koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

#検察庁法改正案に抗議します

検察庁法改正案に反対します
衆議院検察庁法改正案が、自民党公明党が、コロナウイルス審議真っ最中にもかかわらず、火事場泥棒のように議案を提出。
三権分立の日本民主主義への挑戦。
わたしは、検察庁法改正案に抗議し反対します。
Koyaken

 

ネパ-ルヒマラヤ タムセルク峰6,608m

f:id:koyaken4852:20200513150552j:plain

 

ネパ-ルのバザ-ル 第106回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百六回目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第14回 
ポカラのバザ-ルや商売の14回目
ポカラの交通機関 第2回 飛行機・フライト

 

 ポカラのバザ-ルや商売の写真、交通機関の2回目。
 ポカラのフェワ湖Phewa Tal 湖畔一帯の外人街地域のバザ-ル写真やポカラ市内の見てみる。
 今回は、外人街の主に外人が利用する空港と、ポカラに住むネパ-ル人の利用するフライトの写真を見てみる。
 ポカラ発着の飛行機は、主に二路線。
 カトマンドゥからポカラの飛行と、ポカラからヒマラヤの奥のジョムソン村へのフライト。
 ジョムソンの飛行場は、ネパ-ルのエベレストエリアの玄関口ルクラ飛行場と似通っている。それは、飛行機のランニングバ-ンの短さ。フライトの離着陸に必要な飛行場の長さが短いため、少しの着陸距離と飛び立つ距離で済む飛行機体でなければならないのだ。ゆえに、小さな飛行機のみの離着陸、となる。
ネパ-ル国内フライトの、当日乗り継ぎは、NG
 ネパ-ルの首都カトマンドゥからアンナプルナ・ヒマ-ルの最奥地ジョムソン村へ行くには、現在では自動車でも行けるが、最速飛行機になる。
 フライト時間はカトマンドゥからポカラまでは、約30分。そして、ポカラからジョムソンへは20分ほどで着く。合わせて50分なので、一日でジョムサンまで行きたい、と思うのが普通。
 しかし、通常ネパ-ル国内線フライトの予約は、エ-ジェントに依頼する。それは、なるべく早朝の便を確保したいので、航空会社へ押しのきくエ-ジェント頼み。
 それが、そのエ-ジェントでもカトマンドゥ――ポカラ――ジョムソン、への当日乗り継ぎ便の予約はできない、という。
 まず、ジョムソン空港がカリガンダキ河の上流にあるエアポ-トで、日が当たる午後には、上昇気流で必ず強風が荒れ狂って、フライトキャンセルになる。そして、ネパ-ル国内線の飛行機全てが、プロペラ双発機で有視界飛行しかできない。雲の中に入っての操縦が無理なので、当然に前方に雲の広がりがあると、フライト途中でも引き返して、フライト・キャンセル。
 こんな訳で、カトマンドゥから一日でジョムソンへ行くのは無理、となる。
 2014年ポスト・モンス-ン季節だった。この一日でフライト乗り継ぎにチャレンジ。わたしのゲスト達が来ネし、ネパ-ル観光。皆、足腰に無理のきかない年齢で、だが8千m峰のヒマラヤを麓から仰ぎ見たい、欲張る希望。尚且つ、日本人なので、海外を長期間日程で遊び歩くのはダメ、家が心配。
 そこで私は、歩かないネパ-ルヒマラヤ・トレッキングを企画。全てフライトと車で周る短期間スケジュ-ルのアンナプルナ・トレッキング。
 エ-ジェントに4人分とガイド1人の5名分のフライト・チケットの予約を依頼。勿論、一日目はカトマンドゥからポカラへ。二日目にポカラからジョムソン、フライト。 ポカラのホテルは、わたしの定宿を自分で電話予約。
 サア-、二日に分けたフライトチケットで、当日乗り継ぎに挑戦。
 ポカラには午前9時過ぎに無事フライト・ランディング。
 予定にないフライトを、わたしがガイドに伝え。ガイドが次の日のフライト・チケットを持って、急いで空港カウンタ-へ交渉に走る。ガイドが戻ってきて、「急いでください、ジョムソン行きが飛び立ちます」、だった。
 なんと、次の日のチケットで、直ぐ飛び立つ飛行機に乗っけてくれるらしい。ポカラからの搭乗客がなく、ジョムソンから復路でネパ-ル人をポカラまで運ぶらしい、のだ。
 そんな訳で、飛び立つ直前のため、通常では搭乗客の預ける荷物の重量を測り、預ける手続きもなし。搭乗したお客へ配る耳栓や飴玉もなし。
 こんな訳で、カトマンドゥを出発した当日の午前中に、なんとジョムソン着。素晴らしい。その日のうちにヒマラヤ8千m峰のダウラギリⅠ峰8,167mを遠望。ポカラの定宿ホテルには、予約キャンセルを伝え、帰路の一泊予定を二泊に予約変更。
 ジョムソンでジ-プをチヤ-タ-予定していたのだが、シジョムソン村を観光していたら、ポカラ方面行の路線バスが、これも出発直前。5人が飛び乗り、つぎの目的地マルファ村へ。
 結局、最後までジ-プをチヤ-タ-せずに、次の日にダウラギリⅠ峰麓からピ-クを仰ぎ見、全て路線バスでジョムソン村に戻ることができた。歩かないネパ-ルヒマラヤ・トレッキングの完結。

