ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 第七回目
王宮の七回目 パタン旧王宮 一回目
前回は、カトマンドゥ旧王宮内に掲示されている、ネパ-ルの歴代国王の肖像画や写真を見た。
今回はカトマンドゥ市内から、バグマティ川の橋を西に渡ったパタン市の旧王宮を写真で見てみる。
パタン市は299年に築かれた古都で、現在でもネワール族の金銀細工、木彫り、絵画など工芸の街。
王宮の広場には、12~17世紀に建てられた寺院が多く、広場を取り囲むように半径300m~500mに多くの寺院と塔が散在する。
パタンの宮廷は、周囲を多くの寺院や仏塔などに囲まれている。パタン市内には、紀元全250年にインドを統一したインドのアショ-カ国王が、仏塔の4塚を建設している。
紀元前250年の話
インド亜大陸を統一した古代インド・マウリヤ朝のアショ-カ王(在位紀元前268年頃~232年)が、仏教普及に熱心で、ネパ-ルのルンビニにブッタの生誕地詣でに来てる。
ネンビニに誕生したお釈迦様のブッタは布教のためにネパ-ル渓谷(現在のカトマンドゥ)を訪れた。アショ-カ王(無憂(むう)王)もその跡を辿って、紀元前249年と250年頃にルンビニと同時に、現在のカトマンドゥ市内パタンに4塚(仏塔)と、ボダナ-トやスワヤンブナ-トを建立した。
パタン王宮以外の寺院や仏塔の写真は、後日に見てみる。
パタン王宮の誕生と敗戦
13世紀マッラ朝がネパ-ルを統治する。国王制度の始まり。
1450年頃、バクタプル王からカトマンドゥ国王が独立。
1619年、カトマンドゥ王からパタン国王が独立し、三国時代となる。
1769年、第10代ゴルカ王のプリトウビ・ナラヤン・シャハ王が、、バクタプル国とカトマンドゥ国・パタン国の三国を攻め、ネパ-ルを統一する。シャハ王朝時代の始まり。
パタン王宮
パタン王宮は、現在は2015年4月25日のネパ-ル大地震の影響で使用していない。
わたしは1991年にアンナプルナⅠ峰8,091m登山で訪れた時に、パタン王宮に入ってみた。入口は何の都合もなく入れたので、3階まで登った時に、大声で住民に怒鳴られてしまった。旧王宮だとばかり思っていたのだが、一般住宅になっていたのだ。
人の家に黙って入るのだから、怒られるのは当たり前。その後1997年にパタン博物館になっている。博物館にはヒンドゥ-教と仏教の神像や装飾品が展示されている。
1734年に完成した王宮。マニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-クと呼ぶ。
右側の建物が、手前からスンダリ チョ-クとムル チョ-ク、その右奥にタレジュ寺院、奥の三重屋根のマニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク。
パタン・ダ-バ-スクエア-(王宮広場)の説明
パタン世界文化遺産 入場門