koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの雪崩 その9 インド・ニルカンタ峰の雪崩 第8回目

ネパ-ルの雪崩 その九 インド・ガルワ-ルヒマラヤ・ニルカンタ峰の雪崩 第八回目

前回はパキスタンのスキムブルム峰のベ-スキャンプ(BC)を襲った氷雪崩を見た。

 このブログの標題は「ネパ-ルの雪崩」となっているが、ネパ-ルの山だけでなくパキスタやインドヒマラヤの雪崩も見てみる。

 

インド・ガルワ-ルヒマラヤ・ニルカンタ峰 6、596m峰の氷河雪崩 6名行方不明

 1993年9月30日、7名の北海道帯広登山隊はニルカンタ峰を登攀していた。キヤンプ2から上部のキャンプ3を目指してル-ト工作中。ニルカンタ峰北東稜の氷河が北壁側に落ち、雪崩となって北壁登攀中の6名を襲った。他の一名は前日からの高度障害でキヤンプ2で様子見をしていた。

 6名は北東稜から北壁側にトラバ-スして直上し、C3建設のため再度上部の北東稜に戻るル-トメイキング中。16時過ぎにC2に居た隊員がテント内で雪崩の大きな音を聞く。テントから出て見ると、北壁側に雪崩の雪煙が高く舞い上がるのを見る。この日6名はC2に戻ることはなかった。その後、C2からベ-スキャンプのコックとインド係官のリエゾンオフイサ-へ連絡を取り合う。

次の日、C2の隊員は双眼鏡で北壁を眺めるが、何一つ生存情況を見つけることができなかった。

 隊員一名とインド人コックとリエゾンが下山。インド関係機関へ事故遭難を知らせ、ヘリコプタ-の捜索を依頼。

 ヘリの空中捜索で、北壁下部に雪崩のデブリとザック2個や登山靴を発見するが、次の日のヘリ捜索では新しい雪崩痕があり、前日のザックや靴は見えなかった。 

この行方不明の登山隊員に私の山友人がいた。

 

リエゾンオフイサ-(LO)

 インドやネパ-ルでの海外登山隊は、政府の係官が随行する。この政府係官をリエゾンオフイサ-と呼ぶ。

 ネパ-ルは、エベレストなど8千m峰14座のうち8座が聳える登山観光国。登山の諸々の約束事が法律で規定されている。その法律に基づいた詳細規定は、プロセスとして内閣閣議において大臣全員の承認で決定され、広報されている。

 ネパ-ルでは登山許可申請のできる山を、メジャ-エクスペディション・ピ-クとライトエクスペディション・ピ-クに二区分している。メジャ-エクスペディション・ピ-クは、ネパ-ル観光省登山局に許可申請し登山料を支払う。又、ライトエクスペディション・ピ-クはネパ-ル登山協会へ申請し登山料を支払う。この区分する基準は6500m以上か以下の標高。互いに以上以下は混合した山もあるがほぼこの通り。

 登山隊にリエゾンが同行するのが、メジャ-エクスペディション・ピ-クの6500m以上の山に限られる。リエゾンの役割は、登山隊が申請し許可された内容通りに行動しているかどうかを見守(監視)ること。例えば、登山隊の滞在した場所にゴミを残置した場合は、事前に登山局にゴミ処理に関するデポジット金を預けたものが返却されなくなる。

 結構真面目なリエゾンがBCまで付いてくるが、BC手前の村くらいまでしか来なくなり、最近ではカトマンドゥから動かない事例も発覚して問題になっていた。

 登山隊はリエゾンに20万~30万RSルピ-を支払う。ネパ-ルの公務員の初任給は24,000RSルピ-(定期昇給は年に60RSと少ない)なのでその金額の大きさが分かるだろう。1RS=1円。

 カトマンドゥ在住の日本人で、私の友人が居てネパ-ル山岳協会会員なのだが、リエゾン制度の廃止を提言。だが、安月給公務員の既得権化しているこの制度、とても廃止はできないとのこと。

 今年の1月に、冬季エベレスト隊に同行したリエゾンがBC約5千mで、高山病のために死亡している。公務とはいえBCまでの本格的なキヤラバンを行うし、命がけの仕事。

 

