ネパ-ルの楽しいトレッキング その六十五回目
エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol khumbu)の二十六回目
前回は、エベレスト街道の出発地ルクラから、登山隊やトレッカ-の荷物、そして各地のバティやレストランの必要物資を運ぶゾッキョやヤクを写真で見た。
今回は今日の目的地ディンボチェまで。そして、ルクラから軽い高度障害で頭痛が直らないので、ディンボチェDingboche 4350mから別ル-トを30分戻りペリチェPeriche 4252mへ行くことにする。
ペリチェには高山病の治療施設の診療所がある。エベレスト街道には出発地ルクラに大きな病院がある他には、ここペリチェの診療所しかない。ペリチェ診療所はポストモンス-ン季からプレモンス-ン季まで、ネパ-ル人でなく外国人の医師が常駐して、主に登山やトレッカ-の高山病に対応している。
ペリチェ診療所で高度障害の頭痛解消
わたしは朝早くディンボチェを出発して、早々にペリチェの診療所で診察してもらった。利尿剤のダイヤモックス錠をもらって、この日はここペリチェで行動終わり。早速錠剤を一錠飲む。この日は忙しくトイレに通い、おしっこが出るわ出るわ。翌日の朝、今までの頭痛はスッキリ。
わたしは1981年に初めてネパ-ルに来たときから、都度4千m前くらいから高度障害に悩まされた。ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mのアタックは、次の年の1982年。この時は最悪だった。4300mのベ-スキャンプに入ってすぐに軽い高山病を発症。この時も出発がルクラで2800mから一気に4300mに上がったのがいけなかった。歩行困難な症状で、コック見習いのカンチャのナムゲル・シェルパに担がれて、標高500m以上を下ろされた。岩場の下降で、メンバ-のロ-プ確保で慎重に下山。3日間ドクタ-と一緒に羊などが草を食むカルカで過ごすことになる。
この後も高度に弱い体質で、1987年1991年と続くヒマラヤ遠征では、1991年のアンナプルナⅠ峰北面遠征時、メンバ-が先を急ぐのに、わたしはガイド一人と一緒に皆より三日間遅れでベ-スキャンプ入りしたものだ。
カンテガ 6779m(6685m) Kangtega
診療所のあるベリチェ 右奥にロ-ツェ峰 8516m
ペリチェの診療所
振り返るとアマ・ダブラム峰 6856m
ペリチェのバティ(ロッジ)、ガイトとロッジの従業員達
ロッジのキッチン