koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第84回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第八十四回
11、カトマンドゥ盆地内のバザ-ル 5回目
バクタプルのバザ-ル 四回目


 バクタプル地域のバザ-ル写真、4回目。
 今回は、バクタプルの世界文化遺産地域の3広場の、ダルバ-ル(王宮)広場やトウマディ-広場・タチュパル広場を結ぶ連絡道路沿のバザ-ル風景写真。
 バクタプルのほとんどの道路は、中世15世紀から造られたレンガを敷き詰めたレンガ道路。
次から次とレンカ道路がなくなる
 カトマンドウ盆地内の古い道路は、ネパ-ル特有のレンカを敷き詰めた道路が多い。それが、どんどんと無くなっている。
 1950年にネパ-ルが鎖国を解いて、初めて外国人がネパ-ル調査で入国。スイス人のトニ-・ハ-ゲンは、カトマンドゥの移り変わりを、貴重な文化遺産が失われて残念、と書き記している。最近のカトマンドゥ盆地の道路状態の変わり様には、わたしも残念に思っている。
バクタプ-ルとネパ-ル国王の歴史
 バクタプルは13世紀からカトマンドゥ盆地の中心都市だった。
 ネパ-ル国王の移り変わりの歴史を辿ってみる。
国王の歴史
 13世紀マッラ朝がネパ-ルを統治。この時からネパ-ル国王制度がの始まる。
 1450年頃、バクタプル王からカトマンドゥ国王が独立。
 1619年、カトマンドゥ王からパタン国王が独立し、三国時代となる。国王の息子が分家したのか、国王の兄弟が分家したのか、分からない。
 1769年、カトマンドゥから西に約100kmのゴルカ小国の、第10代ゴルカ王のプリトウビ・ナラヤン・シャハ王(1723~75/在位1742~75)が、、バクタプル国とカトマンドゥ国・パタン国の三国を攻め、ネパ-ルを統一。シャハ王朝時代の始まり。その後、2代シンハ・プラタ-プ・シャハ(在位1775~77)、3代ラナ・バハドゥル・シャハ(1775~1805/在位1777~99)にかけてネパ-ルの統一を実現する。

 

バクタプルの中世建築物一階に、ティ-・スパイス・ショップ

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ダルバ-ル(王宮)広場やトウマディ-広場・タチュパル広場を結ぶ連絡道路沿のバザ-ル風景写真。
レンガ道路で結ばれている

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