ネパ-ル観光省登山局がネパ-ル山岳協会を相手取り行政訴訟

 ネパ-ル政府に登山許可申請が始まって以来、ライト登山はネパ-ル山岳協会が担当してきた。この山岳協会は民間団体扱い。

数年前、突然だった、観光省は民間の山岳協会が許認可権をもつのは違法、と裁判を始める。

 一審の判決、「観光省登山局が全ての登山許可権を持つ」。ネパ-ル山岳協会は登山許可権と登山料の収入を失うのか。登山協会は最高裁判所に上告。2016年1月だったと思う、最終判決の最高裁判所判決、「一審判決を破棄し元通りに、ライトエクスペディションの登山申請はネパ-ル登山協会へ、登山料は登山協会へ納付」。

 私はネパ-ル登山協会の会長さんと夕食を一緒にしたことがある。名刺を交換して、氏名の前にオフイサ-と書いてあった。登山協会の会長職は公務員だった。なるほど、リエゾンオフイサ-と同様に、登山と関わる公務員なのだから裁判所も既得権を優先したのだ。民間団体なのに会長の仕事が公務とは?。

 

以下はニルカンタ峰登山隊 登山事故報告書・追悼集より

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ニルカンタ峰北東稜 

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崩落前の懸垂氷河と崩落後

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C2からル-ト工作予定と北壁側に崩れた氷河の図

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ネパ-ルの雪崩 その8 パキスタ・スキムブルム峰の雪崩 第7回目

ネパ-ルの雪崩 その八 パキスタ・スキムブルム峰の雪崩 第七回目

前回はアンナプルナⅠ峰北海道隊のBCが襲われた氷河雪崩を見た。

 このブログの標題に「ネパ-ルの雪崩」となっているが、ネパ-ルの山でなくパキスタやインドヒマラヤの氷河雪崩を見てみる。又後日、ネパ-ル以外の山の雪崩も見てみよう。

 

スキムブルム峰氷河雪崩

 今回は1997年パキスタンのスキムブルム峰・7360mのベ-スキャンプ(BC)を襲った氷雪崩を見る。ヒマラヤの高峰の5千m以上には、降り積もった雪が解けずに氷となる。それが山の斜面傾斜に応じて少しづつ下流に動く氷河となる。

 山の斜面の傾斜角度が鋭く傾斜90度に近くなると、この氷河が下部の地形に左右されて、クレパスやセラックになったり、河の様な流れにならずに空中にせり出す。そのせり出した氷の塊が割れ、先端が転滑落しながら落下する。

 この落下する氷河は、その場所の角度が急斜面だと途中で氷が粉々に粉砕され爆風となって下る。この爆風が登山している人や、登山中のBCや上部キャンプのテントを吹き飛ばす。

 スキムブルム神奈川県ヒマラヤ登山隊は、1977年にパキスタンカラコルムヒマ-ルのK2峰登頂隊員が、登頂20周年記念とした企画した登山隊。スキムブルム峰・7360mの登頂後にベ-スキャンプで就寝中の午前1時過ぎ、スキムブルム峰のBCより上部の氷河が崩れ、爆風となってBCを襲った。なんとほとんどのテントが飛ばされて氷河に叩きつけられ、隊員6人が死亡。4人が負傷した。

 

K2登頂

 K2はパキスタンのヒマラヤに聳える8611m・世界第2位の高峰。日本隊としては1977年に初めて登頂した。この隊39名の隊員が参加。隊荷の全てをBCまで運ぶのに600名のロ-カルポ-タ-を雇用している。この登山隊の報告書は手元に無いので、登頂した広島三郎さんの発行著書を写真で見てみる。

 

ロ-カルポ-タ-と高所ポ-タ-

 私はヒマラヤで荷運びをする人のことを、ロ-カルポ-タ-と高所ポ-タ-と呼んで区別している。相当以前のヒマラヤ登山計画書や報告書には低所ポ-タ-や高所ポ-タ-と書いてある。