ポカラ空港

f:id:koyaken4852:20200513143811j:plain

f:id:koyaken4852:20200513143839j:plain

ポカラ空港地到着

f:id:koyaken4852:20200513143904j:plain

次の日のチケツトで飛び乗ったポカラ→ジョムソンのフライト
機内は貸し切り状態

f:id:koyaken4852:20200513143957j:plain

f:id:koyaken4852:20200513144013j:plain

おんぼろ15人乗りプロペラ双発機の操縦席

f:id:koyaken4852:20200513144043j:plain

ポカラ→ジョムソンのフライト窓からヒマラヤ眺望 ニルギリ連峰

f:id:koyaken4852:20200513144109j:plain

ジョムソン空港
超小型の15人乗りプロペラ双発機

f:id:koyaken4852:20200513144221j:plain

ジョムソン空港からニルギリ・サウス北峰7,061m

f:id:koyaken4852:20200513144624j:plain

空港外のネパ-ル警察チエックポスト
国立公園入域許可書とトレッキング許可書のチエック

f:id:koyaken4852:20200513144700j:plain

ジョムソンから帰りの機内は満員

f:id:koyaken4852:20200513144730j:plain

ジョムソン空港離陸
ジョムソン村

f:id:koyaken4852:20200513144806j:plain

ジョムソン村リンゴ園の苗木

f:id:koyaken4852:20200513144841j:plain

ジョムソン→ポカラ着

f:id:koyaken4852:20200513144927j:plain

ジョムソン→ポカラ着
ジョムソンで採れた野菜をポカラで降ろす

f:id:koyaken4852:20200513144955j:plain

カトマンドゥ→ポカラ

f:id:koyaken4852:20200513145033j:plain

ポカラ→カトマンドゥ

f:id:koyaken4852:20200513145118j:plain

f:id:koyaken4852:20200513145127j:plain

 

ネパ-ルのバザ-ル 第105回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百五回目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第13回 
ポカラのバザ-ルや商売の13回目
ポカラの交通機関 第1回 バス

 

