ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百二十回
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
20.パナウティの寺院 四回目 シヴァ寺院Indreshwar Mandir
前回は、プンガマティ川右岸のクリシュナ寺院の写真を見た。
今回はシヴァ寺院の写真。
パナウティ町の寺院は、典型的なネパ-ルのネワ-ル文化建築様式。このシヴァ寺院も三層建築で、四面の出入り口前には、ライオン石像や狛犬石像が対で守り、正面にシヴァ神の乗り物牡牛ナンディの石像がある。
シヴァ寺院Indreshwar Mandir
ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十九回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
20.パナウティの寺院三回目 クリシュナ寺院Krishna Narayan Mandir
前回は、プンガマティ川左岸の寺院の写真を見た。もしかしたら、間違って右岸になっているかも。
川や沢の右岸左岸は、上流から下流に向かって、右か左か。
今回は、プンガマティ川右岸のクリシュナ寺院の写真を見てみる。
クリシュナ寺院は17世紀建立。又の名称をブラ-マ-ヤニ寺院とも呼ぶらしい。
クリシュナ寺院Krishna Narayan Mandir
小型のレンガ積みの寺院はシヴァ神を祀る
男神シヴァ神の象徴「リンガ」、女神の象徴「ヨ-ニ」とセットになっている
リンガにお詣り
ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十八回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
20.パナウティの寺院二回目
前回は、パナウティ町全域の寺院の写真を見た。
今回は、パナウティ寺院の二回目。
プンガマティ川右岸の寺院。この寺院の名前が分からない。
この寺院の横、プンガマティ川右岸には遺体を火葬にするガ-トがある。
パナウティ町はロシ・コ-ラとプンガマティ・コ-ラのふたつの河が合流する上側の町。合流点のプンガマティ川上流100mの右岸に寺院とガ-ト。
火葬場ガ-ト
ネパ-ルのヒンドゥ-教徒は、国民の80%を超える。ヒンドゥ-教の教義は、死後の世界を輪廻転生としている。死んでも、動物に生まれ代わる。
家族を失ったことは、世界共通で悲しみに暮れる。しかし、火葬した遺骨はここのコ-ラに流してしまう。
プンガマティ川Punyanrnkata Khola右岸の寺院
寺院前の川岸にカ-トが並ぶ
ガ-トでダビ
荼毘にふす間、家族は家の中と外で
ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十七回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
20.パナウティの寺院
前回は、カトマンドゥ盆地の南東最奥地の小高い山の上、チベット仏教のゴンパ・ナモ-ブッタの写真を見た。
今回からは、カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔の最後、パナウティ町の寺院の写真。
パナウティの町は、カトマンドゥから南東に延びるアルニコ・ハイウエ-を、前々回写真のドゥリケル町を4km戻り、バネパ村から南に6km。
プンヤマティ川とロシ川の交わる地点に寺院群、とそこから上部に町が広がる。
古くはチベットとの交易で栄えた町で、カトマンドゥ盆地の先住民ネワ-ル族が多い。
カトマンドゥ盆地最古の建築物、13世紀建立のシヴァ寺院は町の真ん中、中心に。
1934年ネパ-ル大地震でパナウティ町の多くの寺院が被害。その後年月経過後にフランスの援助で修復再建された。
2015年4月25日のネパ-ル大地震後に、パナウティを訪れたが、寺院や家の被害が比較的少なかった。
パナウティ、とうして世界文化遺産でないのか
カトマンドゥ盆地の世界文化遺産登録は、1979年。盆地内の7ケ所が登録されている。
わたしは、ネパ-ルに借家を借りて生活を始めて12年。初めの頃はパナウティが世界文化遺産登録地だとばかり思っていた。
ところが、よく調べてみた、ところ全く違っていた。13世紀から17世紀建立の古い寺院があり、ネワ-ル文化建築様式など、他の七カ所と異なるところが見当たらないのに。
パナウティの寺院
パナウティの町
南区川沿地域で、水道管入れ替え工事中
昨年から始まった、札幌市南区川沿地区の水道管の取り換え工事、ようやく我が家前で今日6月6日に始まる。
我が家の新築工事は31年前。その時のことを憶えている。家の前の水道管は、道路の両脇に建っている家がお金を出し合って水道を引いた、とのこと。
ようするに、札幌市が水道管を埋設する工事をしたのではない。どういう理由かは知らないが、私設の水道管が埋設されていた。
ゆえに、わたしの家を新築工事する時に、この私設で水道を引いた道路脇の全部の家の承諾を取らないと、この私設の水道管から我が家の水道水が引けない、のだ。
