koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第63回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十三回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十四回目

前回は、エベレスト街道の秀峰アマ・ダブラム峰Ama Dablam 6856mを写真で見てみた。

トレッキングでタンボチェから歩き出す。イムジャ・コ-ラ川沿いにティンボチェTingboche 4350mを目指す。

いよいよ標高4千mを越える。

 ルクラから軽い頭痛の高度障害が出ていて、なかなか順応が出来ていないようだ。一気に高度を上げないために、途中のパンボチェ村で一泊することにする。

 村々には畑とカルカがある。ネパ-ルのカルカは家畜の飼育場。周りを石積みで囲って逃げ出さないようにしている。

 

外国人の善意、ネパ-ルに学校建設

ヒンドゥ-教社会との思考と現実の乖離

 エベレスト街道の村々には学校がある。この日本で云う小中学校、エベレストに初登頂したヒラリ-のヒラリ-基金で建設・運営されているところが多い。

 多くの村に学校はなかった。そして、養育機関としての学校が開校された。普通これらの善意の活動は素晴らしことと思われる。しかし、ここエベレスト街道の各村にはラマ教の寺院があり、そこの子供達はその寺院が教育を担ってきた歴史があった。ヒラリ-の善意は、旧来のネパ-ル奥地の教育制度を壊わしてしまった、とも言えないこともない。

 日本にはネパ-ルに学校を建てるNGOがある。広く日本人から寄付・カンパを募って、着々とネパ-ルの各地に学校を建設している。ネパ-ルはヒンドゥ-教の国。日本人の宗教観と実際のネパ-ルの宗教の間には、理解不能に近い隔たりがある。わたしは10年前から一年のうち数か月をネパ-ルで生活している。この間、ネパ-ルに住む日本人やネパ-ル人の友人が増えた。その人達との付き合いで身に着けた知識は、驚きの連続だ。

 エベレスト街道の寺院は、ダライ・ラマ14世の写真を飾るチベット仏教の流れを組む宗教だが、ネパ-ルの80%はヒンドゥ-教徒。ヒンドゥ-教の教義の中心には、カ-スト制度や輪廻転生など、わたし達日本人の理解の外の社会が現存している。

 教義の輪廻転生でヒンドゥ-教徒は死んでも甦る。甦る動物の中で、誰もが又人間になって生を受けたいと願っている。この願いを叶えるヒンドゥ-教の教義は「徳を積む」ことを強いる。

輪廻転生の社会は死体を葬る墓はない。

 外国人がネパ-ルに学校を建てる行為は、ヒンドゥ-教徒からはその全ての行為が「徳を積む」こと。いや、ネパ-ル人から見ると徳を積ませてあげているのだ。こうなると、学校建設の寄付をした日本人や建設に従事した日本人は、徳を積ませてもらったのだから、ネパ-ル人にありがとうとお礼を言う立場になる。

 わたしが今ここで何を云っているのか、何を説明しているのか、分かる日本人は、理解する日本人は居るだろうか。ヒンドゥ-教徒の父母は、自分の娘を嫁に出す行為を「徳を積む」行為として行っている現実がネパ-ルにはある。神である新郎に奴隷として娘を嫁がせるのである。結婚した娘は、毎朝夫の足元に跪(ひざまず)いて首(こうべ)を垂れる(たれる)のである。戦前戦中に日本国民が天皇に「首を垂れる」あれに似ている。これがネパ-ルやインドのカ-ストなのだ。わたしには、ヒンドゥ-教社会の現実がネパ-ル暮らしで判ってくる。

 制憲選挙を経て国王を退位させ、無血の革命をしたネパ-ル国民。その前は多くの血が流れた。それまでは、国王はヒンドゥ-教徒でなければならない、と憲法で規定していた。ヒンドゥ-教の教義に違反すると、民法や刑法の規定で罰せられた。制憲選挙決定で全ての罰則規定を廃止。ネパ-ルで初めて政教分離が実現された。ネパ-ルでは「首を垂れる」のが減ったそうだ。

だが、ネパ-ルのヒンドゥ-教に何らの変化もない。

エベレスト街道の学校、から横道を歩き出した。トレッキングに戻ろう。

 

タンボチェのバティ(ロッジ)を出発

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タンボチェゴンパ前 荷運びのゾッキョ ゾッキョは水牛とヤクの合いの子