 ポカラのバザ-ルや商売の写真も、13回目。
 ポカラのフェワ湖Phewa Tal 湖畔一帯の外人街地域のバザ-ル写真やポカラ市内の見てみる。
 今回は、外人街の主に外人が利用する路線バスと、ポカラに住むネパ-ル人の利用する路線バスの写真を見てみる。
 ポカラ発着の路線バスは、主に三路線。その一路線は、ポカラ――カトマンドゥ間を往復する大型バス。他の一路線は、ネパ-ルの西方面のバイラワ市などを結ぶ路線。三番目は、15年前くらいに前に開通した路線のヒマラヤの山奥のジヨムソン町までの路線。
 ポカラ発カトマンドゥまでは、安価な運賃のバスと最高に高い運賃・片道23USドルのグリ-ンライン・バスがある。
 わたしは、ポカラまでの交通は、フライトや路線バスに加えて、ジ-プやチヤ-タ-の車の時もあつた。
 一番最初にカトマンドゥからポカラをバスで往復したのは、1985年1月。わたしの小学校1年と4年生の息子、そして女房の4人と、北海道自然保護連合の事務局員の大学生3人を加えた7名の、アンナプルナヒマラヤ・トレッキングだった。
 この時、ポカラからカトマンドゥへのバスでは、バス屋根上の大荷物と一緒に、わたしの息子2名とトレッキングガイド1名が乗り込み、途中の昼食タイムで停車するまで、バスの上を楽しんでしたのを想いだす。
 ネパ-ルの西方都市バイラワからは、路線バスでポカラ入りしたのは2007年の4月だった。この時は、カトマンドゥからフライトでバイラワまで飛び、世界遺産地のお釈迦様生誕地ルンビニや、野生動物保護区のチトワンに寄り、ネパ-ル最西方のインド国境地を目指した帰りだった。
 また、ポカラからヒマラヤの奥地ジョムソンへは、ポカラをタクシ-で出発、途中2度路線バスに乗り換えて約12時間かけてジョムソンに到着したのは、2009年だった。
 ちなみに、カトマンドゥからポカラ間の自動車道路が完成したのは1974年。
 ネパ-ルが130年間の鎖国を解いて開国した1950年以降、国際連合などの支援でネパ-ルの第一次5ケ年計画が始まったのが1956年。ポカラまでの自動車道路完成は、第4次五ケ年計画中だった。
 開国した時点でのネパ-ルの自動車保有台数は、ほとんど無いに等しく政府高官や上流階級の玩具として保有されていたらしい。そのため、自動車道路は不要だったので、1952年に全土に道路606kmしかなく、1972年には3,175kmまで建造された記録が残っている。
 1974年にカトマンドゥ――ポカラ間の自動車道路完成時に、日本人が初めて道路を自動車で通過したのは東京都山岳連盟ダウラギリⅠ峰8,167m隊だつたと思われる。隊が登山終了してマルファ-村からキャラバンでポカラ着すると、丁度道路が完成していたのだ。

 

ポカラ――カトマンドゥ間のグリ-ン・ライン・バス
料金片道23USドル
朝7時発、15時前後着

f:id:koyaken4852:20200512124611j:plain

f:id:koyaken4852:20200512124624j:plain

f:id:koyaken4852:20200512124645j:plain

ポカラのバス停留所
比較的安い料金のバス発着場

f:id:koyaken4852:20200512124738j:plain

f:id:koyaken4852:20200512124750j:plain

f:id:koyaken4852:20200512124759j:plain

1985年 家族トレッキング時のポカラ・バス

f:id:koyaken4852:20200512124851j:plain

1985年当時のネパ-ル・トレッキングは一日三食コックを連れて

f:id:koyaken4852:20200512124944j:plain

1985年 ポカラ・エア-ポ-ト前のホテルの庭
背後にアンナプルナ・ヒマ-ルの峰々

f:id:koyaken4852:20200512125015j:plain

 

ネパ-ルのバザ-ル 第104回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百四回目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第12回 
ポカラ・レ-クサイド地帯のバザ-ルや商売の12回目
ポカラのレストランや食堂 二回目

 

