場へ。岩の裏側に居る隊員たちの横を猛スピ-ドで、大雪崩が駆け抜けて行った。
 200km超えのスピ-ドが氷河からベ-スキャンプでスピ-トが落ちたといえ、テントのポ-ル3張がペチヤンコ破壊。テントの外に干してあった寝袋が一つ、宙に舞って行方不明。
 この雪崩を八ミリカメラで、寸殿の所まで撮影した隊員がいた。
ネパ-ル登山規則の変更
 1990年ころまでは、ネパ-ル・ヒマラヤの登山は、一シ-ズン・一山・一ル-ト・一隊の原則があった。ネパ-ルの登山規則で、わたし達がネパ-ル政府観光省登山局に登山申請したのは、1991年の3年前。その時はこの原則通りで、北海道隊の一隊だけがベ-スキャンプ入りの許可だったのが、1990年からダブルブッキングOK。わたし達がベ-ス入りした時は、他に韓国隊やスペイン隊など数隊が、一緒に登ることとなった。
アンナプルナⅠ峰Annapurna・8,091m
 アンナプルナⅠ峰は、世界の8千m峰14座の内10番目に高い。アンナプルナはサンスクリツト語で「豊穣の女神」の意味。
 アンナプルナ・ヒマ-ルは、ネパ-ルの北側のチベット国境に近いほぼ中央に位置し、東西50kmの山域。その山域には、第1峰から第2峰(7,937m)、第3峰(7,555m)、第4峰(7,525m)などの他にアンナプルナ・サウス南峰(7,219m)やマチャプチャレ峰(6,993m)・フアング峰(7,647m)・など十数座がある。
 ネパ-ルが130年間の鎖国を解いて開国した直後の、1950年6月3日、フランス隊モ-リス・エルゾ-グ隊長らが北面を初登頂。これは世界14座の8千m峰の最初の登頂でもあった。この登頂は無酸素登頂の快挙でもあった。
 モ-リス・エルゾ-グ隊長とラシュナルの二名も、下山中に鎌地形の氷河からの雪崩に遭う。モ-リス・エルゾ-グ隊長が両手の凍傷で、シェルパ達に担がれての下山キャラバンとなった。
冬季アンナプルナⅠ峰南壁登頂・群馬県山岳連盟隊
 アンナプルナⅠ峰南壁の初登頂は、1970年春にイギリス隊が初登頂。
 冬季に群馬県山岳連盟隊は、1984年~85年にアタックするが退敗。再度1987年~88年の冬期間に4名登頂。
 12月20日15時17分登頂。16時に登頂後の下山下降直後、比較的傾斜の緩い斜面で1人滑落。そして、19時過ぎの暗い中C4直前で1人滑落。「20時03分、アレッという声だけを残して転落してしまう。アイゼンが岩にこすれ、赤い火花が暗闇に散る。」2名の登頂隊員が滑落死してしまつた。
 冬季南壁初登頂の栄冠に下山中の二名滑落死亡事故。第二次アタック隊は中止。
参考資料 憧憬の白き壁・冬期フンナプルナⅠ峰南壁・群馬県山岳連盟

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f:id:koyaken4852:20200526133609j:plainカロパニ村近くのつり橋が地下ずくと道路標識が

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カロパニ村のSEE YOU LODG

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カロパニ村からアンナプルナⅠ峰と右のファング峰

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朝日輝くアンナプルナⅠ峰

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アンナプルナ1峰北面
頂上下部の氷と岩の模様
鎌の形をしたその上下の鎌氷河

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雪崩の様子

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f:id:koyaken4852:20200526134539j:plainニルギリ南峰6,839mのトロブギン峠からアンナプルナⅠ峰

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北海道隊

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北海道隊ベ-スキヤンプを襲う懸垂氷河雪崩

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アンナプルナⅠ峰ベ-スキャンプにある死亡事故の墓標

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ネパ-ルのバザ-ル 第115回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十五目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第23回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 六回目
カリガンダキ川沿いの農業と酪農