 ロ-カルポ-タ-は、遠征隊が車で入れる所から、隊荷運びのために現地の住民やドンキ-などを雇う。4千m前後からはヤクに運んでもらう。

 高所ポ-タ-は、登山隊がBC以上のキャンプを設営して、そのBCでの衣食住の隊にを運ばせる人。私は高所で隊員と同様なル-トメ-キングなどをする人を高所ガイドと呼んでいる。

 普通、高所ポ-タ-はこの高所ガイドの見習いが行うことが多いようだ。高所ポ-タ-はガイドと同様にクランポン歩行やピッケル操作、そしてロ-プワ-クを身に着けていなければならない。

 高所での隊荷を運ぶのにヤクを雇うことがある。私の友人の奥さんはヤクドライバ-をしている。エベレスト街道のナムチェの町から歩いて2時間にタ-メ村があり、そこに夫婦と二男の三人暮らしのシェルパ族。カトマンドゥのエ-ジェントから電話で仕事の知らせが入る。一日でルクラ町のヒラリ-・テンジン飛行場に行き、次の日にはカトマンドゥでお客さんと打ち合わせができる。このご主人とは時々カトマンドゥなどで会う。私はタ-メ村まで会いに行って、お昼ご飯を作ってもらったことがある。以前この友人は、日本隊の高所ガイドをしていて日本人には超有名ガイド。5年ほど前に、登山中クレパスを飛び越えようとして足を捻挫。この登山隊、このガイドを頼りにした登山計画だったので、それで登山中止となってしまった。そのことがありヒマラヤ登山のガイドを辞めて、その後トレッキングガイドに専任。長男坊はチベット仏教のお坊さん。奥さんは二頭のヤクを飼っていて、登山隊専属の荷運びをしている。ヤクは人のポ-タ-の二倍の荷物を運ぶ。ポ-タ-は最高で30kgなので、ヤクは60kgまで。収入は二倍。二頭いるから人間の4人分の収入になる。

 

1977年8月、K2・8611m登頂

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K2 8611m

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スキムブルム峰 7360m

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ネパ-ルのヤク

3500m以上に生息 低地に降りると死亡する

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友人のシェルパ族のガイド(左) 次男(右) 奥さんは仕事で留守

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ネパ-ルの雪崩 その7 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第6回目

ネパ-ルの雪崩 その七 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第六回目

前々回はアンナプルナⅠ峰北面を襲う雪崩を写真で見てみた。

前回は北海道隊の隊員一名が埋没した雪崩について見た。

今回は、1991年10月アンナプルナⅠ峰北面のベ-スキャンプを襲った氷河雪崩を見てみる。

 この氷河雪崩、その発生点の氷河の破断面のある所と、私達が登山中に生活しているBCとの距離は、標高差約2千m、距離約5千m。この距離を最初はほぼ垂直90度の壁を、東京ド-ムの何分の一かの氷の塊が転げ落ちる。この氷塊は落下途中、傾斜の少し緩くなった斜面に当たって、粉々になり、そして降り積もる程の雪状態にまでになる。勢いづいているから突風の猛吹雪。

 雪崩の速度は最初の2千m弱を20秒、総距離5kmを70秒かかっている。最初は時速300km以上になる。初速が時速0kmからだから20秒後のほぼ傾斜の緩い斜面にぶつかる直前の時速は500kmにも達していただろう。

アンナプルナⅠ峰など6千m以上のピ-ク15座のアンナプルナヒマ-ルは、直線状の山脈でなく円形の50kmに及ぶ距離の山群。そのⅠ峰の西側に高峰4座のニルギリヒマ-ルがある。南方からニルギリ南峰6839m、続いて北側に向かってニルギリ峰6940m、ニルギリ北峰7061m、ティリチョ・ピ-ク7134mと続く。このティリチョ・ピ-クとアンナプルナⅠ峰の丁度中間にベ-スキャンプとアドバンスベ-スキャンプが作られていた。アンナプルナⅠ峰北面から流れ下る氷河は、峪状のABCを通ってBCの脇を下っている。