我が家の工事施工する担当者が、一軒いっけん廻って、承認書へ判をもらって歩いた、のだ。
今回の水道管取り換えは、何年前の埋設管なのか、知らないままだ。
ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十六回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
18.ナモ-ブッダ僧院(ゴンパ)
前回は、ドゥリケル町の中心街にあるヴィシュヌ寺院の写真を見た。
今回は、カトマンドゥ盆地のカトマンドゥからアルニコ・ハイウエ-を、盆地の最奥まで行き、小高い山に登ると、チベット仏教のゴンパ・ナモ-ブッタ。
ナモ-ブッタは、次回から写真を見てみるパナウティ町から近く、前回まで見たドゥリケル町からハイキング・トレッキングで半日の距離。
ネパ-ル国民の約10%がチベット仏教徒。インドと国境を接するタライ平野近辺には、チベット仏教徒の住民は少ない。
やはり、現在の中国チベットとの国境を接している、ネパ-ルヒマラヤ圏から、標高2千mから精々1千m位まで、元チベット住民が多い。
古くは、紀元前250年前に、カトマンドゥにインドの王様が建築した仏教仏塔があり、その存在に気が付いたチベット人がカトマンドゥとチベットを行き来しながら、チベット仏教の成り立ちなどある。元々は、インドとチベットの交易のためにネパ-ルを通過していた人達のこと。
カトマンドゥ市内には点々と、規模の大きなチベット仏教ゴンパがあるが、盆地の一番南東端の僧院。
ネパ-ルの山岳民族の多くはチベット仏教徒
わたしの友人にエベレスト街道のナムチェバザ-ル町から、徒歩で2時間のタ-メ村に住むペンパ・ツェリン一家が居る。彼の家に遊びに行った時、大きな贅沢な木材を使った立派な家には、贅を尽くしたチベット仏教僧院の様な佇まいだった。彼はヒマラヤ登山やトレッキングのガイドであるシェルパ族。長男と長女がチベット仏教僧院の僧侶。奥さんと二男の3人家族。カトマンドゥから電話でガイド仕事の連絡があると、ルクラから飛行機でカトマンドゥまで飛んで来る。
ペンパ・ツェリンと云えば、彼にお世話になった日本人が多いはず。
ネパ-ルには三種族が
ネパ-ル人を大別すると、三種族になる。
ネパ-ルの原住民のネワ-ル族やタル-族。他の二種族は、南のインドからのインド系ネパ-ル人と、チベットからのチベット系ネパ-ル人。
ここの大きな僧院には、古代の石版と仏陀の目が書かれた仏塔(チョルテン)がある。
ネパ-ルに住むチベト人は、巡礼の季節2月3月に多くが訪れる。現在の中国・チベットは、中国共産党のチベット自治を認めない政策のため、チベットからネパ-ルのチベット僧院を巡礼などで訪れる人はゼロ0人。少し前までは、チベットからネパ-ルへ、国教を越えるチベト仏教徒を背後から中国兵が打ち殺す動画がインタ-ネットでアップされていた。
ここにあるチョルテンには、ブッダの前世狩のハンタ-の骨と髪の毛が納められていると言い伝えられている。
ブッダの前世はハンタ-。このハンタ-、食物に飢えた虎の母子に遭遇。飢えに同情してハンタ-の仏陀自身を虎の母子の餌として食べられた。この自己犠牲が、仏陀への転生を可能にした教え。
ネパ-ルのルンビニで紀元前500年前にブッダが誕生している。お釈迦様の生誕は事実だが、ブッダについては伝説やフイクション話しがなんと多い事か。
ナモ-ブッダ僧院はタマン族のゴンパらしい。
ナモ-ブッダ僧院(ゴンパ)
僧院内のマンダラ絵
ネパ-ル人たちもお詣り
ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百十五回目
カトマンドゥ盆地の寺院と仏塔
18.ドゥリケル町の寺院 5回目 ヴィシュヌ寺院Vishnu Mandir
前回は、ドゥリケル町のバグワティ寺院の写真を見た。
今回は、ドゥリケル旧市街地中心街にあるヴィシュヌ寺院の写真を見てみる。ネワ-ル族の町、古都として栄えたドゥリケルは、レンガ造りの家々と、ヒマラヤを眺望できる町。ドウリケル町の寺院の写真は、今回が最終回。
ヴィシュヌ寺院はその名の通り、ヒンドゥ-教の神ヴィシュヌを祀っている。
ヴィシュヌ神と云えば、いつも対になっているヴィシュヌ神の乗り物、背に羽が生えた空飛ぶガル-ダ鳥神。ここにも、寺院の前の短い石柱の上に居る。
カトマンドゥ王宮広場にもまったく同様に、ナラヤン寺院にヴィシュヌ神を祀り、寺院前にはガル-ダ像がある。ナラヤン寺院は2015年4月25日のネパ-ル大地震で全壊。現在はレンガ積みの土台だけだが、ガル-ダ像だけ健在。
チャングナラヤン寺院もヴィシュヌ神を祀り、ガル-ダに乗るヴィシュヌ神石像がある。
ヴィシュヌ神
ヴィシュヌ神は、サンスクリット語 विष्णु、シヴァ神やブラフマ-神とヒンドゥ-教三大神の一人。
ヴィシュヌの意味は「遍く満たす」「浸透する」で、紀元前2,000年には叙述されている。
ガル-ダ
ガル-ダは空を飛ぶ神なので、インドネシアガル-ダ航空の会社名で有名。会社のマ-クでもある。
ドゥリケル町ヴィシュヌ寺院
ヴィシュヌ神の乗り物、背に羽があり空を飛ぶガル-ダ像
ヴィシュヌ寺院近くの名前の知らない寺院