koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第214回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 ドゥリケル町の寺院 四回目

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十四回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

18.ドゥリケル町の寺院 4回目 バグワティ寺院 hagwati andir

 前回は、ドゥリケル町に入ると直ぐに現れる、名前の知らない寺院、とネパ-ルの女性のお祭りチィ-ジュ祭の写真を見た。

 今回は、ドゥリケル町のバグワティ寺院の写真を見てみる。

 ドゥリケル町もカトマンドゥ盆地の他の市町村と同様、ネワ-ル族の村だった。

 ゆえに、街並のレンガを積み上げた建物や、レンガと木彫の華麗な建築の寺院など、15世紀以降のネワ-ル文化建築様式が残っている。

 

ドゥリケル町のバグワティ寺院 hagwati andir

ヒンドゥ-教のシヴァ神を祀っている

寺院入り口門の上にもシヴァ神

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第213回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 ドゥリケル町の寺院 三回目

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十三回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

18.ドゥリケル町の寺院 3回目 ドゥリケル町に入ると寺院

 前回は、ドゥリケルに入る少し手前にあるシヴァ神の像の写真を見た。

 今回は、ドゥリケル町に入ると直ぐに現れる、名前の知らない寺院。この時は、ネパ-ルの女性のお祭りチィ-ジュ祭真っ最中。街の女性が子供連れでお参り。

ティ-ジュ祭

 ネパ-ルのヒンドゥ-教の女性のお祭り、ティ-ジュ祭。毎年9月初に三日間行われる。

一日目、女性は沢山食べて、唄い踊る、ネパ-ルダンス。

二日目、断食してシヴァ神に祈りを捧げる。

 

ドウリケルの寺院と女性の祭りティ-ジュ祭

カトマンドゥからアルニコハイウエ-を東に走り、パナウティ-へ向かうT字路に入ると、すぐの寺院

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町の女性達は、サリ-など着飾って寺院へお参り

真っ赤な色のサリ-を着ているのは既婚女性

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大勢の女性が集まり、唄い踊る

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第212回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 ドゥリケル町の寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十二回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

18.ドゥリケル町の寺院 2回目ドゥリケル町手前のシヴァ神

 前回は、ドゥリケル町の寺院の写真第1回目を見た。

 今回は、バクタプルからアルニコ・ハイウエ-を通って、ドゥリケルに入る少し手前にあるシヴァ神の像。

 道路脇に子供が喜びそうな遊園地が現れる。すると、その上部の段々畑の上に、巨大な神像が出現。

 これがシヴァ神像。石造なのか銅像なのか、プラスチックではないだろう。

 日本には、奈良の大仏やら、札幌にも南区に数十m・百mに近い涅槃仏像があるが、ネパ-ルにあって単体のシヴァ神像としては、たぶん世界最大の大きさ、高さは43m。

シヴァ神

 ヒンドゥ-教の三大神様は、ブラフマ-神とヴィシュヌ神、そしてシヴァ神

 インドのサンスクリット語ではシヴァ神を शिव 。「シヴァ」のシは、内にすべてを擁するもの、の意味で、ヴァは優雅さを体現する物、の意味らしい。

 紀元前10世紀前、もう3,000年前の記述にシヴァ神が出て、紀元前1世紀~2世紀のクシャ-ナ朝の貨幣の金貨に姿が彫られている程の、大昔にヒンドゥ-教があった。たぶん、クシャ-ナ朝は現在のインドなのだろう。

 シヴァ神は破壊の神様だけれど、再生の神でもある。

 偶像の容姿は、第三の目を持ち、常に首に蛇をまき、芸術の守護神。

 シヴァ神の奥さんはパ-ルヴァティ-女神。この夫婦、日頃は中国のチベット西側にあるカイラカ峰に住んでいる。パ-ルヴァティ-神は山の神で、ヒマラヤ山脈を守っている。この夫婦の息子には、学問の神で顔が象のガネ-シャ神がいる。