 BCからアンナプルナ氷河沿いにABC方向を見上げると、右上にアンナの頂上、左上にティリチョ・ピ-クを見上げることになる。

 この日も、ティリチョ・ピ-クの稜線上から氷河が転げ落ち、小さな雪崩が落ちていた。登山終了して隊員全員がBCで朝食を終えて、快晴の暖かい朝方、皆がテントから出て日向ぼっこ中だった。

 直前の小雪崩方向を見ていた私は、大きな氷の塊が「ゴロ-」と転げ落ちる様子を見た。何といおうか、背筋が寒くなる様と云おうか、どうしたら良いのかその後の行動を考えようとしたのだろうか。一瞬だった「皆逃げろ-」と叫んでいた。

 BCの氷河の流れ下るのに沿って大きな直径5mほどの大きな岩が数個ある。全員がこの岩陰に隠れることができた。

岩陰に身を伏せたが、どれ程の突風なのか、飛ばされるのかどうか。猛吹雪が通り過ぎて行った。

 負傷者はスペイン隊員一人、逃げる時に足を挫いていた。BCに設営のテント3張がペシャンコ。大きなキッチンのテントも潰れ、BC中央のネパ-ルと北海道の旗は数十mも飛ばされていた。外に干してあったシュラフ一個は、皆で捜索したがついに発見できなかった。

一人、この大雪崩を動画撮影していたメンバ-がいた。身に迫ってようやく避難した。

 

アドバンスベ-スキャンプ(ABC)

 普通、ヒマラヤ登山では、ロ-カルポ-タ-やドンキ-・ヤクなどが荷を背負って入れる所をBCとする。アドバンスベ-スキャンプとは、ロ-カルポ-タ-は登れないが隊のコックが登れる場所のこと。実質隊のBCとなる。

 

ネパ-ルヒマラヤ・アンナプルナⅠ峰BCを襲う氷河雪崩

動画はブログにアップする方法が分からないので、後日に

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ネパ-ルの雪崩 その6 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第5回目

ネパ-ルの雪崩 その六 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第五回目

前回はアンナプルナⅠ峰北面を襲う雪崩を写真で見てみた。

今回はなだれている写真はない。

 1991年アンナプルナⅠ峰北海道登山隊は、ダッチリブル-トにキヤンプ2を設営。3名の隊員が、ダッチリブと云う支尾根状から韓国隊6人が雪崩で死亡した頂上へ真っ直ぐ伸びる氷河状への登道をル-トメイキングしていた。そして、キャンプ1からキャンプ2への荷揚げ隊も同時に行動していた。この荷揚げ隊が行動していたル-トは、その上部がアンナプルナ初登ル-トの鎌氷河の下部になっている。

 3名がダッチリブへの向けて、鎌氷河の下部の斜面をトラバ-スしていた時だった。私はアドバンスBCでゆったりと日向ぼっこをしながら、最上部のル-ト工作隊と荷揚げ隊の両方を交互に双眼鏡で眺めていた。

 鎌氷河からせり出した氷の塊か、又はその下部の氷河かは見ていない。荷揚げ隊の上部に煙型雪崩特有の煙があがった。ここからは、ABCに居た全員が息をのみ、固唾をのむ瞬間だった。

 荷揚げ隊からトランシ-バ-で応答がある。「雪崩に○○が埋まったが、雪の中から声がして、素手でで掘り出し無事」。

 荷揚げ隊のトラバ-ス中、なだれているのが分かり一人は一目散に逃げ無事。一人居ないことが分かり、雪崩デブリを探していると雪の中から声が聞こえた。シャベルなど無く手で声の部分を掘り出す。

 キャンプ3設営を目指していたル-ト工作隊は、この日難ル-トのためキャンプ2に引き返した。

 

※ダッチリブル-ト

 アンナプルナⅠ峰北面の初登頂は1950年フランス隊。その後、この初登ル-トは鎌の形をした懸垂氷河からの雪崩が多いことが分かり、別ル-トを開拓する。それがオランダ隊だったことから、ダッチの名称と支尾根状のリブを合わせてダッチリブル-トと云われている。

 

