koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第48回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十八回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の九回目

 このブログの前回までの3回分は、エベレスト街道のトレッキングが、世界自然遺産エリアの入り口にかかったため、ネパ-ルの世界遺産について写真で見てみた。チトワン自然遺産、ルンビニ文化遺産カトマンドゥ盆地文化遺産など。

今回からは、ネパ-ルの楽しいトレッキング・エベレスト街道に戻る。

エベレスト街道の世界自然遺産管理事務所チュモア(chumoa)2950mから歩きだし、今日の宿泊地ナムチェバザ-ル(namche)3440mを目指す。

 

隠れ場所から初のエベレストを眺望する。

 チュモアからドウドコシ川をつり橋で渡り、そして標高差600mの急な登りを歩き始めると、チョツトしたポ-タ-達が一本取る場所がある。ポ-タ-が担いだ荷物を下に下ろすことをしなくとも良い腰掛けのある小広場。ここの奥から見上げると、エベレストの頂上を遠望できる。ここはネパ-ル人のガイドでも知らない秘密の場所。私の秘密の場所。

 エベレスト街道で初めてエベレストを観れるのは、ここの他にはナムチェから3時間ほど歩いたシャンボチェまで行かないとエベレストを見ることが出来ない。シャンボチェに着いた時に天候が悪くて、エベレストが見られなかったら、この小広場で見れるエベレストをぜひ写真に収めておこう。

遠望なのでカメラの望遠レンズが必要。

 日本発着9日間や11日間などのネパ-ルヒマラヤ・トレッキングでは、せいぜいナムチェの町までしか行けません。そこから高度障害で動けない人を置いて、3時間登ってエベレストを見る。これが普通の日本人のヒマラヤ・トレッキング。

 私がエベレスト街道のトレッキングをしたのは、まだサラリ-マンで会社の勤務がある時だったが、札幌の発着28組日間だった。

 会社を定年退職したリタイヤ-の人でも、これらの日本の旅行業者の企画する日本発着11日間や14日間のトレッキングにしか参加しないのは理解不能だ。そもそも、自分自身でトレッキングの日程予定を企画したり、どこを観て周るのかを考えたりしなくて済むパック旅行やパック・トレッキングのどこが良いのか、わたしには理解できない。これらの旅行業者の企画実行するトレッキングには、特に2840mにフライトするエベレストコ-スの危険には注意したい。

 

トレッカ-の高山病

 多くの日本人のトレッカ-が、このコ-ス・エベレスト街道で死亡している。ナムチェの次の宿泊地タンボチェ(tyangboche)3867mまで日本発着14日間のトレッキングなどに参加して高山病になるケ-スだ。

 ヒマラヤ登山の場合の死亡事故には、テレビや新聞で大騒ぎするのだが、なぜかトレッキングの死亡事故・遭難は掲載されない。日本のトレッキングを企画する会社は、死亡者を出した企画なのに、反省をしたのかどうか、毎年同じ企画で募集している。

 

高度順応のために連泊するナムチェバザ-ルへ

 普通のトレッカ-は、例えば札幌からエベレスト街道を歩く人達は、0mから歩きだし、フライトで2840mのルクラに降り立ったとしても、高度障害や高山病の症状を4千mで味わうことになる。最初の高度順応が必要なのが4千m前後。ここで高山病を発症するとアウト。この4千m以前の高度で順応して、楽に4千mを通過するために、最低限一週間の日数をかける。

 人間の体は高度に順応する様に造られているらしい。赤血球ヘモグロビンは情況によって二倍に増加する。身体が高度を感じると一気にヘモグロビンが増加する。札幌の0mからカトマンドゥの1350m、そしてルクラの2840mに身を置くと、身体は高度にビックリしてヘモグロビンを増加させる。4千mに近づくと増々だ。その速度は二倍まで一週間から10日と云われている。

 ヘモグロビンが二倍に増加すると、血液中の酸素を二倍運ぶことになる。酸素濃度が二分の一になるのは標高5500mくらい。4千mから5500mまでに10日をかけて歩けば丁度良い。

 3440mのナムチェは、高山病が出る高度。このナムチェに到着すると、ほとんどの人が頭痛など二日酔いと同じ症状がでる。これが高度障害。この高度障害が高山病に変わる前に順応をしなければならないのだ。

 

チベットから移住したシエルパ族の定住地ナムチェバザ-ル

 ナムチェの町は、大昔からチベツトとインドの交易路の中心町で、土曜日には大掛かりなバザ-ルが開催される。遠くから売りたいものを担いで集まり、遠くから買いたいものを見つけに多くの人々が集まってくる。

 世界中から押し寄せる登山者とトレッカ-の衣食住を満たすために、多くの、特にシェルパ族達がバティ(ホテル・ロッジ)を営み、お土産屋を開いている。そしてお客の荷持運びのポ-タ-やヤクドライバ-が住んでいて、定住している住民達がバザ-ルへ買い求めに集まる。

 

ナムチェバザ-ルへドウドコシ川を渡る

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エベレストが最初に眺められる休憩場所小広場

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小広場から望遠レンズでエベレストを撮る

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ナムチェバザ-ル入口に到着

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ソナ-・ロッジ

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ロッジのキッチンには地酒トンバの器が並ぶ

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ナムチェの町全景

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ナムチェ町とク-ンブヒマラヤとロ-ルワリンヒマ-ルの境に聳えるクワンデ峰6011m

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