ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その六十回目
カトマンドゥ市内の寺院と仏塔 その三回目
キルティプルの寺院や仏塔 その一回目
前々回からカトマンドゥ市内の寺院や仏塔の写真を見ている。
前回は、カトマンドゥ市内に散在する寺院や仏塔の写真を見た。
今回は、キルティプル Kirtipurの寺院群の写真を見てみる。
栄光の町
キルティプルは、カトマンドゥ中心街から南西へ5km。カトマンドゥの南側にバグマティ川を渡った所のパタン市があり、12世紀にキルティプルはパタンの衛生都市として小王国を築いていた。
キルティプルの名称の意味は、キルティ Kirti k の栄光と都市の意味のプル Pur で栄光の都市とか繁栄の都市と呼ばれる。
2011年6月の統計では6万7千人ほどの人口で、カトマンドゥ郡キルティプル町、カトマンドゥ盆地の先住民のネワ-ル族が多い。
ここキルティプルの寺院は、世界文化遺産に匹敵する時代物で、国王の住居跡を中心に、寺院や仏塔が取り囲んでいる。
昔の小王国も、1768年にゴルカ国のシャハ王に攻められ、カトマンドゥやパタンとバクタプルのサン王国と一緒に敗れてしまう。しかし、勇敢なキルティプル兵士は半年もの間、戦争攻防に耐え、持ち堪えた。
カトマンドゥ盆地の王国時代とネパ-ルの統一
13世紀マッラ朝がネパ-ルを統治する。国王制度の始まり。
1450年頃、バクタプル王からカトマンドゥ国王が独立。マッラ王の分家。
1619年、カトマンドゥ王からパタン国王が独立し、三国時代となる。マッラ王の分家。
1769年、第10代ゴルカ王のプリトウビ・ナラヤン・シャハ王(1723~75/在位1742~75)が、バクタプル国とカトマンドゥ国・パタン国の三国を攻め、ネパ-ルを統一が始まる。シャハ王朝時代の始まり。
キルティプルにトリブバン大学
キルティプルの寺院群は急傾斜地にあり、それを取り囲む様に道路がある。
カトマンドゥの街からは、中心街のシティ・バスパ-クでバスに乗りナヤ・バザ-ルで下車して、歩くことになる。ここは、国立の大学トリブバン大学の中央キャンパスがある。バスに乗車すると、男女の大学生が多く乗車していて、下車時には学生証を提示すると、バス料金が半額になる。わたし達は20RSルピ-だが、学生は10RS。1RS=1円。
トリブバン大学の「トリブバン」は、1950年にネパ-ルが開国し、1951年に亡命先のインドから戻って、王制復興した国王の名前。
カトマンドゥの国際空港もトリブバン空港と呼ぶ。トリブバン大学は、日本の東京大学に匹敵する大学。
チランチョ・ビハ-ル・仏塔 Chilancho Vihar
1515年に建立。
バス停から石畳を登った最初の仏塔。中央に高さ10mの目玉仏塔と周りに四基の仏塔(ストゥパ)に囲まれている。
キルティプルの入口 ナヤ・バザ-ルのバスパ-ク
カトマンドゥのシティ・バスパ-クから乗合バス
チランチョ・ビハ-ル・ストゥパ Chilancho Vihar
仏塔前のゾウ石像
獅子石像
小高い丘のキルティプルからカトマンドゥの住宅街
ネパ-ルの住宅は、鉄筋コンクリ-ト
日本の沖縄の住宅に似ている、沖縄は二階建てが多いがネパ-ルは三階・四回建