 チベット語でカン・リンボチェと呼ぶカイラス山の標高は6,656m。山の形が男の性器に似ているらしい。ここら辺から、シヴァ神と男性器が信仰の対象と考えられる。

 シヴァは人と同じ姿が多いが、他にヒンドゥ-教徒の信仰の対象として、「リンガ」という形になっている。

リンガ

 シヴァの信仰の姿がリンガ。

 リンガの姿は誰にでもわかる。ネパ-ルでは石造りが多く、男のシンボルそのもの。

 わたしはネパ-ルで生活を始めてもう12年。多くの友人を観光地などに案内している、が、特に女性から尋ねられると困る。カトマンドゥなどの世界遺産文化財の、王宮や寺院を巡って案内している最中に、リンガを「これは何」と質問される。本当に返答に困る。

 ネパ-ルの寺院は多く、ほとんどの寺院にこの「リンガ」が祀られ、老若男女が熱心にお詣りする。質問の答えとして、男性のおちんちん、とはなかなか説明ができないでいる。それも、男女の性器がセットになっている。

 円柱がそそり立つ姿で、どこの寺院にもあるのがこの円柱のリンガ、ヨ-ニと呼ばれる注ぎ口の付いた円盤の形をしたその真ん中から垂直にそそり立つ。

 このヨ-ニはシャクティ女神を象徴化したもの。ようするに男女の性器が重なったものが、どこにでもある。

 どうして奥さんのパ-ルヴァティ-女神の性器でなく、妻以外の他の女神のシャクティ女神なのか。誰か分かる人がいれば、教えてほしい。

 

ドゥリケル町手前のシヴァ神

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道路脇のシヴァ神のある下方に遊園地

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リンガとヨ-ニ・パシュパティナ-ト寺院広場

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リンガとヨ-ニ、隣にシヴァ神の乗り物の牡牛ナンディ・パシュパティナ-ト寺院広場

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シヴァ神とその左側に奥さんヴァティ-女神と象の顔の息子ガネ-シャ神・パシュパティナ-ト寺院広場

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シヴァ神 後ろに乗り物の牡牛ナンディ・カトマンド王宮広場

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リンガをお参り、ここにもシヴァの乗り物のナンディ・カトマンドゥのメイピ-神社

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第211回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 ドゥリケル町の寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十一回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

18.ドゥリケル町の寺院 1回目カ-リ-寺院 Kali andir

 前回は、チャング・ナラヤン寺院の五回目で最終回。ネパ-ル全土を襲った2015年4月25日午前11時56分発生の、ネパ-ル大地震の影響の写真を見た。

 今回からは、ドゥリケル町の寺院の写真を見てみる。

 段々とカトマンドゥ市内から、東側に遠ざかって、カトマンドゥ盆地の東端。

 ドゥリケル町は前回までのチャング・ナラヤン寺院へ辿る道路の、バクタプル市から更に東へ約13km。アルニコ・ハイウエ-途中のT字路にある町。標高は、カトマンドゥよりも150m高く1,500m。

 街は古都でレンガ積みの家々が並ぶ。

 ドゥリケル町はカトマンドゥから約32km。路線バスにのって55RSルピ-。1RS=1円。

カ-リ-寺院 Kali andir

 寺院への階段前の門へ行く前に、大きな駐車場。

 そして、長い階段を上ると、10年前には建物は無く、ヒンドゥ-教の神石像があった。

 現在は丘の上に、ヒマラヤのビユ-ポイントなので、4階建ての展望施設が新しく建築されて、チケット売り場と、水や菓子などを販売する雑貨バザ-ル売店の3建物が新築されたらしい。

 カ-リ-寺院は、現在100RSの入場料をとるらしい。

 わたしがドゥリケル町を最初に訪れたのは、もう10年以上も前のこと。ネパ-ル兵隊が駐屯する丘の上の、ただ一つのヒンドゥ-教神石像が鎮座していた。

 ドゥリケル町は、カトマンドゥ盆地の最東の町。ここから盆地を取り囲む小高い山へ登ると、ナモ-ブッタへ辿り着く。ナモ-ブッタの写真は後日見てみる。

 