※煙型雪崩

 雪崩の運動形態で三種類の雪崩がある。なだれ出した雪がゾロゾロとなだれるのが流れ型雪崩。そして雪煙があがるのを煙型雪崩と云う。この両方が合わさった混合型雪崩もある。今回の北海道隊が鎌氷河下部で遭った雪崩は、一人が埋まった雪が小さく砕かれた氷だったので、混合型雪崩だろう。

 

※スカッフ&コ-ル

 現在では、積雪期の山登りには三種の神器と云われている装備を携帯している。それは雪崩ビ-コンとプロ-ブとシャベルの三種類。ビ-コンは縦横10cm位の薄い箱型の電波送受信器。この箱の中にアンテナが3本とコンピュ-タ-が入っていて、雪崩に埋まった人の位置を特定する装置。訓練を積むと10cmほどの誤差で特定できる。雪面の位置を特定したら、棒状のプロ-ブで雪面から突き刺して、その先を身体に当てる。プロ-ブは以前ゾンデと云っていた。グラスファイバ-などの折り畳み式で、40cm×8本で320cmの深さまで探すことができる。プロ-ブが人の体にヒットしたら、それを抜かないで、その斜面下部方向からシャベルで掘り出す。

 スカッフ&コ-ルは、この三種の神器ビ-コンを持っていない人の捜索方法。雪崩痕のデブリ(雪の堆雪)の上から、手で表面の雪を数センチから数十センチ掻き分けて、身体の一部を見つけるスカッフ。それと雪の中の埋没者にめがけて、雪面から雪中に声で「オ-イ」と呼びかけるコ-ル

今回アンナの雪崩では、なんとこの呼びかけるコ-ルをする前に、デブリの中から声がした。

 私達はNPO法人北海道雪崩研究会で雪や雪崩の研究と、北海道雪崩講習会を主催し開催している。その研究と講習会で、このコ-ルをしていて、女性の声よりも男性の声が良く聞こえることを発見している。雪崩のデブリは雪が硬く締まった状態で、そこを人間の声が通り易いのは高音よりも低音なのだ。

 

アンナプルナⅠ峰 北面

 頂上下に鎌型の氷河、初登はその下部から左の流れ下る氷河雪面に左斜上している、ダッチリブル-トは写真中央部の小さな尾根状から、その上部の氷河雪面に登るル-ト

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雪崩三種の神器

雪崩ビ-コン

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プロ-ブ

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シャベル

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ネパ-ルのお祭り その11  ホ-リ-祭(水掛祭)Holi(Fagun Purnima)

ネパ-ルのお祭り その十一  ホ-リ-祭(水掛祭)HoliFagun Purnima

 

3月20日から4月18日まで、10回に亘ってネパ-ルのお祭りを写真で見てきた。

 既婚女性のお祭りのティ-ジュ祭から始まり、生き神様クマリのお祭りインドラ祭、そしてネパ-ル最大のお祭りダサイン大祭、最後に光とティカのお祭りティハ-ル祭を見た。

今回は水のお祭りを写真で見てみる。

ホ-リ-祭は、ホリカ魔女に神が勝利するお祭り。

 ビシュヌ神の敬虔なな信仰者の実の息子プラルハドを殺そうとした悪魔の父親ヒランニャカシャブの妹ホリカが死んだことを祝うもの。

元々は色づきの水を掛け合つていたが、最近はただの水を掛け合う。

 これが、道端や公園などで行っているが、それ以外の路地裏のなんと3階建て4階建て建物の屋上から、下を歩いている人やオ-トバイめがけて、バケツ一杯の水を掛ける。

 私も家から出かける時に、何とはなしにお祭りのことを忘れていて、いきなりの行水みたいに掛けられた。お祭りだから怒ることもできない。

上から水を掛けられた人は負傷しかねない危険極まりないことになっている。

今年は3月12日なので、もう終わっている。

では写真を見てみる。

 

下のバイクめがけてタライとバケツの水が

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下を歩いてる人めがけて

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下の三人をめがけてドッサリの水

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何も知らないバイクへ

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ネパ-ルの雪崩 その5 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第4回目