 前回からポカラのレストランや食堂の写真。
 ポカラのフェワ湖Phewa Tal 湖畔一帯の外人街地域のバザ-ル写真を見てみる。
 わたしは、ネパ-ルの首都カトマンドゥ市内に借家を借りて住み、もう13年目。
 この間、ネパ-ルヒマラヤのトレツキングには数回、遊び歩いている。そして、たま-には、カトマンドゥから西に200kmのポカラ市にも、遊びに行く。
 一人で行くときもあり、女房と二人の時、友人達とも。
 その時のポカラのレストランや食堂の写真、二回目を見てみる。
ネパ-ルのレストランで牛肉は食べられるのか
 ネパ-ルはヒンドゥ-教徒が79%の国。ヒンドゥ-教と言えば、街の道路に寝そべっている牛が目に留まる。
 ヒンドゥ-教の3大神様の一人、創造と破壊の神シヴァの乗り物が牛。牛が神ではないが、神様の乗り物なので神聖な動物とされている。この牡牛の名はナンディ。
 現代のヒンドゥ-教徒にとつて、牛肉を食べるなど、とんでもないこと。毎日のように牛肉を食べる日本人には、想像することも叶わない。例えて言って分かってもらえると、日本人に絶対できないことの例えに「嘘ついたら針千本飲ます」、がある。これをネパ-ル人に例えるなら、「嘘ついたら牛肉食べさす」になる。分かったかな。
 ヒンドゥ-教について、その歴史を調べてみた。
 この牛肉を食べない歴史は、中世くらいまでは、どうも食べてたらしい、のだ。ごく最近までは、ヒンドゥ-教のカ-ストの最高位の家では、一階に牛を飼っていて、その牛乳を飲み、そして牛乳販売で現金収入を得ていた、らしい。
 住み込みの牛飼いを雇用し、カトマンドゥ市内の住宅の周りには、牛を飼うだけの牧草地の空き地があった。以前のカトマンドゥ盆地の様子は、ネパ-ル中から仕事を求めて労働者が集まる現在のカトマンドゥの様子では、想像できない。
 カトマンドゥ盆地に住む最高位カ-ストの多くは、氏を「シエレスタ」などのネワ-ル族。大地主が多く、一階が牛飼部屋などで、二階以上の住まいの台所の床は土床。この台所の土床の掃除に牛ふんが使われていた。牛の糞は草色がかっていて、香り、といっても良いほどの、悪い匂いではない。聖なる動物の牛の良い香りのフンで、聖水のある台所の床の掃除をするのである。
 ネパ-ルのヒンドゥ-教の「牛」は、日本のホルスタインや和牛をいう。
 牛には、その他に水牛などの種類があるが、ネパ-ルでは「牛」の種類には入らないらしい。ネパ-ルの4千m前後の高地に生息する「ヤク」も、ネパ-ルの牛属には属さない。ゆえに、ネパ-ル国内゛でヤクや水牛の肉を食しても、ヒンドウ-教の教義に反することにはならない、のだ。

昼食にポカラのレストランのサンドイッチ 

f:id:koyaken4852:20200511133554j:plain

f:id:koyaken4852:20200511133602j:plain

f:id:koyaken4852:20200511133618p:plain

バナナ・シエィク

f:id:koyaken4852:20200511133713j:plain

ポカラのレストラン、ビ-フステ-キ
ネパ-ルはヒンドゥ-教の国、現在では牛肉は食べられないハズ

f:id:koyaken4852:20200511133757p:plain

f:id:koyaken4852:20200511133806p:plain

空き地の草を食む牛たち

f:id:koyaken4852:20200511133857j:plain

f:id:koyaken4852:20200511133906j:plain

f:id:koyaken4852:20200511133928j:plain

ネパ-ルのヒンドゥ-教の牛に属さない水牛

f:id:koyaken4852:20200511134004j:plain

ネパ-ルのヒンドゥ-教の牛に属さないヤク

f:id:koyaken4852:20200511134030j:plain

 

ネパ-ルの新型コロナウイルス情報・第5回目

ネパ-ルから入った新型コロナウイルスの情報、その五回目。
 ネパ-ル政府は、5月7日付でロックダウンを5月18日まで延長を。
 また、国内線、国際線全便の運行停止を5月31日(日)まで延長する、ことを閣議決定し発表した。
 3月から続くネパ-ルの全国市町村の都市封鎖は、続いて18日まで、続く。そろそろ新型コロナウイルスの一時収束の出口に向けての、5月18日なら良いのだが。外国人のネパ-ル入国停止は今月いっぱい続く。

