koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第207回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 チャング・ナラヤンの寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百七回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

17.チャング・ナラヤンの寺院 3回目

 前回は、チャング・ナラヤン寺院の二回目の写真を見た。

 今回もチャング・ナラヤン寺院の三回目。

 チャング・ナラヤン寺院の開基が、ネパ-ル最古のリッチャヴイ王朝時代の323年。古い歴史の寺院なので、寺院周りには多くのヒンドウ-教の神や動物神の石像がある。

 ヴィシュヌ神の化身ナラヤン神を祀っているので、ヴィシュヌ神像やその涅槃像。

 寺院正面に、ナラヤン神とそれに向かって合掌する、マッラ時代のブパティンドラ王と王妃の像。

 そして、その隣に背に羽のあるリッチャヴィ時代マンデ-ブ一世王の化身のガル-ダ像。

 寺院の周りには、古い文字の石版がある。

 ネパ-ルでは紀元前249年の文字が残されている。ブッタ生誕地ルンビニで、インドの王アショカ王が残した石柱。

 ここチャング・ナラヤンの石版は、そのルンビニに次ぐ古さかもしれない。

 

ネパ-ル・ルンビニの古代文字

ブッタ生誕地判明は、インドのアショカ王とチャイナの玄奘三蔵のおかげ

 釈迦の生誕の地ネパ-ル・ルンビニは、石柱が発掘された事で特定された。それまでは、お釈迦様の生誕地は、インドとネパ-ルの論争になっていた。

 石柱には、ここがブッダの誕生地であることと、石柱には紀元前249年と記され、古代文字のパ-リ語で「王よ、神々の友たるものよ、温顔なる君は、戴冠式20年の後に親しくこの地に来訪し、敬意を捧げた。この地こそ釈迦族の聖人、仏陀生誕の地なればなり。ブッダ生誕地を記念し、租税を8分の一に減免する」と記されている。

 租税を八分の一に免除することが古代文字で書かれていた。これによって、釈迦が伝説上の存在ではなく、歴史上実在したことが認められた。石柱に書かれているのはブッダ。 

 アショカ王(無憂(むう)王)は、ブッダの訪れた跡を辿って、紀元前249年と250年頃にルンビニと同時に、現在のカトマンドゥ市内パタンに4塚(仏塔)と、ボダナ-トやスワヤンブナ-トを建立。

 ネパ-ル・ルンビニ(ルンミンディ)とその近くのニガ-リ-サ-ガルの石柱は即位後20年の紀年が書き込まれ、アショカ王自身が仏陀生誕の地であるここに巡礼したことを記している点で、他の多くのインドにあるアショカ王碑文とは性格が違う、とされている。

 アショカ王石柱の発掘は、中国の唐の玄奘三蔵のインドへの旅を記した「大唐西域記」による、のでこれも歴史的な面白さがある。

大唐西域記」は、紀元629年から645年の17年間にインドや現在のネパ-ルの旅行記。旅行の目的は仏教の仏典の収集。

唐の玄奘三蔵は現在のネパ-ル・ルンビニを訪れ、アショカ王の建てた石柱を発見。石柱には、ここがブッダの誕生地であることと、租税を八分の一に免除することなどが古代文字で書かれていた、と「大唐西域記」に書かれている。雷が原因で石柱は折れていた。

 インド人アロイス・アントン・フュ-ラは、「大唐西城記」をもとに石柱を発見。

 1895年(96年)ドイツの探検家で考古学者のアロイス・アントン・フュ-ラは、唐の玄奘(げんじょう)(三蔵法師)が書き残した「大唐西城記」をもとにネパ-ル・ルンビニの藪の中で、詔勅文の刻まれた石柱の下部を発見。

 

チャング・ナラヤンの寺院

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ヴィシュヌ神石像

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ヴィシュヌ神がガル-ダ神に乗って空を飛ぶ石像

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世界遺産チャング・ナラヤン寺院の精巧なネワール彫刻

寺院本殿正面、ナラヤン神に向かって合掌するマッラ王時代のプバティンドラ王石像

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ビシュヌ神石像

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ビシュヌ神石像 涅槃像

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寺院の歴史か、王様一家の歴史か、古代文字の石文も

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古代文字か

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ネパ-ル・ルンビニアショカ王石柱

雷で折れた下半分が発掘

現在は再建修復

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春季北海道山岳雪崩安全セミナ-開催される

昨日5月22日札幌のりんゆうホ-ルにて、2019年春季北海道山岳雪崩安全セミナ-が開催された

 