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も23回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地ムスタン郡の大河カリガンダキ川の村々の商売バザ-ル。
カリ・ガンダキ川 Kali Gandaki
 カリガンダキ川は、チベットとの国境に接するムスタン・ヒマ-ルを水源とし。流れ下ってエアポ-トのあるジョムソン村からの下流は、その右岸側にダウラギリ・ヒマ-ル・エリア、左岸側をアンナプルナ・ヒマ-ル・エリアの広大なヒマラヤ地域に挟まれて。ヒマラヤの氷河を溶かす小川から流れ下る、カリガンダキ川はその後お釈迦様の生誕地ルンビニのあるバイラワ市を通り、インドとの国境を越えて、インドのガンジス川へと到達する。
 ダウラギリⅠ峰8,167mやアンナプルナⅠ峰8,091mなどの8千m峰は、太古の昔1億6千年前にユ-ラシア大陸にインド亜大陸がぶつかり、60万年前の隆起で持ち上がったのが現在のネパ-ルヒマラヤを形成した。カリガンダキ川からは、古代の海のアンモナイト貝が見つかる。
 1985年にわたしの小学校1年と4年生の息子たちの、4人家族のアンナプルナ・トレツキングで購入したアンモナイトの写真も。
 今回の写真は、カリガンダキ川とその村々の農業などの様子を見てみる。

カリガンダキ川
アンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルを両脇に隔てる大河

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カリガンダキ川にかかるつり橋

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小川では子供たちが遊ぶ

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1985年、カリガンダキ川で採取され、購入持ち帰ったるアンモナイト

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ジョムソンのリンゴ売り 

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ジョムソン村のリンゴの苗木が植えられたカルカ
カルカは、動物が植物を食べに入らないような囲いをしたところ

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蕎麦畑と収穫

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トウモロコシ畑

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屋根の上で干すトウモロコシ

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牛の餌のトウモロコシを運ぶ

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干しトマト作り

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ジャガイモ

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鶏売り

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養豚

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養蜂

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 牛飼い ネパ-ルの水牛はヒンドゥ-教の「牛属」には入らない

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カリガンダキ川沿いの村々には、水道施設は稀

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ヤギ飼い
モンス-ン気候の雨期には、標高の高い3~4千m高原で放牧、10月のネパ-ルの最大の祭りダサイン大祭の生贄に売りに出される

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ネパ-ルのバザ-ル 第114回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十四目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第22回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 五回目
ベニ村のロッジとダウラギリⅠ峰

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も22回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地ベニ村へ。
ベニ村のロッジ・バザ-ル写真。
 ベニ村からのダウラギリⅠ峰8,167mの眺望は素晴らしい。ダウラギリ氷河が流れ下る、その真下から見上げる頂陵。そこに立つロツジが一軒。ロッジから数百mのところに数件の人家と食堂が建つ。この食堂の前に路線バスが停車する。
 「ネパ-ルのバザ-ル」の標題なのに、ネパ-ルヒマラヤの写真は、ちよっと違うかもしれないが、ここで回り道のネパ-ルヒマ-ルへ。ベニ村からのダウラギリⅠ峰について、少し調べてみたので、写真とその内容を見てみたい。
ネパ-ルヒマ-ル・ダウラギリⅠ峰・8,167m
 世界の8千m峰は14座。その中で一番高いのは8,8848mのエベレスト。ここダウラギリⅠ峰は世界6番目に高い山。
 このダウラギリⅠ峰の初登頂は、1960年スイス隊が北東陵から登頂。その前の世界8千m峰の初登頂したアンナプルナⅠ峰8,091mのスフランス隊が、ダウラギリⅠ峰への登路が分からず、カリガンダキ川を挟んだ向かいの山アンナプルナⅠ峰に転進した経緯がある。
 ベニ村から見上げるダウラギリⅠ峰は、その右側の右下へ流れ下るスカイラインが北東陵、で、左側に流れ下るスカイラインは南東稜。