ドゥリケル町近くの小高い丘の上にヒンドゥ-教カ-リ-寺院 Kali andir

丘の上に登る階段前の寺院入口門

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カ-リ-寺院のある丘の上からドウリケル町

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2008年ドゥリケル丘の上 ヒンドゥ-教神石像

このころ、入場料はなくお賽銭箱

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第210回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 チャング・ナラヤンの寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

17.チャング・ナラヤンの寺院 6回目

 前回は、チャング・ナラヤン寺院の五回目。チャング・ナラヤン寺院のネワ-ル文化様式建築の写真を見た。

 今回は、チャング・ナラヤン寺院の五回目で最終回。

 ネパ-ル全土を襲った、2015年4月25日午前11時56分発生の、ネパ-ル大地震の影響の写真を観てみる。

 

2015年4月25日の地震前と地震後のチャングナラヤン寺院

地震前の周囲の建物はレンガ積みの二階建て

地震でぐるっと周りに建ってた二階建の二階部分が崩落

地震後のチャング・ナラヤン寺院は、レンガ積みのレンガが一部ヅレたため、余震を恐れてつっかえ棒

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2015年4月25日の地震後のチャングナラヤン寺院

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015年4月25日の地震 

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2015年4月25日の地震

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 2015年4月25日ネパ-ル大地震で二階部分が崩落

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チャングナラヤン寺院の周りの建物、地震前は二階建てだった

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第209回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 チャング・ナラヤンの寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百九回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

17.チャング・ナラヤンの寺院 5回目

 前回は、チャング・ナラヤン寺院の四回目「ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像」の写真を見た。

 今回は、チャング・ナラヤン寺院の五回目。チャング・ナラヤン寺院のネワ-ル文化様式建築の写真を観てみる。

 

ネパ-ルのネワ-ル文化建築様式

豪華絢爛なネパ-ルの建築の特徴は、まず階塔建築と木彫芸術。

ネパ-ルの中世、15世紀末頃からのネパ-ル様式建築。

 壁はレンカ積みで、窓と出入り口は木彫を施した木造り。各階の境にも華麗な木彫の木造。

 中世ネパ-ルの彫刻家たちは、硬いネパ-ルの木に細かい格子模様や神々の姿を描いた。

王宮や寺院の上にある階塔望楼型建築は、王権の象徴。

ヒンドゥ-教寺院は、日本の仏教寺院と同様、三層・四層・五層の塔建築。

 ネパ-ルの王宮や寺院の塔建築の独特の様式は、ネパ-ル語でトゥンダ-ルと呼ぶ、屋根の軒先を斜めに支える木製の「方杖」。長さはほぼ4m、幅0.5m。軒先の2m間隔で並んで付けられている。この方杖の特徴は、その一本一本に華麗に色彩された男神や女神の彫刻。彫刻は様々で、先手観音の手が何本もある物など。これらの木彫芸術は、魔よけと豊穣の豊作願。

 

ネパ-ル語でガジュ-ル

 金属製の屋根の頂にある先の尖ったもの。天から神様が降り立つ目印になる。金色のベル形や壺形・相輪・宝珠などの形が組み合わさっている。本尊のヴィシュヌ神の武器である三叉戟(さんさげき)が立っているものもある。

ネパ-ル語でドバシャ

 屋根のテッペンから軒下に垂れ下がっている帯状の飾り、神仏が降り立つ道標・道筋。

ネパ-ル語でト-ラナ

 入り口の扉や窓の上に飾られる、扇型の半円形の木板や金属。

 仏像や神・獣が刻まれ、神と仏が中央に彫刻。

ネパ-ル語でトゥンダ-ル

 軒先を支える方杖(ほおづえ)。

 王宮や寺院に見られ、寺院に祀られている神に関するさまざまな神獣や神像が彫られている。

 