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イムジャ・コ-ラ川に降りるとパンボチェ村

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パンボチェの農家の畑とカルカ

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パンボチェのバティ

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パンボチェの学校案内カンバン

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パンボチェ下のイムジャ・コ-ラに架かる橋

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クスムカングル峰

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第62回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十二回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十三回目

 前回は、タンボチェにあるベレストが眺められる場所に在る加藤保男さんの慰霊碑を見てみた。加藤さんは3シ-ズンにエベレスト登頂した。エベレストの登山史も少し見た。

今回はタンボチェの少し手前から前方に現れるアマ・ダブラム峰Ama Dablam 6856mを写真で見てみる。

 アマダムラム峰の標高は6812m(6856m)。6812mはネパ-ル政府が公表している標高。6856mは地形図などの数字。本当の測量した標高の数字は6856mになる。

 アマダブラム峰はタンボチェに着く前から、エベレスト街道を歩いていると前方に現れる。タンボチェを過ぎると右側に特徴ある山容を見せつけてくれる。街道を4日歩き続けると後方に振り向くと、姿を変えて現れる。

 

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タンボチエの手前からのアマダムラム峰

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タンボチエからのアマダムラム峰

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タンボチェのヤクとアマダブラム峰

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タンボチェからエベレストとロ-ツエ南壁とアマダブラム峰

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カルカとアマダブラム峰

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クムジユン村からアマダブラム峰

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朝日のアマダブラム峰

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パンボチエからアマダムラム峰

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第61回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十一回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十二回目

前回は、タンボチェにあるゴンパを写真で見て見た。

今回はタンボチエゴンパから少し歩くと、エベレストが眺められる場所に在る加藤保男さんの慰霊碑を見て見る。

 加藤保男さんは、エベレストをポストモンス-ン季とプレモンス-ン季、そして冬季の三シ-ズン登頂者。最後の冬季は登頂後の下山時に遭難、帰って来ることはなかった。

 

エベレスト登頂の記録

 エベレストの初登頂は1953年。イギリス隊第11次エベレスト遠征で、隊員のヒラリ-と高所ガイドのテンジンが登頂している。

 日本人でエベレストを初めて登頂したのは、植村直己さんと松浦輝夫さん。1970年5月11日に2人が登頂。植村さんは1984年2月13日にアラスカのデナリ峰(マッキンリ-)で遭難死している。植村さんの遭難原因は不明で、今もデナリのどこかで眠っている。

 松浦さんには、私が鹿児島県屋久宮之浦岳登山の時にお会いしている。もう忘れたが、喫茶店だか食堂かレストランで会って、私がネパ-ルのアンナプルナⅠ峰の遠征から帰ったばかりで、ネパ-ルの登山の話に花が咲いたのを覚えている。松浦さんは、エベレスト登頂時の写真を持ち出してわたしに見せてくれた。この松浦さんも数年前に天国へ召されている。

 女性のエベレスト初登頂者は日本人の田部井淳子さん。1975年5月16日に登頂。田部井さんも昨年の秋に天国へ旅立った。田部井さんとは、わたしと少し関わりがある。わたしが北海道の地区連盟理事長をしている時に、連盟創立周年行事に田部井さんをお呼びして講演会を開催。もう30年以上も前の話。

 田部井さんは札幌に着いて、わたしがどこか「行きたい所は」の応えに、「北海道の美味しいアイスクリ-ムが食べたい」と。早速札幌駅前通りの雪印パ-ラ-で一番高い値段のアイスクリ-ムを食べに行ったのを想い出す。

 今はあまり良くは覚えていないのだが、田部井さんと海外登山の話をしたのだろう。田部井さんは、田部井さん宛てに送られてきた次の年のソビエト(現在のロシア)登山協会主催のパミ-ルキャンプ登山案内書を、わたしに転送してきた。この申込書付きの案内書で、北海道パミ-ル登山隊を組織し、わたしが隊長で5人メンバ-が遠征することとなった。現在のキルギス共和国のパミ-ルにあるコネジェネフスカヤ峰7105m。1987年に4名が登頂する。

