ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
16.バクタプルの王宮と寺院 31回目 タチュパル広場のダッタトラヤ寺院Dattatreya Mandir
前回は、バクタプルの3広場のうち、最後の一番東側のタチュパル広場への歩道の写真を見た。
今回は、タチュパル広場のダッタトラヤ寺院の写真を見てみる。
ダッタトラヤ寺院について少し調べてみた。
バクタプルの町が形成され始めたのが14世紀。
ダッタトラヤ寺院は、ネパ-ル語のデバナガリ文字ではदत्तात्रेय。
ヤクシャ・マッラ王の時代1427年に建立。1458年、ビシュワ・マッラ王が三層に増改築。
なんと一本の木から造りだされたと云われている、が、31年後の増築建設が行われていて、1427年新築時なら信じられるが。
寺院に祀られているのは、ヴィシュヌ神の化身のダッタトラヤ神。
ダッタトラヤ神はブッダの従妹いとこなので、仏教徒にとっても参拝礼拝の大切な寺院。なので、仏教徒とヒンドゥ-教徒の双方信者が訪れている。
寺院正面前の石柱には、上にヴィシュヌの乗り物である、背に羽のある空を飛ぶガル-ダ石像がある。
寺院入り口に、ニャタポラ寺院同様に伝説の戦士のジャヤ・マッラとパッタ・マッラ像の一対がある。
この寺院はもともと休憩所の役割だったらしいが、1958年に改築され、以降寺院になった。
増築されて3層になった寺院はヒンドゥ-教における三位一体の神ダッタトラヤを表す。
ダッタトラヤについて
ヒンドゥ-教の神のブラフマ-Brahmā(サンスクリット語ब्रह्मा)とヴィシュヌViṣṇu(विष्णु)・シヴァŚiva(शिव)の三神が一体となったのがダッタトラヤDattatreya(दत्तात्रेय)。
近世に入ってからのヒンドゥ-教の教義は、このダッタトラヤのトリムルティと呼ばれる三神一体論がある。
ここのバクタプルにあるダッタトラヤ寺院は、この三神からなるダッタトラヤ神を祀る寺院。
ヒンドゥ-教の教義三神一体論は、紀元前時代のインドで作られたブェ-ダ経典以降に確立。
仏教やヒンドゥ-教の歴史は、紀元前五~四世紀にヒンドゥ-教が顕在化。宗教としてのヒンドゥ-教は紀元後四~五世紀優勢であった仏教を凌ぐ。それ以後はインド全体の民族宗教として民衆に広く信仰される。
ヒンドゥ-教の三神一体論のトリム-ルティ
ヒンドゥ-教の最高神はひとつ、と考えられるが、教義では最高神が三つの役割「創造、維持、破壊」に応じて、三大神「ブラフマ-、ヴィシュヌ、シヴァ」として現れる。
三神一体(さんしんいったい)はトリム-ルティと呼び、ブラフマ-とヴィシュヌ・シヴァは同一、力関係の上でも同等。一つの神聖な存在から、機能が異なる三様の神になって現れる。これがヒンドゥ-教の理論だと云われる。
ブラフマ-、ヴィシュヌ、シヴァの三神は、宇宙の創造、維持、破壊という三つの機能を三人組という形で神格化されたものらしい。
1つの首から三つの頭が伸びる像や、1つの頭に三つの顔を持つという神の姿で現れる。実際に、古代遺跡発掘でこの姿の石像が見つかり、パリの博物館に収蔵されている。
ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神の集合呼称として「トリムールティ」。
この古代に近い紀元前に作られた言葉「トリム-ルティ」は、現在は「ダッタトラヤ」に変化。
ダッタトラヤ寺院
昔のダッタトラヤ寺院は、三層の屋根の下のスカ-トがなかった。
わたしは、勝手に寺院や仏塔の横断幕を「スカ-ト」と呼んでいる。
三層屋根のしたのスカ-トの無い時代
スカ-トが汚れて古い
寺院正面前の石柱には、ヴィシュヌ神の乗り物、背に羽のある空を飛ぶガル-ダ石像
ダッタトラヤ寺院の後ろ側
伝説の戦士のジャヤ・マッラ石像とパッタ・マッラ石像
ネパ-ルの寺院前には、付き物の鐘