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泊原発差し止め訴訟 札幌地方裁判所判決

泊原発差し止めをめざす訴訟 札幌地方裁判所の判決でる

 2022年5月31日、泊原発廃炉をめざす会が10年前に、札幌地方裁判所へ提訴した被告北海道電力泊原子力発電所の差し止めを求めた判決が言い渡された。

 5月31日午後3時ちょうど、札幌裁判所の805号法廷。

 谷口哲也裁判長は、判決主文を淡々と言い渡した。

 それは、原子力発電所の差し止め訴訟では画期的なもの。

 まず最初に、ここが肝心なとこで、「原子炉一号機ないし3号機の運転をしてはならない」。

 原告1201名の願いが勝訴の瞬間だった。法廷全体が一瞬ざわめく。傍聴席からは「やった」の声が。だが、この判決の行き届く範囲が、発電所から30km圏内の原告44人に限るとの内容。

 その他の原告の願い二点については、残念ながら棄却された。その一点は、泊原子力発電所で既に使用された使用済み核燃料の撤去についてと、他の一点の廃炉請求だった。

 しかし、使用済み核燃料の撤去請求では、「その危険性は認められる。撤去先について限定していない請求は、認められない」との内容。

 わたしは原告の一人だったので、当日の札幌裁判所の805号法廷について少し説明する。まず裁判所に集まった原告とその支持者たちは、裁判傍聴が目的。しかし、法廷は新型コロナの影響で傍聴席の数が普段の半分。今回は傍聴人が26席に限られた。集まったのは市民も含めて150人。なんと6人に一人しか傍聴できない。報道機関席も全国版なので抽選があったらしい。

 私の知る限りでは、集まった原告全員が抽選に外れてしまった。そこで私たちの原告の代理人である市川守弘弁護団長が動いた。法廷に急遽原告席が設けられる。

 法廷には、真ん中に谷口哲也裁判長とその両脇に亀井祐樹と木村大慶の裁判官三人が並び、原告代理人弁護士9人と一緒に原告11名、そして被告代理人弁護士が6名で公判裁判が始まる。午後3時、最初に裁判所係官から裁判開始が告げられ、まず最初の2分間はテレビカメラと記者たちのカメラ撮影。一分経過、あと30秒、あと10秒と告げられ、そして裁判長が「これから判決を言い渡します」で始まった。

 原告としては大勝利だつた判決だったが、原告代理人の市川守弘主任弁護士の説明で、次の様に解説した。

1.1~3号機を止める裁判所の判決としては分かり易く順当な判決。泊原発廃炉へ向   

  けてようやく第一歩を踏み出した。

2.原告の危険だの主張に、被告の北海道電力は安全だと言えなかった。

3.原子力規制委員会の代わりに応えた判決。

4.全国の原子力規制委員会の判断待ち裁判の島根原発訴訟と浜岡原発訴訟に良い影響を 

  与える。

5.細かい点で不満のある判決、なので原告側は控訴する。

 

 この原告代理人の市川守弘弁護団長、わたしは原告として二度この市川さんと訴訟を闘っている。その他にも一度市川さんの関わった裁判で、わたしが裁判長に意見書を提出。

 わたしが原告や裁判意見書提出で関わった三度の裁判は三連勝。

 そもそもこの泊原発裁判は、市川さんが原告を募って始めたもの。2011年3月11日の東日本大震災東京電力福島原子力発電所メルトダウンし壊れ、最悪の放射能放出。その反省で、広く北海道民に呼びかけて、北海道電力泊発電所をストップさせようしたもの。

 2011年春、北海道大学教授の小野有五さんの退官講演会が北海道大学で行われ、そこで小野さんと市川さんがタッグを組んで、泊原発を止めよう、と講演会参加者への呼びかけが行われた。

 その後、かでる2・7大会議室で訴訟提起説明会、そして地質学者の説明付きの泊現地視察などが行われて、2011年11月11日に札幌地方裁判所泊原発差し止め訴訟が提起された。

 ちなみに、わたしが直接裁判に関わったのは三度だけ。ちよっと振り返って見てみたい、が、この後が長くなりそうなので、一先ずはここまで。この裁判の前の2度の裁判は後日アップしたい。

 

札幌地方裁判所前 原告と支援者が集合場所の大通りから到着 2022年5月31日

泊原発差し止め訴訟判決・報告集会