タンボチエにある加藤保男の碑について。

 加藤保男さんは1973年10月26日にポストモンス-ン季のエベレスト初登頂をしている。日本人ではエベレスト登頂五番目。第2次RCC隊で石黒久さんと同時登頂だった。

 又加藤さんは、1980年5月3日に、中国チベット側の北稜からエベレストを登頂している。プレモンス-ンだった。このチベット側登頂は、中国人以外の外国人初登頂。

 そして、1982年12月27日ネパ-ル側、冬季では日本人初登頂。三シ-ズン登頂者は世界初の快挙だった。しかし、登頂後に南東稜でビバ-ク。帰って来ることはなかった。

 わたしはその一年前の1981年11月に、ネパ-ルのカトマンドゥから成田への帰路に加藤さんと一緒だった。タイのバンコクでのホテルでも同室で、夕食をレストランへ繰り出したもの。加藤さんは尾崎隆さんとネパ-ルのマナスル峰登頂して日本へ帰る時だった。そんな関係で加藤さんからは年賀状が来たりしていた。その後、田部井さんに次いで加藤さんにも地区連盟周年行事の講演会でお話しをしていただいたことがある。

 ちなみに、尾崎さんのエベレスト登頂は、1980年5月10日に広重恒夫さんと同時に北壁初登頂している。尾崎さんはこの後、1983年12月16日冬季登頂。尾崎さんも2011年5月12日にエベレスト頂上直前で遭難死した。

 最近、加藤さんの碑の隣に、エベレストに一回も登山したことがない日本人政治家の碑が建ったらしい。ガッカリだ。

 

ネパ-ルのカトマンドゥから成田への帰り

 わたしは次年1982年ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mの偵察でネパ-ルを訪れていた。その当時カトマンドゥのヒマ-ル・トレック㈱。同じ会社を利用してマナスルを登頂した加藤保男さんと尾崎隆さんが同じ日に帰国で同じフライト便だった。

 エ-ジェントの社長さん二三子が、「タモッちゃん、札幌からネパ-ル初めての三人を成田まで面倒を見てくれる」と、加藤保男さんにお願いしてくれた。

 バンコクのホテルの部屋は、わたしと加藤さん、それと尾崎さんの三人。シャワ-を浴びた加藤さんの両足を見てビックリ。足10本の指が無いばかりか、もっと上までない。2度のエベレスト登頂をこの足が物語っていた。プレモンス-ンとポストモンス-ンの2シ-ズンエベレスト登頂の結果だった。帰国する次年の1982年の冬季エベレスト登山の話を聞かせてもらった。

 

タンボチエの加藤保男さんの慰霊碑を写真で見て見る。

 

エベレストを眺めるタンボチェの加藤保男慰霊碑

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カトマンドゥ→成田のフライト途中、バンコクでゆっくり夕食

右手前・加藤保男さん  右奥・尾崎隆さん

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1982年12月27日 加藤保男さん冬季エベレスト登頂

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加藤保男さん エベレスト遭難の記事

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1982年正月 加藤保男さんから年賀状

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1982年10月 エベレスト出発直前に最終原稿を書いた

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加藤保男 エベレストに死す

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加藤保男さんの母親加藤ハナさん 追悼本

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第61回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十一回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十二回目

前回は、タンボチェにあるゴンパを写真で見て見た。

今回はタンボチエゴンパから少し歩くと、エベレストが眺められる場所に在る加藤保男さんの慰霊碑を見て見る。

 加藤保男さんは、エベレストをポストモンス-ン季とプレモンス-ン季、そして冬季の三シ-ズン登頂者。最後の冬季は登頂後の下山時に遭難、帰って来ることはなかった。

 

エベレスト登頂の記録

 エベレストの初登頂は1953年。イギリス隊第11次エベレスト遠征で、隊員のヒラリ-と高所ガイドのテンジンが登頂している。

 日本人でエベレストを初めて登頂したのは、植村直己さんと松浦輝夫さん。1970年5月11日に2人が登頂。植村さんは1984年2月13日にアラスカのデナリ峰(マッキンリ-)で遭難死している。植村さんの遭難原因は不明で、今もデナリのどこかで眠っている。