カトマンドゥ・トリブバン国際空港着

f:id:koyaken4852:20200510141820j:plain

カトマンドゥ発韓国インチョン行き

f:id:koyaken4852:20200510141853j:plain

 ポカラ空港からカトマンドゥ行き

f:id:koyaken4852:20200510141923j:plain

 

ネパ-ルのバザ-ル 第103回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百三回目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第11回 
ポカラのバザ-ル 十一回目
ポカラ・レ-クサイド地帯のバザ-ルや商売の11回目
ポカラのレストランや食堂 一回目

 

今回からポカラのレストランや食堂の写真。
ポカラのフェワ湖Phewa Tal 湖畔一帯の外人街地域のバザ-ル写真を見てみる。
わたしは、ネパ-ルの首都カトマンドゥ市内に借家を借りて住み、もう13年目。
 この間、ネパ-ルヒマラヤのトレツキングには数回、遊び歩いている。そして、たま-には、カトマンドゥから西に200kmのポカラ市にも、遊びに行く。
一人で行くときもあり、女房と二人の時、友人達とも。
その時のポカラのレストランや食堂の写真を見てみる。

 

わたしのポカラでの昼食、のカフェ
ネパ-ルの美味しいバナナで作る、バナナ料理、バナナシエィク

f:id:koyaken4852:20200510111836j:plain

f:id:koyaken4852:20200510111843j:plain

ネパ-ルのレストランでお酒、トンバ
ネパ-ルのお酒は、焼酎のロキシ-、そしてこの粟とひえを発行させたトンバ、そしてチヤンなどある
トンバはお湯を注いでストロ-で飲む。お湯は3回くらいまではアルコ-ルが無くならない

f:id:koyaken4852:20200510111919j:plain

f:id:koyaken4852:20200510111925j:plain

f:id:koyaken4852:20200510111935j:plain

f:id:koyaken4852:20200510111948j:plain

f:id:koyaken4852:20200510111957j:plain

粟のお酒

f:id:koyaken4852:20200510112027j:plain

 

ネパ-ルのバザ-ル 第102回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第百二回目
12、ネパ-ル西部地域のバザ-ル 第10回 
ポカラのバザ-ル 十回目
ポカラ・レ-クサイド地帯のバザ-ルや商売の10回目
ポカラのホテルなど 三回目

 

