ネパ-ルの王宮と寺院や仏塔 その七十九回目
パタンの王宮と寺院や仏塔 その七回目
パタン旧王宮広場
前回は、もっとも王宮広場に近い寺院のマチェンドラナ-ト寺院 Machhendranath temple の写真を見た。
パタン市内の寺院などの写真を6回に亘って見てきた。
今回は、パタン市の中心にあり、世界遺産登録されている旧王宮広場の写真を見てみる。
パタン市はラリトプ-ルと呼ばれ、正式名称でLalitpur Sub-Metropolitan City。
ネパ-ル国内では、カトマンドゥ、ビラトナガル、ポカラの次に4番目に大きな都市です。
ネパ-ルのラリトプ-ル地区のバグマティの南岸のカトマンズ渓谷に位置し、カトマンズからバグマティ河を挟んで二重の都市を形成している。
1000年頃には約10万人の住民が住み、世界で10番目に大きな都市だった。2001年には166,674人の人口。現在は約30万人都市。
カトマンドゥ盆地3王時代
パタン王宮広場は、12~18世紀に建てられた寺院などが多い。
その中でも、主に16世紀から18世紀のマッラ王朝期に建立されている。
ここの王様、1619年にカトマンドゥ王国から独立している。カトマンドゥ王からのパタン王の分家だ。国王の息子が独立したのか王の兄弟なのかは分からない。誰か知ってる方がおりましたらご教授お願いします。
そもそもは、13世紀からマッラ王がバクタプル王宮を建立した時から始まる。
1450年にバクタプル王からカトマンドゥ王が独立する。バクタプル王からカトマンドゥ王が分家した。バクタプル王宮の位置は、カトマンドゥとパタンの東方8km。
その次にポカラ王も分家してカトマンドゥ盆地に3王国時代がやってくる。
その後であるが、カトマンドゥ盆地の3国王が戦争で敗れる。1769年カトマンドゥから西に90kmのゴルカの王ブリトゥビ・ナラヤン・シャハが、バクタプル・カトマンドゥ・パタンを攻め戦勝し、シャハ王朝時代を築く。このシャハ王、ネパ-ルを統一する最初の王様。
この時の3王が敗れた戦争、カトマンドゥとパタンの王様はバクタプル王の住む王宮内の黄金の門に逃げ入つたと伝えられている。バクタプル旧王宮は後日に写真で見ることとする。
それではパタン旧王宮広場を写真で見てみる。
パタンの王宮広場、その広場を取り囲むように半径300m~500mに多くの寺院と仏塔も散在する。
王宮広場の南側の寺院は、ここまで6回で写真を見た。
写真の右側がパタン国王の居住建物
左側に寺院や仏塔などが並ぶ
パタン市地図
パタン旧王宮地図
王宮広場
左下に外人に入場券を売るチェックポスト
入り口の門がある
市内南側のバスパ-クから歩いて数百m
観光客はタクシ-で訪れるので、ここを歩くのは地元の市民
地元の商店街が続く
パタン王宮広場入口の門
王宮広場 パタン・ダ-バ-・スクエアの説明石版
国王石柱
カトマンドゥ盆地で花開いたネワ-ル文化の金細工で出来ている