 松浦さんには、私が鹿児島県屋久宮之浦岳登山の時にお会いしている。もう忘れたが、喫茶店だか食堂かレストランで会って、私がネパ-ルのアンナプルナⅠ峰の遠征から帰ったばかりで、ネパ-ルの登山の話に花が咲いたのを覚えている。松浦さんは、エベレスト登頂時の写真を持ち出してわたしに見せてくれた。この松浦さんも数年前に天国へ召されている。

 女性のエベレスト初登頂者は日本人の田部井淳子さん。1975年5月16日に登頂。田部井さんも昨年の秋に天国へ旅立った。田部井さんとは、わたしと少し関わりがある。わたしが北海道の地区連盟理事長をしている時に、連盟創立周年行事に田部井さんをお呼びして講演会を開催。もう30年以上も前の話。

 田部井さんは札幌に着いて、わたしがどこか「行きたい所は」の応えに、「北海道の美味しいアイスクリ-ムが食べたい」と。早速札幌駅前通りの雪印パ-ラ-で一番高い値段のアイスクリ-ムを食べに行ったのを想い出す。

 今はあまり良くは覚えていないのだが、田部井さんと海外登山の話をしたのだろう。田部井さんは、田部井さん宛てに送られてきた次の年のソビエト(現在のロシア)登山協会主催のパミ-ルキャンプ登山案内書を、わたしに転送してきた。この申込書付きの案内書で、北海道パミ-ル登山隊を組織し、わたしが隊長で5人メンバ-が遠征することとなった。現在のキルギス共和国のパミ-ルにあるコネジェネフスカヤ峰7105m。1987年に4名が登頂する。

タンボチエにある加藤保男の碑について。

 加藤保男さんは1973年10月26日にポストモンス-ン季のエベレスト初登頂をしている。日本人ではエベレスト登頂五番目。第2次RCC隊で石黒久さんと同時登頂だった。

 又加藤さんは、1980年5月3日に、中国チベット側の北稜からエベレストを登頂している。プレモンス-ンだった。このチベット側登頂は、中国人以外の外国人初登頂。

 そして、1982年12月27日ネパ-ル側、冬季では日本人初登頂。三シ-ズン登頂者は世界初の快挙だった。しかし、登頂後に南東稜でビバ-ク。帰って来ることはなかった。

 わたしはその一年前の1981年11月に、ネパ-ルのカトマンドゥから成田への帰路に加藤さんと一緒だった。タイのバンコクでのホテルでも同室で、夕食をレストランへ繰り出したもの。加藤さんは尾崎隆さんとネパ-ルのマナスル峰登頂して日本へ帰る時だった。そんな関係で加藤さんからは年賀状が来たりしていた。その後、田部井さんに次いで加藤さんにも地区連盟周年行事の講演会でお話しをしていただいたことがある。

 ちなみに、尾崎さんのエベレスト登頂は、1980年5月10日に広重恒夫さんと同時に北壁初登頂している。尾崎さんはこの後、1983年12月16日冬季登頂。尾崎さんも2011年5月12日にエベレスト頂上直前で遭難死した。

 最近、加藤さんの碑の隣に、エベレストに一回も登山したことがない日本人政治家の碑が建ったらしい。ガッカリだ。

 

ネパ-ルのカトマンドゥから成田への帰り

 わたしは次年1982年ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mの偵察でネパ-ルを訪れていた。その当時カトマンドゥのヒマ-ル・トレック㈱。同じ会社を利用してマナスルを登頂した加藤保男さんと尾崎隆さんが同じ日に帰国で同じフライト便だった。

 エ-ジェントの社長さん二三子が、「タモッちゃん、札幌からネパ-ル初めての三人を成田まで面倒を見てくれる」と、加藤保男さんにお願いしてくれた。

 バンコクのホテルの部屋は、わたしと加藤さん、それと尾崎さんの三人。シャワ-を浴びた加藤さんの両足を見てビックリ。足10本の指が無いばかりか、もっと上までない。2度のエベレスト登頂をこの足が物語っていた。プレモンス-ンとポストモンス-ンの2シ-ズンエベレスト登頂の結果だった。帰国する次年の1982年の冬季エベレスト登山の話を聞かせてもらった。

 

タンボチエの加藤保男さんの慰霊碑を写真で見て見る。

エベレストを眺めるタンボチェの加藤保男慰霊碑

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カトマンドゥ→成田のフライト途中、バンコクでゆっくり夕食

