koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのバザ-ル 第78回

ネパ-ルのバザ-ル・商店街・商売 第七十八回
10、カトマンドゥ市内のバザ-ル 5回目


スワヤンブナ-ト・ストウ-パSwayambhunathのバザ-ル・商売 二回目

 前回から、カトマンドゥ市内西側、市内を一周するリングロ-ト近くのスワヤンブナ-ト仏塔のバザ-ル写真を見てる。
 今回は、二回目。
スワヤンブナ-トを少し説明
 スワヤンブナ-トは、カトマンズの西方にあり、400段に近い階段の丘の上に建つストゥーパ(仏塔)様式の仏教寺院である。
 現在はサルが多いことから「モンキーテンプル」とも呼ばれている。
 東南アジア最古の文化遺産
 全インドを最初に統一して帝国を築いたとされるアショカ王が紀元前約250年頃に建立。
 ストゥーバ(仏塔)の高さは9m、直径18mで大きな目玉が描かれている。四面についた目は森羅万象を見通す仏陀の目で「みすえる知恵の目」である。タルチョーの小布は、経文が刷られ黄、緑、赤、白、青の五色からなり、これらは黄が大地、緑が水、赤が火、白が風、青が大地で大宇宙を表わしている。この寺院からはカトマンドゥの市街が一望される。
 アショカ王の建設時は、単なる土饅頭の塚だつたので、後に四面目玉が作られ、タルチョ-の旗が添えられた。アショカ王は、ブッタ(釈迦)生誕地ルンビニ訪問の翌年にこの地を訪れ、カトマンドゥの隣のパタンにも4カ所の塚を建立。
 スワヤンブ-ナ-トは万物の創造者と言う意味。直訳すると「自存者寺院」。
 ブッタのシヤリラ(遺骨)が分骨された本物の仏舎利塔ではなく初念仏である。なおこの仏塔は正確にはストゥ-パではなく、マハ チャイテャ(大チャイテャ=塚)と呼ばれる。また仏塔の西北隅にある堂が、その形状からヒンドゥ-教寺院と勘違いされ、仏教とヒンドゥー教が共存している象徴として紹介されることがあるが、実はこれは鬼子母神堂(ハリティ)であり、仏教寺院であってヒンドゥ-教寺院ではない。 

 仏塔の墓室を開くことは禁じられている。1825年に頭部の宝珠を支える木製の支柱が嵐で割れ、交換のために開かれたが、仏塔の起源と建立年などを記した置物などを調べることをしていない。2015年4月25日ネパ-ル大地震で土饅頭が壊れ、この時にもまたとない調査チャンスを逃してしまった。

 

宝石や仏具・お面などのバザ-ル

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