 前回からポカラのホテル写真、三回目。
 ポカラのフェワ湖Phewa Tal 湖畔一帯の外人街地域のバザ-ル写真を見てみる。
 前々回からは、わたしが最近宿泊したホテルの写真。
わたしの最近の、ネパ-ルヒマラヤ・トレッキング
 2009年だつた。ポカラからアンナプルナヒマ-ルの最奥の村、ジョムソンまで自動車道路が完成。1991年にジョムソンまでフライトで行き、アンナプルナⅠ峰8,091M登山の時は、まだ道路工事も始まっていなかった。
 2007年からカトマンドゥに借家を借りて、ネパ-ル生活をはじめ。女房とヒマラヤ道路の話をしていて、それでは行ってみるか、となった。
 カトマンドゥからポカラまでの、グリ-ンライン・バスを直ぐに予約。とりあえず10日分の着替えなどザックに詰めて、バスでポカラ着。
 ポカラのバスタ-ミナルに着くと、ホテルの客引きが「今日の宿泊ホテルは決まっていますか」と強引な客引き。
 ネパ-ル暮らしの3年目、行き当たりばったりのアンナプルナヒマ-ルのトレッキングは。トレッキング・ガイド一人をエ-ジェントから借りて、の女房とのトレックの始まりは、ホテル客引きの、その気に乗ってのトレッキングが始まった。
 一泊一人10US$のロンリ-ゲストハウスから始まったアンナプルナトレッキングは、次の日早朝7時のタクシ-のチヤ-タ-。
 ジョムソン2,743Mまで、途中2度路線バスに乗り換えて、着いたのが日が沈んだ7時過ぎだった。帰路は往路の途中まで徒歩のトレッキングで引き返す。
 カトマンドゥ発着、行く帰る10泊11日の珍道中トレッキングの総費用は日本円にして7万5千円也。
 ガイドの給料も勿論、わたし達が手渡しで支払うなど、全ての費用が出たとこ勝負のトレッキング。普通は、トレッキングをパッケ-ジで企画実行してくれるエ-ジェンドに依頼。ガイドとポ-タ-を手配してもらう。ホテルやフライト・バスなどの予約なども、ガイドが行く先々で手配する。わたし達は何も手数をかけない、のが普通のパックめトレッキング。なのだが、わたしはネパ-ルの登山やトレッキングを一度もパックで行ったことがない。
 今回のトレッキング費用は、エ-ジェントに依頼して実行するのと比較して、三分の一程度。格安。
ネパ-ルの交通機関の料金、外国人は高い
 ネパ-ルの国内飛行機や路線バスを乗ると、隣などに座っているネパ-ル人の支払う乗車料金が安いのが分かる。なんとネパ-ル人は、わたし達外国人の半額以下。
 この時のアンナプルナトレッキングで、ジョムソンまで乗り換え2回の路線バスに乗車する料金は、当然ここら辺に住むネパ-ル人の料金の2倍以上は取られるはず。ところがだ、わたしと女房の二人分をネパ-ル人ガイドに買いに行かせた、ところ、3人分がネパ-ル人扱いの料金だった。
 まあ、わたし達2人は外国人なのだが、ネパ-ルに借家を借りて生活しているので、当然にネパ-ル人相当になるべく、なのだが。路線バスチケット売り場から、わたし達が丸見え状態なのに、私たち二人がネパ-ル人に見えたのだろう。ネパ-ルに暮らして3年目、顔はネパ-ル人と変わらないのだから、態度などネパ-ル人になりそう、なのだ。
カトマンドゥ市内の路線バス料金は、ネパ-ル人と外国人、同額料金
 カトマンドゥ市内では、3種類の路線バスが運行。
 電気自動車で横並びひざを突き合わせて子供は膝の上でも、10人しか乗車できないリンプ-(トゥクトゥク)と、トヨタのハイエ-スに30人は詰め込む路線バス。そして、大型バスの路線バス、の3種類。
 大型バスは停留所が決められている。それ以外のリンプ-とハイエ-ス・バスは、道路で手を挙げると停車、中でどこかを二度、ドンドンと叩くと停車して降ろしてくれる。
 今回は、ロンリ-ゲストハウスの写真と、トレッキング途中のヒマラヤ8千m峰二座。そして、ネパ-ルの路線バスの写真を見てみる。

ポカラでの強引な客引きホテルが、ロンリ-ゲストハウスの宿泊
ロンリ-ゲストハウス 

f:id:koyaken4852:20200505111413j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111421j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111433j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111439j:plain

アンナプルナⅠ峰 8,091m

f:id:koyaken4852:20200505111535j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111543j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111602j:plain

ダウラギリⅠ峰 8,167m
ジョムソン村から

f:id:koyaken4852:20200505111630j:plain

ベニ村から

f:id:koyaken4852:20200505111703j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111709j:plain

長距離バスのグリ-ン・ライン・バス

f:id:koyaken4852:20200505111742j:plain

カトマンドゥ市内大型路線バス

f:id:koyaken4852:20200505111812j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111823j:plain

トヨタ・ハイエ-スの路線バス

f:id:koyaken4852:20200505111853j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111901j:plain

電気自動車・リンプ-(トゥクトゥク

f:id:koyaken4852:20200505111931j:plain

f:id:koyaken4852:20200505111951j:plain

f:id:koyaken4852:20200505112002j:plain