右手前・加藤保男さん  右奥・尾崎隆さん

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1982年12月27日 加藤保男さん冬季エベレスト登頂

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加藤保男さん エベレスト遭難の記事

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1982年正月 加藤保男さんから年賀状

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1982年10月 エベレスト出発直前に最終原稿を書いた

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加藤保男 エベレストに死す

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加藤保男さんの母親加藤ハナさん 追悼本

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第60回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十一回目

 前回はネパ-ルのトレッキングや登山の規則の内、料金の掛かる項目について見てみた。最後のエベレストの写真は、ネパ-ル政府がエベレストなどの登山料減額の公報を、インタ-ネツトで発表した時の写真を載せてみた。ネパ-ルのトレッキングや登山の規則は、ネパ-ル国会での法制化や内閣の閣議が必要。

 今回はエベレスト街道のトレッキングに戻って、タンボチェ到着から再開する。タンボチェは古くから大きなラマ寺院がある場所。名称はタンボチェゴンパ。古いゴンパは焼失し、世界中からのカンパ活動で1995年に再建された。ナムチェには黄色の屋根のゴンパ、パンボチェにもゴンパはあるが、ここタンポチェのゴンパは、カトマンドゥでも見かけないくらいの大きさ。チベツト仏教のダライ・ダマ14世の写真などが飾ってある。

タンボチエには、1982年にエベレスト冬季登頂し、帰ってこなかった加藤保男さんの慰霊碑がある。

タンボチエゴンパを写真で見てみる。

 

タンボチエゴンパとアマダムラム峰

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タンボチエゴンパ

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焼け落ちる前の旧ゴンパ  ポカラの山岳博物館の写真

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寺院内のマンダラ

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寺院内

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いつもは30人ほどの僧侶がお経を

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第59回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十九回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二十回目

 前回はエベレスト街道のトレッキング5日目、キャンヅマkyamjumaからタンボチエTyangbocheまでを写真で見てみた。そしてネパ-ル政府・観光省がネパ-ル山岳協会を相手に提起した訴訟や、ネパ-ル登山のリエゾン・オフイサ-制度を少し触れてみた。

 今回は、楽しいトレッキングとは少し離れるが、前々回にも触れたネパ-ルの登山について、自由に登れないヒマラヤの登山届出制度と、その登山料などについても少し触れてみる。

 ネパ-ル政府は、エベレスト南東稜の登山料は一人25,000USドル、二人で40,000USドルだったが、海外から「高い」との指摘があり2014年から値下げした。それまでは、複数人数が少し安いために、エベレスト登山希望者同士でシエアして登山申請をしてた。

 

ネパ-ルヒマラヤの登山届と登山料

ついでではないが、ネパ-ルを訪れて、登山やトレッキングなどに掛かる全ての料金を見てみたい。

 

Ⅰ.ネパ-ルビザ規則と料金

エントリー

観光客の入国ビザは在日ネパール大使館/領事館やミッション、海外事務所、あるいはネパールの次の入国管理局での次の機関で取得することができる。

 

トリブバン国際空港、カトマンズ

 

カ-カルビッタ、ジャパ郡 / インド国境 (東ネパール)

 

ビルガンジ、パルサ郡 / インド国境(中央南ネパール)

 

コダリ、シンデュパルチョク郡 / 中国・チベット自治区国境

 

ベラヒア(スノウリ) 、バイラワ、ルパンデヒ郡 /インド国境 (南西ネパール)

 

ジャムナハ、ネパ-ルガンジ、バンケ郡、/(ミッドネパール・インド国境 西ネパ-ル)

 

モハナ、ダンガディ、カイラリ-郡、/(インド国境 極東ネパール西部)

 

ガッダ チャウキ、マヘンドラナガル、カンチャプ-ル郡、/(インド国境 極東ネパール西部)

観光ビザ料金  Tourist Visa

 

ビザ取得の料金

期限

料金

複数のaエントリ

15日間

米25ドルまたは同等の交換可能通貨

複数のaエントリ

30日間

米40ドルまたは同等の交換可能通貨

複数のaエントリ

90日間

米100ドルまたは同等の交換可能通貨

 

観光ビザ延長

 

-

15日以下のビザの延長料金は30ドルかそれと同等の交換可能通貨、15日以上30日までのビザ延長手数料は1日あたり2米ドルかそれと同等の交換可能通貨である。 31日~89日までは一日3ドル。