開催要項

2019年5月22日(水)19時~21時(受付18時30分)
りんゆうホール札幌東区北9条東2丁目りんゆう観光3階

プログラム

1.『2月3日尻別岳で発生した雪崩報告と調査報告』~遭遇当事者の映像とともに振   り返る ~2月6日現地調査報告と共に中村雅樹(北海道雪崩研究会)が雪崩分析
2.『北海道の雪崩事故における埋没深について』松浦孝之(北海道雪崩研究会)
3.『北海道雪崩講習会上級実践クラスの活動報告』~基本・中級クラスからのステップアップ~工藤嘉高(北海道雪崩研究会)

 

 2月3日の尻別岳雪崩は、三人パ-ティで、ブログに「滑り」をアップが目的、とわたしは感じた。

 偶々、尻別岳南面がなだれた。そのため、なだれの動画のアップという、又と無い偶然動画となった。

 二人目が滑っている途中に雪崩を誘発、スキ-が上手だったので、なだれに巻き込まれなかった、との説明。ヘルメットに動画撮影カメラを付けていた。

 一人目の滑走者は、下部で動画撮影中、雪崩の雪煙を観て、避難。

 三人目の滑走者が、セミナ-報告者で、二人目の滑走者の安全を確認後、なだれ走路を避けて滑っている。

 わたしが驚いたのは、この後、登り返して、他の東斜面を再び滑走していること。

今回報告した人は、家庭持ち。

 雪崩事故は、本人死亡。家族は路頭に迷う。

 ブログにアップする動画の価値と、命を失う危険が、一人の頭脳と心で天秤にかけられていない、この危うさ。

 驚くビックリポンよりも、怒りだ。

 セミナ-の開催理由が改めて見つめられ、今回の開催が実り多かった、と考えている。

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第206回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 チャング・ナラヤンの寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百六回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

17.チャング・ナラヤンの寺院 2回目

前回は、チャング・ナラヤン寺院の写真を見た。

今回もチャング・ナラヤン寺院の二回目。

 駐車場に到着すると、地元の住民やお土産屋が通路の両脇に並ぶ、約300mくらいの奥の丘の上に、寺院の頭が望める。

 

チャング・ナラヤンの寺院

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バクタプル市内からレンガ工場などの田舎を抜けてチャング・ナラヤンへ

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小高い丘の上のチャングナラヤン寺院町

街は駐車場から始まる

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チャング・ナラヤンの300mくらいの街、この門から始まる

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チャング・ナラヤン寺院入場券 2013年当時は100RSルピ-だった 現在は入場料300RS

博物館入場券

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チャング・ナラヤンの街

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お土産屋タンカを描く

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ここもお土産屋のお面屋さん

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チャング・ナラヤン住民は穀物の収穫

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すずらん開花

猫の額ほどの庭にすずらん満開

雪解けと同時くらいに、庭にたくさん芽を出したスズランが、満開の花を咲かせた。

スズランはユリ科君影草・キミカゲソウやドイツスズランと呼ばれているらしい。

 