ネパ-ルの雪崩 その五 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第四回目

前回はネパ-ルヒマラヤのアンナプルナⅠ峰の初登頂や南壁の初登と冬季初登を見た。

今回はアンナプルナⅠ峰北面を襲う雪崩を写真で見てみる。

 私は1991年ポストモンス-ン季に、アンナプルナⅠ峰北面の登攀中、鎌氷河からの雪崩と北面全体の雪崩、そしてベ-スキャンプが襲われる氷河雪崩に遭うこととなった。実際には私は氷河雪崩に遭い、それ以前に発生した雪崩には他の隊員が埋没したりした。

 今回は、登山隊員に被害がなかったが、登攀ル-ト全体が雪崩に巻き込まれる大規模な雪崩を写真に撮ることができた。その写真を見てみてる。

 

 

アンナプルナⅠ峰 北面

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雪崩の連続写真

この雪崩は乾雪表層雪崩なのか氷河雪崩なのか判断できなかった

観て雲が発生する様ななだれ方をするのを煙型雪崩と云う

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ネパ-ル大地震から2年

ネパ-ルの大地震から二年目

昨日2017年4月25日、ネパ-ル大地震から二年目の日。

 ネパ-ル大地震は9千人の命を奪った。多くの外国人もいた。負傷者数は統計に表れない山岳地などを除いて21、000人に達している。

 私は昨年の9月から11月まで、ネパ-ルの首都カトマンドゥ市で生活をしていた。大地震から一年半経過したネパ-ルは、地震で崩れたレンガなどの瓦礫は跡形もななく片付けられていた。しかし、そこで見たのは、日本の東日本大震災熊本地震の後の様な、古い建物を支えていた大きな柱や100mにも及ぶ道路脇のレンガ塀の補修途中の様子など。大柱は何世紀も前に建てられた木造とレンガの建築物の倒壊跡に横たわっていた。私が通って観た所だけでも、数か所にテント村があり、多くの避難住民が生活していた。テント村と云っても、竹や木を柱にプラスチック(ビニ-ル)を屋根や壁にしたもの。

 

ネパ-ル政府の地震からの復興は進まず

 ネパ-ルの地震被害の復興業務は、国の復興庁が主な作業を行っている。しかし、この復興庁で全国の被災地の復旧に向けた施策を具体化しても、その費用を捻出する財務局に書類を提出して、改めての審議が行われるなどの縦割り行政で、一向に復興が進んでいないらしい。

 国連を通じた呼びかけに各国の国際的な支援金額は4500億円を予定しているが、2年を経過して90億円の財務支出に留まっている。一向に復旧・復興が進んでいない。その原因は。

 ネパ-ルの民主化は1990年ころから始まり、2007年に暫定憲法制定。2008年に王制廃止。その後新憲法制定に各政党間の協議が進まず、漸く制定までこぎ着けると、こんどはインド系住民の憲法差別反対運動とインドからの石油などの輸入がストップ。そしてこの差別是正憲法修正条項制定に追い込まれ。なんとその間、二年間に首相が二度も交代するなど、ネパ-ル政府の混乱があった。

 日本でも地震直後からネパ-ル支援活動が始まった。私は登山活動を通じてネパ-ルを行き来していた。日本の登山団体の日本山岳会日本山岳協会日本勤労者山岳連盟など、多くの団体や仲間がカンパ活動に取り組んだ。しかし、この浄財は、直接に現地の被災者へ届けられず、日本赤十字社とランタンプラン住民支援団体に届けられたため、何処へ行ったのか分からなくなっている。日本赤十字社は当然ネパ-ル政府へ届けることになる。

 

被災者へ届けられなかったカンパ金

 地震直後に国際団体が直接ネパ-ルで活動した。このネパ-ル政府へ届られたお金が使われた。その時の費用を見てみる。海外から駆け付けた外人の日当は、一人一日320ドル、ネパ-ル政府の役人などネパ-ル人の日当は120ドルだった。世界各地でカンパしたお金は、そのほとんどが人件費で消えた。なんと高額な給料か。ネパ-ル人公務員の月給が24、000RSルピ-。1ルピ-=1円。ネパ-ル人は二日働くと一か月分の給料と同額になる。