90日以上は一日5ドル。

-

観光シングルビザは、1月-12月の間に年150日までの最長期間延長することができます。

滞在期間内の入出国は何回でもOK。

 


ネパ-ルのビザ 90日ビザ

申請必要なもの  ビザ申請書、100ドル、写真1枚  

入国日 2013年9月2日   出国日 2013年11月30日

Visa NO 096261

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Ⅱ.ネパ-ルヒマラヤのトレッキング登録料

 政府はTIMS(Trekker's Information Management System トレッカー情報管理システム・トレッキング登録制)の導入を実施する。この登録制は登山とトレッキングやヒマラヤの旅行など全てに適用される。

登録料は  1.トレッキング会社経由の場合は 一人10USドル
      2.個人で申請する場合は     一人20USドル

写真 28mm×34mm

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Ⅲ.トレッキング許可に関する料金

1.Upper Mustang

 1) 最初の10日間はUSD 700/ person    

 2) これを超えるとUSD 70/day/person

2.Upper Dolpo

 1) 最初の10日間は USD700/person   

 2) これを超えると USD70/day/person

3.Manaslu Region

 1) 9月から11月までの期間

  最初の1週間はUSD 90/person  

  これを超えるとUSD10/day/person

 2) 12月から翌年8月までの期間

  最初の1週間は USD 75/person  

  これを超えると USD 7/day/person

4.Humula(Yari)

 1) 最初の1週間は USD 90/person  

 2) これを超えるとUSD 15/day/person

5.Kanchenjunga、Lower Dolpo、Gaurishankar、Lamabagar

 1)USD 10 /week/person     

 2) 4週間を超えると1週間につきUSD 20

6.Gorkha District なお、8日間が単位となる。

  1) 9月から11月までの期間 USD 35 / 8 days/person

 2) 12月から翌年8月までの期間 USD 25 / 8 days /person

 

Ⅳ.国立公園などのリストと入園料  RS=ネパ-ルルピ

  写真 20mm×27mm

A)

NATIONAL PARKS 国立公園

ENTRANCE FEE

 

1

CHITWAN NATIONAL PARK

RS.1500

 

2

LANGTANG NATIONAL PARK

RS.3000

 

3

SAGARMATHA NATIONAL PARK

RS.3000

 

4

RARA NATIONAL PARK

RS.3000

 

5

SHEY PHOKSUNDO NATIONAL PARK

RS.3000

 

6

KHAPTAD NATIONAL PARK

RS.3000

 

7

BARDIYA NATIONAL PARK

RS.1500

 

8

MAKALU BARUN NATIONAL PARK

RS.3000

 

9

SHIVAPURI NATIONAL PARK

RS.250

B)

WILD LIFE RESERVE  野生生物保護区

 

 

1

SUKLAPHATA WILDLIFE RESERVE

RS.1000

 

2

KOSHI TAPPU WILDLIFE RESERVE

RS.1000

 

3

PARSA WILDLIFE RESERVE

RS.1000

C)

HUNTING RESERVE  狩猟保護区

 

 

1

DHORPATAN HUNTING RESERVE

RS.3000

D)

CONSERVATION AREA 自然保護地域

 

 

1

ANNAPURNA CONSERVATION AREA

RS.2000

 

2

KANCHENJUNGA CONSERVATION AREA

RS.2000

 

3

MANASLU CONSERVATION AREA

RS.2000

 

4

MANAG CONSERVATION AREA

RS.2000

 

アンナプルナ 自然保護地域 許可書

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Ⅴ.ネパ-ルヒマラヤ登山料規則

 ネパ-ル政府観光省 2014年2月12日、ネパール司法省公報掲載の通知。外国からのネパール登山についてのネパール登山料規則は下記の様に改正されました。

簡略表示

 

外国人クライマー一人あたりのドル支払の登山料

     山  域            春季       秋季     冬季

1.エベレスト ノ-マルル-ト   11,000ドル 5,500  2,750

2.エベレスト ノ-マルル-ト以外 10,000   5,000  2,500

3.エベレスト以外の8千m以上の山  1,800     900    450

4 7501m~7999m        600     300    150

5.7000m~7500m        500     250    125

6.6501m~6999m        400     200    100

7 アマダブラム峰(6812m)     400     400    200

8.6500m以下の山          250     125     70

 

