ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その十八回目
寺院と仏塔 その一回目
前回まで、ネパ-ルの王宮と寺院について、17回にわたってネパ-ルの王宮五か所の写真を見た。
今回からネパ-ルの寺院や仏塔などの写真を見てみる。
ヒンドゥ-教は他の宗教と仲良し
ネパ-ルはヒンドゥ-教の国。国民の80%がヒンドゥ-教徒。10%はチベット仏教徒で、他がキリスト教やイスラム教などの信者。カトマンドゥには、イスラム礼拝堂もある。
ネパ-ルのヒンドゥ教は、他宗教との共存が日常的なのが特徴と云えるだろう。現在では見かけないが例えば、ヒンドゥ-教の神様を祀ってある寺院では、隣にキリスト教のマリア様の像があったりする。
現在の数多くのネパ-ルのお祭りでは、他の宗教信者と一緒に祝う祭りが多い。
しかし、ヒンドゥ-教寺院とチベット仏教寺院は、全く異なる様式だし、それぞれの信者も異なるのはあたりまえ。
宗教寺院に祀られているのは神社に居るはずの神像
チベット仏教寺院に特徴的なのは、寺院の周りにタルチョ-の旗がなびいていたり、寺院内に必ずダライダマ14世の写真が飾られている。(チベット仏教のふる里のチベットでは、中国の法律でダライダマ14世の写真などの掲載が禁じられている)
また、ヒンドゥ-教寺院では、ここでは当たり前にヒンドゥ-教の神様の像が祀られている。
わたしはネパ-ルで生活し始めて11年目になった。ネパ-ルの宗教で不思議なこがある。それは、寺院なのに神様を祀ってあること。普通に考えると、寺院なら仏像ではないか。それが、神殿に飾られる神像があるのだから、どう考えたら良いのだろうか。神様と云っても、日本でいう仏像。この仏像の名前が・・・・神なのだ。例えば、ネパ-ル人が一番親しんでいる神様はシヴァ神。宗教なのに神や神像になる不思議。これも、ネパ-ルの不思議(面白い)のひとつ。
王宮を囲むようにヒンドゥ-教寺院群
第17回まで、既にネパ-ルの王宮の写真を見た。それぞれの王宮を取り囲む広場には、多くの寺院が建てられている。
1990年前後からネパ-ルの民主化が始まり、新暫定憲法制定後に議会の議決を経て2008年に国王が退位した。
民主化の当初は、憲法から国教のヒンドウ-教の削除を目指したのだろう。それに国王が抵抗した証拠に、1990年憲法には、それまでの国教規定を外す代わりに、「ヒンドウ-教徒の国王」を憲法に規定している。
その後、国王は議会と対決し、2度の国王ク-デタ-を起し、国会活動停止と国会議員の逮捕に及んだ。議会は国民にゼネラルストライキを呼びかけ、一気に民主化が進む。そして、最後に国王退位の議会決議に至った。
王宮とヒンドゥ-教寺院が一体だった理由が判明。
以後数回から数十回にわたって、ネパ-ル国内の寺院や仏塔の写真を見てみる。
13世紀マッラ王朝は、カトマンドゥ盆地初代国王のバクタプル旧王宮広場から、1450年頃分家のカトマンドゥ王宮と寺院群。そして、1619年三番目の分家のパタン王宮と寺院群。
1769年カトマンドゥ盆地3国王を戦争で勝利したプリトウビ・ナラヤン・シャハ王は、ゴルカの第10代国王だった。一度に寺院群を建設したのだろうか、国王が替る度に一棟づつ建てたのだろうか。
シャハ国王の末裔、最後のネパ-ル国王の王宮には寺院が隣接されていない。2009年に博物館となり、わたしも見物で一廻り見歩いた。5百メ-トル四方の広い敷地に52の部屋を持つ王宮だったが、どうしてヒンドウ-教寺院を建てなかったのだろうか。その代りに、祭りの度に近隣寺院へ国王が参拝している。
チベット仏教寺院の仏像とダライ・ダマ14世
ネパ-ルのヒンドゥ-教寺院の神様像
パシュパティナ-ト寺院はネパ-ル最大のヒンドゥ-教寺院
パタン旧王宮広場
パンチャ・ムクヒ・ハヌマン寺院は五重の円形屋根
ボダナ-ト 寺院ではなくチベット仏教の仏塔
パタン旧王宮広場の外のヒンドゥ-教寺院
ルドラヴァルナ寺院大僧院表門
パタン旧王宮広場の外のヒンドゥ-教寺院
マハボ-ダ寺院
パタン旧王宮広場のヒンドゥ-教寺院
左からタレジュの鐘 ハリ・シャンカ-ル寺院 ヴィシュワナ-ト寺院 ビムセン寺院
スワヤンブ・ナ-ト チベット仏教仏塔
バクタプ-ル旧王宮広場のヒンドゥ-教寺院
正面 パシュパティ-寺院
バクタプ-ル
左 ニャタポラ寺院 右 バイラブナ-ト寺院
カトマナンドゥ盆地内のヒンドゥ-教寺院
チャングナラヤン寺院