 海外から派遣された外国人もボランティアではなく、高給取りの支援活動となった。

登山団体が集めたカンパは、その半分が日本の民間団体のランタンプランに渡された。ランタンプランはネパ-ルのランタン渓で自然保護と住民の自助努力原則の住民の生活支援を行ってきた。1986年から電気の無い所に発電所建設などを行っている。

 地震直後に北海道大学内でこの団体の支援報告会が開かれた。その集会で、引き続きの支援活動カンパの要請があった。ところがだ、会場に集まった市民からの質問の答えはこうだった。「集まったカンパはランタンプロジェクト日本メンバ-の渡航費やネパ-ル滞在費・ランタンまでのヘリコプタ-往復料金に使用」。市民から非難ごうごう。被災したランタンヒマ-ルの被災者には届かないのだ。

 

ランタン村は二度と被災されない場所へ移転を

 ランタンプロジェクトのメンバ-には、二度とヒマラヤの高峰にある氷河が崩れ落ちても被害の無い場所への、村全体の移転を提言する活動を行ってほしい。と私は願っている。カンパを有効活用すべきだ。

 ネパ-ル大地震から二年が経過した。家の全壊したネパ-ル住民へ手渡された支援金の額は50,000RSルピ-だった。いまだに全壊した家71万戸中60万戸が手つかずのまま。

 4月21日に「ネパ-ルの雪崩」としてブログに紹介したランタン渓の雪崩について考えてみよう。

 私が二十数年研究した雪崩は、雪崩発生地点から雪が動き下って止まる位置が、ほぼ決まっている。「高橋の18度」と云われていている。雪崩研究者の高橋さんが、過去の雪崩を研究分析した結果、雪崩が止まるデブリから発生点の破断面を見上げた見通し角度が、最長でも20度と判明。それでも一割の安全率を保って18度とした。

ランタン村から見上げて、上部に氷河の無い所か、又は見通し角度が18度より少ない場所になる。

 

友人達からのネパ-ル被災支援

 私は昨年ネパ-ルを訪れた時、私の女房と友人達からのネパ-ル震災義援金のカンパを持参していた。私の友人の会社と3団体が、ネパ-ル被災支援基金を立ち上げて、被災者の支援活動を行っていた。

 その支援活動の一端に、登山やトレッキングで訪れるク-ンブ地方(エベレスト街道)被災者就学児童支援基金があった。登山ガイドやロ-カルポ-タ-達の子供たちへの就学支援が目的。2万円で一人一年間の学費を賄える。10万円を支援基金に置いてきた。

 3団体が設立した基金、タレントのなすびさんも入っている。なすびさんは2013年から、2011年の東日本大震災の支援事業に現地を励ます目的でエベレスト登頂目標を挙げた。2013年プレモンス-ンネパ-ル側からのアタックは天候悪化で断念。次いで2014年は、BCからキャンプ1間で氷河雪崩発生。ネパ-ル人ガイドや高所ポ-タ-13人死亡、3人行方不明。全隊が登山中止。更に2015年はこのネパ-ル大地震で300名の外国人がBC入りしていて、この時も隣の山プモリ峰7165mからの氷河雪崩で18人が死亡。又も登山中止。プモリ峰の山裾がエベレストベ-スキャンプになっている。

 ちなみに、今年2017年のエベレストは約500人の外国人が登頂を目指して、今ベ-スキャンプに滞在している。

 なすびさんは4回目のアタック、2016年春にエベレスト登頂している。東日本震災の支援活動としてエベレスト登頂を目指していたが、エベレストベ-スキャンプで大地震と大雪崩に遭った。そしてネパ-ルの被災者支援、中でもエベレストの聳えるク-ンブヒマ-ル地域の支援活動をしている。

 

パタン旧王宮広場 地震の前 左・ジャガナラヤン寺院  右・クリシュナ寺院

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地震

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バクタプ-ルの旧王宮広場 地震

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バクタプ-ルの旧王宮広場 地震

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バクタプ-ルの旧王宮広場 地震

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バクタプ-ルの旧王宮広場 地震

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ボダナ-ト 地震

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ボダナ-ト 地震

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ランタン村 地震

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ランタン村 地震後 友人の写真 レスキュ-ヘリコプタ-から

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