ダウラギリⅠ峰南東陵
 1978年10月19日、群馬県山岳連盟隊が初登攀登頂。群馬県日本人19名とネパ-ルメンバ-23名、合計42名の大部隊が、フメリカ隊を含む数隊を撃退した南東稜に挑んで登頂。9月23日、キャンプ4からC5間の雪崩発生で3名と、登頂日の次の日にC4からC5への荷揚げ中に、一名が転落死し、4名の犠牲者を乗り越えての登頂だった。
北海道隊のダウラギリⅠ峰
 北海道のダウラギリⅠ峰登頂は、札幌北稜クラブ隊が1998年に登頂。この時に隊員のエゾ山岳会会員が無酸素登頂。
参考資料 北海道海外登山研究会資料集 峭峻の白き尾根DHAULAGIRI・Ⅰ――1978

 

ベニ村のロッジとダウラギリⅠ峰8,167m

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ネパ-ルのバザ-ル 第113回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百十三目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第21回
カリガンダキ川沿いのバザ-ルや商売 四回目
マルファ-村のチベット仏教僧院

 

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの西方、ネパ-ル西部地方のバザ-ル写真も21回目。
 カトマンドゥから西へ200kmのポカラから、自動車や飛行機で、アンナプルナヒマ-ルの奥地標高マルファ-村2,632mへ。
 マルファ-村のバザ-ル写真の3回目。
 今回は、チベット仏教僧院の写真。寺院の写真は、バザ-ルの写真ではないので、今回の113回の「ネパ-ルのバザ-ルや商売の写真」では取り扱ってこなかった。今回初めて寺院の写真を見てみる。カリガンダキ川沿い村々のバザ-ルは、ほとんどが旅行者のトレッカ-などへの商店で、地元住民相手の商店やス-パ-は皆無。なので、バザ-ル写真が少ない。それで寺院写真も、となった。
 日本では、諸宗教宗派が違っても、全ての宗教建物を寺院と呼んでいる。
ネパ-ルでは人口の79%の信仰であるヒンドゥ-教や10%チベット仏教の建物をテンプルと呼ぶ。しかし、このテンプルを日本語訳すると、何故かヒンドゥ-教テンプルは「寺院」に、チベット仏教テンプルは「僧院」と呼ぶ。異なる字を書いて呼ぶのか、なぜなのか誰か知る人がいたら教えてほしてものだ。
寺院と僧院
 国際的には、テンプル・Temple、は神殿や寺院・聖堂と訳されていて、仏像を安置して礼拝を行う施設や建物のことで、僧院は僧侶が住む建物と修道院のこと。なのだそう。
 寺院については、ネパ-ルも日本も同様なので分かります。寺院の別棟に僧侶がすんでいます。わたしが檀家になっている寺院は、お坊さんの住職の住まいと寺院は廊下で繋がっていて、一緒の一帯とも別棟ともとれます、が、住職の住む建物を僧院、とは呼んでいません。
 それでは、ネパ-ルのチベット仏教の建物はどうでしようか。わたとが観たところでは、確かに仏像のある建物とお坊さんの暮らしている建物は別棟です。しかし、チベット仏教に関しては、その両方の仏像のある建物と僧侶の暮らす建物、その両方を僧院、と呼んでいる様なのです。
 結論、ネパ-ルではヒンドゥ-教テンプルを寺院と呼び、チベット仏教テンプルを僧院と呼ぶ。のではないか。
 わたしが、チベットとの国境近くのネパ-ルで感じたところでは、エベレスト近くの村々やここネパ-ル・ムスタン郡のカリガンダキ川沿いのチベット仏教施設は、敷地が狭く仏像設置場所と僧侶の暮らす建物が一緒の所ばかり、の様なのだ。カトマンドゥ市内のスワヤンブナ-トやボダナ-トのストウ-パ(仏塔)近隣のチベット仏教施設は、敷地が広々として、確かに仏像安置建物の他に僧侶の宿泊施設が別々になっている。ここマルファ-村は、チベット仏教僧院と呼んでも良いだろう。

マルファ-村のチベット仏教僧院
GURUPANDITA ANAND MEDITATION MARPHA――MUSTAN

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岩にはオム・マニ・ペメ・フム

(わたしは泥の中でも美しく咲く蓮の花のようになりたい)

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チベット僧院の巨大マニ車

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マルファ-村からニルギリ連峰

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マルファ-村を通るドンキ-(ロバ)の商隊

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