ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百五回目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第13回
ポカラのバザ-ルや商売の13回目
ポカラの交通機関 第1回 バス
ポカラのバザ-ルや商売の写真も、13回目。
ポカラのフェワ湖Phewa Tal 湖畔一帯の外人街地域のバザ-ル写真やポカラ市内の見てみる。
今回は、外人街の主に外人が利用する路線バスと、ポカラに住むネパ-ル人の利用する路線バスの写真を見てみる。
ポカラ発着の路線バスは、主に三路線。その一路線は、ポカラ――カトマンドゥ間を往復する大型バス。他の一路線は、ネパ-ルの西方面のバイラワ市などを結ぶ路線。三番目は、15年前くらいに前に開通した路線のヒマラヤの山奥のジヨムソン町までの路線。
ポカラ発カトマンドゥまでは、安価な運賃のバスと最高に高い運賃・片道23USドルのグリ-ンライン・バスがある。
わたしは、ポカラまでの交通は、フライトや路線バスに加えて、ジ-プやチヤ-タ-の車の時もあつた。
一番最初にカトマンドゥからポカラをバスで往復したのは、1985年1月。わたしの小学校1年と4年生の息子、そして女房の4人と、北海道自然保護連合の事務局員の大学生3人を加えた7名の、アンナプルナヒマラヤ・トレッキングだった。
この時、ポカラからカトマンドゥへのバスでは、バス屋根上の大荷物と一緒に、わたしの息子2名とトレッキングガイド1名が乗り込み、途中の昼食タイムで停車するまで、バスの上を楽しんでしたのを想いだす。
ネパ-ルの西方都市バイラワからは、路線バスでポカラ入りしたのは2007年の4月だった。この時は、カトマンドゥからフライトでバイラワまで飛び、世界遺産地のお釈迦様生誕地ルンビニや、野生動物保護区のチトワンに寄り、ネパ-ル最西方のインド国境地を目指した帰りだった。
また、ポカラからヒマラヤの奥地ジョムソンへは、ポカラをタクシ-で出発、途中2度路線バスに乗り換えて約12時間かけてジョムソンに到着したのは、2009年だった。
ちなみに、カトマンドゥからポカラ間の自動車道路が完成したのは1974年。
ネパ-ルが130年間の鎖国を解いて開国した1950年以降、国際連合などの支援でネパ-ルの第一次5ケ年計画が始まったのが1956年。ポカラまでの自動車道路完成は、第4次五ケ年計画中だった。
開国した時点でのネパ-ルの自動車保有台数は、ほとんど無いに等しく政府高官や上流階級の玩具として保有されていたらしい。そのため、自動車道路は不要だったので、1952年に全土に道路606kmしかなく、1972年には3,175kmまで建造された記録が残っている。
1974年にカトマンドゥ――ポカラ間の自動車道路完成時に、日本人が初めて道路を自動車で通過したのは東京都山岳連盟ダウラギリⅠ峰8,167m隊だつたと思われる。隊が登山終了してマルファ-村からキャラバンでポカラ着すると、丁度道路が完成していたのだ。
ポカラ――カトマンドゥ間のグリ-ン・ライン・バス
料金片道23USドル
朝7時発、15時前後着
ポカラのバス停留所
比較的安い料金のバス発着場
1985年 家族トレッキング時のポカラ・バス
1985年当時のネパ-ル・トレッキングは一日三食コックを連れて
1985年 ポカラ・エア-ポ-ト前のホテルの庭
背後にアンナプルナ・ヒマ-ルの峰々