参考資料

在ネパ-ル日本大使館・ホ-ムペ-ジ

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル 地球の歩き方

カトマンドゥ・デイ・ドリ-ム 佐々木幹郎

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

ネパ-ルの秘境ムスタンへの旅 ジュゼッペ・トゥッチ

ネパ-ル アジア読本 

NPO法人 DTACネパ-ル観光情報局

 

丘の上のチャングナラヤン寺院から見下ろす

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チャング・ナラヤン街の駐車場

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チャングナラヤン前のビナヤク・レストラン

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チャング・ナラヤン寺院はネワ-ル文化様式建築

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ドバシャ 屋根のテッペンから軒下に垂れ下がっている帯状の飾り、神仏が降立

つ道標・道筋

f:id:koyaken4852:20190526114945p:plainネパ-ル語でトゥンダ-ル 軒先を支える方杖(ほおづえ)。

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ネパ-ル語でト-ラナ

入り口の扉や窓の上に飾られる、扇型の半円形の木板や金属。

仏像や神・獣が刻まれ、神と仏が中央に彫刻。

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お祭の山車

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第208回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 チャング・ナラヤンの寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百八回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

17.チャング・ナラヤンの寺院 4回目

 前回は、チャング・ナラヤン寺院の三回目の写真を見た。

 今回もチャング・ナラヤン寺院の四回目。

 前回寺院周りの神石像や碑文古文の石版の写真を見たが、中に「ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像」の写真があった。

 この石像、ネパ-ルの紙幣10RSルピ-札の表に印刷されている。

 現在のネパ-ルの紙幣の表には、エベレストが印刷されている。2008年まで1769年から240年間続いたネパ-ル国王制度時には、紙幣の表は国王。

 紙幣に印刷されていたエベレストの前は、シャハ王朝国王マヘンドラ国王。その前はビレンドラ国王の写真が印刷されていた。

ネパ-ル絶対君主の終焉

 我が国日本と少し似ているかもしれない。我が国は、明治維新以降1945年の敗戦まで、神としての天皇主権全体主義体制だったが、ネパ-ルもヒンドゥ-教と国王の国王主権体制だった。

 ネパ-ルでは、1990年ネパ-ル憲法制定時まで国王体制とヒンドゥ-教教義違反罰則制定法の国だった。特にヒンドゥ-教のカ-スト違反の罰則は、最高刑死刑。

 1990年以降、国王によるク-デタ-が2回に及んで、ネパ-ル国民と議会が一挙に民主化を進めた。2007年暫定憲法制定と、2008年制憲選挙に至って、議会が王制廃止・国王退位・追放を決議。

ビレンドラ国王銃殺事件

 2001年6月1日、ナラヤンヒティ国王宮殿において、デイペンドラ皇太子が国王と王妃、姉と弟、国王の姉二人、10人を拳銃で殺害。自分は自殺。

 国王は、ビレンドラ国王からギャネンドラ国王に交代。

 事件当時ギャネンドラ王子はポカラの王室施設に滞在中、と、皇太子の選んだ結婚話に国王が反対していた、との報道がなされている。

 なぜか、わたしのネパ-ル人の友人達は、これらの諸々の事件の内容などを信じている人はいない。

 

ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像

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ネパ-ルの紙幣10RSルピ-札の表の中央に
ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像」の写真

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空飛ぶ羽根のあるガル-ダに乗るヴィシュヌ神

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ビレンドラ国王時代の10RS紙幣

ビレンドラ国王、2001年6月1日ナラヤンヒティ王宮内で、身内の銃弾に倒れる

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ギャネンドラ国王時代の10RS紙幣

ビレンドラ国王の弟、2008年制憲選挙後、国王退位

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カトマンドゥ ナラヤンヒティと呼ばれる王宮

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ダルバ-ルマルクと呼ばれる王宮前通り

2008年の制憲選挙の日、自動車の通行とヘリコプタ-の飛行が禁止

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