1~8は1チ-ム15人まで

外国人登山者のための登山料規則は、西暦2015年1月1日から施行される

(ビクラム歴2071年9月17日から)

 

ネパール人登山者一人あたりのネパールルピー(Rs)登山料

    山  域            春季     秋季     冬季

1.エベレスト ノ-マルル-ト 75,000ルピ- 37,500 18,250

2.エベレスト ノ-マルル-ト以外   60,000     30,000 15,000

3.エベレスト以外の8千m以上の山 10,000      5,000  2,500

4. 7501m~7999m   8,000      4,000  2,000

5. 7000m~7500m   6,000        3,000  1,500

6. 6501m~6999m   5,000      2,500  1,250

7.アマダブラム峰(6812m) 8,000      8,000  4,000

8. 6500m以下の山     4,000      2,000  1,000

1.~8.まで1チ-ム15人まで

外国人登山者のための登山料規則は、西暦2015年1月1日から施行される

(ビクラム歴2071年9月17日から)

 

 観光省は、ネパールの登山料規則のタイムリーな改正が、世界中のネパール登山に関する業界振興のための画期的な出来事になると予想している。

係官 Madhusudan  Burlakoti

 

Ⅵ.ネパ-ル・ヒマラヤ登山の保険に関する運営方法規則

この保険はエベレストのみならずライト・エクスペデイション等全登山に適用される。

パ-ティ-が外国人隊とネパ-ル人隊と両方に適用される。

登山隊の保険料納付は、通常ネパ-ル現地のエ-ジェント経由で行われる。

 

登山従事者の保険  実施は2015年1月1日~

保険の詳細
 保険ー1(事故に適用)    

     職種               新規則の保険金額  
  リエゾンオフイサ-(L. Officer)     Rs.  800,000
  サ-ダ-(Sirder)            Rs.1,000,000
       高所ポ-タ-(HAP)            Rs.1,000,000
       コック・キッチン要員(BC Woker)    Rs.  800,000
       キャラバン・ポ-タ-(Local Porter) Rs.  500,000

 

2014年1月1日~

  保険ー2(病気に適用)  法律19(5)条の下で

                   職種              新規則の保険金額  

         全登山従事者            Rs.300,000

                                                                         (Rs=ネパ-ルルピ-)

 

2014年1月1日~

   保険ー3(救助に適用)  登山規則20条・29条

                   職種              新規則の保険金額                      

          全登山従事者              10,000ドル

 

登山に関わる職種

     L. Officer = Liaison Officer(政府連絡官) 
       Sirder = 登山従業者のリーダー
       HAP =  High Altitude Porter
       BC Worker =  Cook , Kitchen Etc
       Local Porter  = キャラバン・ポーター
 キャラバン・ポーターについては出発前に人数、名前などを把握できないため概     ねの人数で一括掛ける。

 

Ⅶ.登山隊に雇用されたネパール人のレスキュー・ヘリコプターについて

2010年1月より

 従来から政府連絡官(リエゾン・オフィサー)及び雇用員(高所ポー、ローカル・ポーター等)等の事故処理等の輸送については登山隊が金銭的な保証を行う事になっているが実行されないケースがあったため、観光省は2010年1月より登山隊が保険でカバーするよう指導している。なお、この指導に従わない場合には事前のブリーフィングが行われず出発できないことになる。なお、これは登山規則が変わった訳ではなく登山規則(20条)に施行細則が無く担当官の自由裁量で判断されてていたため省令で確認したものである。

1.根拠となる規則

  登山に適用される法律は以下2つの規則である。

   1) Tourism Act (観光法)     

   2) Mountaineering Expedition Regulation (登山規則)
     本件は登山規則第20条が適用摘される。   

Insurance shall be made for emergency rescue.  The mountainering expedition team shall make insurance for the purpose of section 29 of the act,(観光法)、an insurance company recognized by Government of Nepal of the amount as prescrived by the Ministry.

