ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その④バクタプ-ル。
ネパ-ルの世界文化遺産 その④バクタプ-ルは、カトマンズ市内から東方約10kmにあるバクタプ-ル旧王宮広場のこと。実際の世界文化遺産は旧王宮広場とレンガ道路伝いに200m南側の寺院群と800m東方面にある寺院群の総称。
今回は王宮広場を写真で見てみる。後々に2015年4月25日のネパ-ル大地震の影響も写真で見たい。
バクタプ-ルはカトマンズ盆地内でカトマンドゥ、パタンに次いで三番目に大きな市。この古都は889年に創建され盆地全体の首都であった。
15世紀から18世紀のマッラ王朝時代には3王国の一つであった。そもそもはここの王様13世紀からマッラ王がバクタプル王宮を建立した時から始まる。
その後1450年にバクタプル王からカトマンドゥ王が独立する。バクタプル王からカトマンドゥ王が分家した。分家という言い方はチョット変だが。
その次にポカラ王も1619年にカトマンドゥ王国から独立している。カトマンドゥ王からのパタン王の分家だ。
バクタプル王宮から分家したカトマンドゥ王がカトマンドゥ王宮を築き、その後ポカラ王がカトマンドゥ王国から分家してポカラ王宮を築く。カトマンドゥ盆地に3王国時代がやってくる。
その後であるがカトマンドゥ盆地の3国王が戦争で敗れる。この3王国、バクタプルから分家みたいにして築かれたものだから、武力の蓄えもなく他の国から仕掛けられた戦争で、アッという間の敗戦。
1769年カトマンドゥから西に90kmのゴルカの王ブリトゥビ・ナラヤン・シャハが、バクタプル・カトマンドゥ・パタンを攻め戦勝し、シャハ王朝時代を築く。このシャハ王、ネパ-ルを統一する最初の王様。
この時の3王が敗れた戦争、カトマンドゥとパタンの王様はバクタプル王の住む王宮内の黄金の門に逃げ入つたと伝えられている。
バクタブルは別名バドガオンともいわれ、「信仰の街」「帰依者の町」の意味。
旧王宮には「55窓の宮殿」の美しい彫刻が施された窓が並び、55窓の内側は王の寝所となっていた。
旧王宮前広場はたくさんの寺院や仏塔で囲まれているが、1934年の地震で再建されずに取り壊された寺院も多い。2015年4月25日のネパ-ル大地震でも倒壊し、中から金貨など建立時の埋蔵物が出ている。
バクタプ-ル旧王宮広場
バクタプ-ル 入口門
二体の獅子に守られた国立美術館
右 ラメシュワ-ル寺院
左からゴ-ルデンゲ-トと55窓宮殿 ブパティンドラ マッラ王像右にパシュパティ-寺院
ラメシュワ-ル寺院
左からブパビンドラ・マッラ王像 パシュパティ寺院
ブパビンドラ・マッラ王像
黄金の門と55窓の宮殿