koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの牛

 現在のカトマンドゥでは、旅行者が牛を見かけることはほとんどなくなった。 

 私はカトマンドゥの借家で暮らしているので、毎日のように見かける。ようするに道路ではいなく住宅街にはいる。

 昔は道路の真ん中で寝そべって昼寝をしていたくらいに、カトマンドゥ市内に多くの頭数がいた。好物の草のある住宅街には今よりも多くの牛がいたのだろう。多くの牛が生活できるくらいの草地の広さがあったといえる。1970年代以前はカトマンドゥ市内も今みたいに住宅が密集してなく、上位カ-ストの家の一階には牛部屋があつたと聞く。雌牛を飼育していた。台所は2階が普通だったようだ。

 ネパ-ルで牛というと水牛やヤクでない牛、見た目日本の乳牛や肉牛のこと。ホルスタインがネパ-ルでは牛という。水牛やヤクは牛ではない。ヤクが牛でないのは分かる。言葉で判断して。しかし、水牛と牛が違うことは日本人には分からない。ネパ-ル人が違うというのだから、ネパ-ルでは違うのだ。宗教や政治が異なる国には理解しがたいことがある。このことは突き詰めたり色々と調べたりすると、もっと分からなくなるので程ほどにしたほうが良い。

 ネパ-ルで牛はシバ神の乗り物で、ヒンドゥ教の宗教上神聖な動物。ネパ-ルでシバ神の絵を見るとほとんどが牛に乗っている。食べるなど、考えることでさえとんでもないこと。牛は神ではないが。

 昔のネパ-ルでは牛刑法があり、牛を傷つけたり殺したりすると罰せられた。牛を傷害すると懲役O年。

政教分離憲法でうたわれている国にはない法律で、固有の宗教のみを憲法にうたうことで牛刑法が成り立つていた。これは非常に大事なことで、憲法にうたうことは、そのことを国民に広め、定着させ、そして強制力を持たせるための法律の制定、と進むのだ。

 どこかの国の政権政党憲法に戦争を条文化しょうとしているが。

 1964年マヘンドラ王憲法から1990年ネパ-ル王国憲法までは、ヒンドゥ教の教えを一般国民の生活に根差すものとして、又強制力を持たせるための法律があった。牛刑法はほんの一例に過ぎない。この国ネパ-ルでは国会の政党や議員の民主化の声に押されて、国王がやむなく制定した1990年ネパ-ル王国憲法でさえ、その条文に・第5条 ネパ-ルはヒンドゥ教の・・・・王国である、としている。

 憲法に「ヒンドゥ教の国」と定義することは、全ての法律がヒンドゥ教の教えの範囲以内の条文となるのだろう。民法や刑法・商法などがヒンドゥ教の教えに反したら、これは憲法違反。少なくとも1990年まではそうだつた。一見法律の範囲内に宗教があるようだが、事実はさかさまになる。宗教の教義の範囲以内の法律制定となるのである。

 なんか中東の国にもなかったっけ。

ヒンドゥ教の教えの一つにカースト制度がある。牛の話に戻すと、比較的裕福な上位カーストの家の一階には牛部屋があり、雌牛を飼っていた。その牛乳は家の食卓に並んだし、チーズも作られていたろう。そして住み込みの下位カ-ストの牛飼いが居た。2階にあるキッチンの部屋は土間になつていて、牛のふんを土間の掃除に使用していた。普通は水でホコリや汚れを洗い流すが、水の代わりが牛のふん。

 馬や牛は草食動物でその糞は、見た目は別としてイヤな匂いはしない。カトマンドゥの裏の小道で毎日見かける糞は、ベチャっとして水っぽく緑味がかっている。科学的にも人間に悪い細菌はないそうだ。キッチンの床の掃除に使う、たぶんこれもヒンドゥ教の教えの一つなのだろう。

 キッチンはヒンドゥ教では水を使う神聖な場所。水は聖水だ。不可触カ-ストと呼ばれる最下位カ-ストの触った水は上位カ-ストは触れてはいけないことになっている。

 不可触カ-ストはキッチンを覘いたり見てもダメとされている。台所や便所を掃除するカ-ストもいた。

 ヒンドゥ教徒のカ-スト制度は世襲制だ。おじいちゃん・父親・子供・孫・ひ孫とその職業が受け継がれ、職業の選択はない。

 ネパ-ルで暮らして9年。いつかはヒンドゥ教について書かなければならないだろう。

 ヒンドゥ教の教えに男尊女卑がある。日本人の感覚の男尊女卑は職場の差別などの認識だが。ネパ-ルのヒンドゥ教世界の男尊女卑は、男が神、女は奴隷、こんな開きのある差別だった。

 あなたは今、嘘でしょうと考えていませんか。

 1990年からネパ-ルで吹き荒れた民主化の嵐が、このネパ-ルの男尊女卑をも平等に近ずけている。民主化にとって憲法から君主制を無くすことと、憲法からヒンドゥ教を無くすことは同位だったのだろう。

 民主化は進んだ。憲法も変わり罰則が無くなった。だが依然としてネパ-ル人の80%がヒンドゥ教徒で、その教義は宗教上今後も生きていく。

 空地の草を食む牛から話題が進み過ぎた。話をやめ様と思うが、もう一つ。

 スペインでは闘牛で牛を殺す。元々は作物の豊かな実りを祈って、神に牡牛を捧げたのが始まりと聞く。ヒンドゥ教徒はどう思っているのだろう。

もう一つ。牛肉を食べる日本人をヒンドゥ教徒は、馬鹿な下位カ-ストと思っているのだろうか。ネパ-ルの下位カ-ストでさえ食べないのだから、もう日本人はアウトカ-ストだ。

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