但し、施行細則が無いため省令で確認したもである。


2. 保険手続き

 1) 保険金額(概算)   US 4000ドル~US10000ドル

 2) 保険掛金(概算)   US  350ドル~US850ドル

 保険金、掛け金はルピーですが外国人にはわかりにくいため便宜上ドル換算したものです。変動相場の為保険加入日の交換レートによります。 保険金、掛け金は登山地域によって異なる。

  • 手続き

 政府の公認する保険会社で行うが掛け金は加入金額(保険金額)7%にVAT(Value Added Tax 付加価値税)13%を加えた金額になる。

  • 適用(被保険者)

 政府連絡官、高所ガイド、ベース・キャンプ・ワーカー、等ネパール人。なお、無記名で保険(生命保険等)に加入する。 ローカル・ポーターはこの保険の適用外となります。

  • 保険証書があれば支払い証明書等他の書類の必要は有りません。

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第58回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その五十八回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の十九回目

前回はネパ-ル政府の登山申請受付のリストを見た。

 ネパ-ルでは、日本のように自由に登山はできない。事前に登山申請書を提出して許可の取得が前提となる。登山料として高額のお金も取られる仕組みになっている。申請ケ所は、ネパ-ル山岳協会と観光省登山局の二か所。前者は標高が約6500m以下の山で、ライトエクスペディションと云う。登山局への申請は6500m以上の山で、ネパ-ルの政府職員のリエゾン・オフイサ-がベ-スキャンプまで同行が義務付けられている。

 

ネパ-ル政府・観光省がネパ-ル山岳協会を相手に訴訟

4年程前に、観光省がネパ-ル山岳協会を相手取って、訴訟を提起した。

 観光省の言い分。登山許可の手続は政府の選任事項。民間の山岳協会が登山許可手続きを行うのは違法。ゆえに6500m以下の山の登山申請と許可は観光省とすべし。

 一審の地方裁判所での判決は、政府の言い分を認めて観光省の勝訴。敗訴した山岳協会は最高裁判所に上告。最高裁判決は、一心判決を破棄、ネパ-ル山岳協会の勝訴となった。

 わたしはネパ-ル在住の友人に誘われて、ネパ-ル山岳協会の会長と夕食を共にしたことがある。この会長さん、実は公務員で山岳協会会長職がその仕事の全部だった。民間の組織と思われていたネパ-ル山岳協会、実はその仕事内容と収入は、観光省登山局と同じ公務だった。

 

ネパ-ル登山のリエゾン・オフイサ-制度

 ちなみに、2016年春のエベレストは32隊であった。その32名のリエゾン・オフイサ-(LO)のうち実際に登山隊に同行しベース・キャンプに滞在したものは15名。またBCに到達した17名も、5名がその日に下山。5名が2日から4日などとの報告がある。LOは通常給与の他に登山隊より2500ドル~3000ドル支給される。

 ネパ-ルの公務員の初任給は約24、000RSルピ-。1RS=1円。登山隊より受け取る330,000RSは一年間の所得以上になる。

 リエソン・オフイサ-は誰でもはなれなく資格がある。1.キャリア官僚3級職、2.ノン・キャリア1級職、3.国軍、警察、4.エベレスト登頂経験者でSLC卒業者、など。

  公務員の上級職や軍隊・警察のほとんどは、ヒンドゥ-教のカ-スト制度の支配階級が占めている。リエゾン・オフイサ-制度による貧富格差の助長はなお激しい。

 わたしのネパ-ルに住んでいる日本人の友人がいる。彼は珍しくネパ-ル山岳協会の会員。時々に登山規則変更時の外部識者として審議会の委員になっていて、ほとんど意味をなしていなく形骸化しているリエゾン・オフイサ-制度のことを登山局に尋ねたところ、実質公務員の副業として定着している制度なので、中止や廃止はできない、との返答が返って来たらしい。

 

それではエベレスト街道のトレッキングの続きを見てみよう。

今回はキャンヅマkyamjumaからラマ教の大きな寺院があるタンボチエTyangboche 3867mを目指す。

 

タンボチェとゴ-キョピ-クの分岐

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ドブツエ6367m 左チョラッツェ6335m

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タモ村

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カルカのある村とアマダブラム峰

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エベレスト街道を行く アマ・ダブラムを望む

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タンボチェ村の入口

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タンボチエのロッジとエベレスト・ロ-ツエの南壁・アマダブラム

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タンボチエゴンパとアマ・ダブラム峰

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