すずらん

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第205回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 チャング・ナラヤンの寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百五回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
17.チャング・ナラヤンの寺院 1回目
 前回は、バクタプル市内タチュパル広場のプジャリ・マ-トの写真を見た。前回まで35回の写真で、バクタプルの王宮と寺院の写真は終了。
 今回は、バクタプルからほぼ北方へ6kmのチャング・ナラヤン寺院の写真を見てみる。
 チャング・ナラヤンは、1541mのカトマンドゥ市内より約200mほど標高が高い。カトマンドゥ盆地を見渡す、丘の上のチャング・ナラヤン寺院。
 寺院開基は、ネパ-ル最古でリッチャヴイ王朝時代の323年、だが、一度破壊されて1702年再建建築。
 古い歴史ある寺院なので、寺院周りには多くのヒンドウ-教の神や動物神の石像がある。ヴィシュヌ神像や涅槃像まで。寺院正面に、ナラヤン神とそれに向かって合掌する、マッラ時代のブパティンドラ王と王妃の像。
 そして、その隣に背に羽のあるリッチャヴィ時代マンデ-ブ一世王の化身のガル-ダ像。
 寺院の周りには、現在ネパ-ルで使用されているお金の10RSルピ-紙幣に印刷されている、ガル-ダに乗ったヴィシュヌ石像。
 ここチャング・ナラヤンは、カトマンドゥ盆地の一つとして世界文化遺産に登録されている。1979年国際連合ユネスコ世界文化遺産登録された。
カトマンドゥ盆地内の世界文化遺産は7ケ所
① パシュパティナ-ト寺院広場
ハヌマン・ドカ(猿神と門=カトマンズ旧王宮広場)
③ パタン旧王宮広場
④ バクタプル旧王宮広場
⑤ スワヤンブナ-ト仏塔
⑥ ボダナ-ト仏塔
⑦ チャングナラヤン寺院


チャング・ナラヤン寺院

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アマドコロの花満開

庭のオオアマドコロの花が咲く

 お隣の敷地の境に、2茎があったアマドコロを、猫の額ほどの庭に移したのが、数年前。

 今年は、10本ほどの芽をだし、スズランを大きくしたような花が、丁度満開に。

 アマドコロを少し調べてみた。

 植物のアマドコロは、属名をキジカクシ科ナルコユリ属(アマドコロ属)で、多年草

 和名ではアマドコロ(甘野老)で、その他の名前をナルコラン(鳴子蘭)。中国名は玉竹(ぎょくちく)。

 春先の新芽は食べられるそうだが、花は毒があるらしい。

 

オオアマドコロ

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上にアマドコロ

下がすずらん

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ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第204回     カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔 バクタプルの王宮と寺院

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百四回目

カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔

16.バクタプルの王宮と寺院 35回目 タチュパル広場のプジャリ・マ-トPujari Math

 

 前回は、バクタプル市内タチュパル広場の名前の分からない2寺院の写真を見た。

 今回は、チュパル広場にあるプジャリ・マ-トの写真を見てみる。

 バクタプルの王宮と寺院35回、今回が最終回。

 このプジャリ・マ-ト、15世紀ヤクシャ・マッラ王時代に建立。1763年ラム・ダッタ・ギリ僧侶が改築。

 ヒンドゥ-教僧院だったが、現在は木彫博物館。

 長広い建物の中間に孔雀の窓がある。この孔雀の窓は、ネワ-ル族の木彫刻工芸美術の傑作作品。ここの孔雀の窓と、近くの他に二つある。そして、お土産屋の店先にも、最近彫ったレプリカが多数飾ってある。

 注目の「孔雀の窓」は、羽根を広げた孔雀の周りに35羽の鳥が彫られている。わたしはこの鳥は鳩だと思う。中央のピ-コックと同じ形にも見える。そして、現在は35羽だが、右下側が一羽分欠けているので、以前は36羽だったのでは。他に悪魔や動物の彫刻。

 この建物プジャリ・マ-ト、さすがネパ-ルのネワ-ル建築文化らしく、多くの扉や窓の木彫刻が素晴らしい。

 

タチュパル広場のプジャリ・マ-トと孔雀の窓

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孔雀の窓があるプジャリ・マ-ト

丁度向いのお土産屋二階からがシャッタ-チャンス

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一階がピ-コック・ウインドウ、ハンドゥクラフトメセンタ-、の時もあった

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向のお土産屋の商品が

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偽物ではないが、二つ目の孔雀の窓

全体の彫刻が異なる

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これも、偽物ではないが、三番目の孔雀の窓

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孔雀の窓の向いのお土産屋、レプリカの孔雀の窓

他の木彫刻と一緒に販売している

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大きなレンガ積みと、出入り口や窓枠の木彫刻芸術のプマリ・マ-ト(木彫美術館)

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