koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの功徳 第4回目

ネパ-ル人の功徳生活 その四回目

 前回はネパ-ルでのご挨拶は、全体的には年齢差で違いがある。しかし、家のしつけ次第でヒンドゥ-教の教義に沿ったご挨拶をする子供達や青年達が居る、ことについて触れてみた。

今回はヒンドゥ-教徒の功徳について、日本人として考えてみたい。

 ヒンドゥ-教は、輪廻転生の教義があって、死して動物に生まれ変わる。生れ変わる動物のうち、また人間として生まれ変わりたいと誰でも願望している。その願いを叶える最良の方法が功徳を積む日常生活。

 「功徳を積みなさい」というヒンドゥ-教の教義があるのかどうか。わたしには分からない。また、「人間に生まれ変わるための功徳」が教義にあるのかどうか、これも知らない。

功徳の生活は日常

 ネパ-ル生活をしていると、なんとなく、ネパ-ル人が功徳を積む生活に日々接っし見うけられる。毎朝、大家さんご夫妻がヒンドゥ-教神様にお参りする。灯明を灯して頭を垂れる。わたしにとっては、銅製品の鈴の音が早朝の目覚まし時計となっている。家から出かけるときは、子供も大人も、外の神を祀る小規模なストゥパにお参りする。

 

日本人の善意や援助の行為は、ネパ-ル人の貧富格差を助長

 日本人がネパ-ルに学校を建設、とテレビや新聞などで報じられている。ネパ-ルを訪れた日本人が、ネパ-ルの教育事情を知り、カトマンドゥ郊外やご自分の訪ねた地に学校の校舎建設をしている。

 わたしの友人のご兄妹も定年退職を機に、数百万円を日本のNGOに寄付し、そのNGOがネパ-ルに学校を建設した。ネパ-ルの地方の町村では、100万円で小中学校一校の建設費となる。開校当初の教員給与にも充てられる額。勿論、通う生徒の教材や学用品費も賄われる。わたしには、二度その学校を訪問して大歓迎されたと、語っていた。

 ネパ-ルでは20年ほど前から、国連や日本を含めた欧米の援助で、国内隅々まで学校建設が進んだ。家や両親は貧しくボロボロの衣服で生活する、その子供達が外国援助で国から支給された学校制服を着て、ノ-トや教科書を抱えて登下校する姿を見かける様になった。

 わたしがネパ-ル暮らしをしていて、少し解ってきたことがある。貧しい生活をする一家にとっては、労働力のある子供も働き手だ。勉学のための学校に行く時間も、その家庭にとっては収入や農業のための時間であるべき。

 学校の無い貧しい町村であれば、援助の学校建物と教員派遣は、大変ありがたい。だが、通学する子供の家庭の経済援助がなければ、結果お金持ちの子供だけが教育の機会に浴するのみ。貧富格差が増々開く教育制度援助活動になってしまう。

日本人の善意や援助の行為は、ネパ-ル人にとっては単なる功徳

 わたしの家には仏壇がある。両親から受け継いだ財産の一つ。信仰や宗教を受け継いだおぼえはないが。わたしの家の宗派は浄土真宗なのだが、わたしは信心が薄いといおうか少ない。

 信心の薄いわたしは、ネパ-ルのヒンドウ-教徒と友人関係で家族ごとお付き合いして、自分の生活する世界と全く異なる世界観社会を、少し分かるような気持ちをしている。いや、何時まで経っても、ネパ-ルのヒンドゥ-教社会が理解できないこと、を理解したと云えるのかもしれない。

 これは、わたしが勝手に考えることだが、ネパ-ル人は善意で学校建設援助した日本人に対して、決して「ダンネバ-ド」とは云わないだろう。

 テレビなどで仏教徒にごはんをあげる様子が放映されている。お坊さんは頭を下げることもなく、感謝して「ありがとう」とは決して言わない。だと、お坊さんは、どう思ってごはんを貰うのだろう。お坊さんの仕事は、テンプルでお読経する。ネパ-ルで生まれたお釈迦様が2500年ほど前に、インドで悟りを開いている。お坊さんも悟りを目指して読経に専念するのが仕事なので、生産性ゼロの世界。信心深い信者の托鉢があって、専念できるので、托鉢を施与する信者へ感謝する理性や心は深いと思われる。こう思うは、宗教心の薄いわたしの間違った思考や思想。

 ごはんを貰う側のお坊さんは、感謝するとかしないとか、一切の理性や感情はないのだろう。その代り、托鉢を施与する信者は一回徳を積んでいる。功徳の世界がここにはある。

 日本人がネパ-ルに学校を建設する。この善意と云おうか援助活動は果たして感謝されるのだろうか。否、ヒンドゥ-教社会では、援助する日本人が一回功徳をするのみで、ネパ-ル人は感謝するとかしないとか、そんな理性や感情は存在しない。強いて言えば、功徳を一回積ませてあげたので、日本人はネパ-ル人に感謝すべき、と思っている。わたしはこの様にネパ-ルの社会を感じているのだが、信じられるだろうか。本当だろうか。10年もネパ-ルで暮らし、ネパ-ル人と付き合っているが、本当のところまだまだ分からない。

 日本人がネパ-ルに学校建設するのなら、自分でコンクリ-トを練り、レンガを積み、波トタンの屋根を葺き、窓やドアを作り、机や椅子を作り、そして学校の先生をしなければ感謝の対象にはならないだろう。ただお金を出しただけ。

ダンネバ-ド=ありがとう

 

ヒンドゥ-教のお参り

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神像が三体 灯明 チャリンチャリンの鈴

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家内安全祈願の儀式 

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サル像にお参り

テンプル内やお参り時は靴やサンダルを脱いで

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お祭りの儀式

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ネパ-ル人の友人一家

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