ネパ-ルの楽しいトレッキング その二十五
ランタンヒマ-ル・トレッキング 七回目
前回は1981年当時のランタン村からキャンジンゴンパまでを写真で見てみた。
今回はそれから21年後の2002年のランタン村からキャンジンゴンパと、そこから家が無いヒマラヤの奥地、チベットとの国境にそそり立つ6千m~7千mに迫るヒマラヤを眺望するランシサ・カルカまでを見る。
ネパ-ル語の「カルカ」は、放牧地の意味。
ランタン村が3500m、キャンジンゴンパは3800m、ランシサ・カルカは4125m、ちょうど水牛とヤクを掛け合わせたゾッキョやヤクの生育できる標高。
ランタン村では多くの家畜としてのヤクやゾッキョを飼っている。春になるとそこから家畜の餌の牧草を求めて標高700m近く登る。秋の降雪前にランタン村へ戻る。
3800mのキャンジンゴンパは、わたしがトレッキングした1981年当時はただ一軒のチ-ズ工場の小屋があった。現在では、多くのトレッカ-を受け入れるバティ(ロッジ)が建てられ、町を形作っている。2015年4月25日のネパ-ル大地震では、上部のヒマヨラの山の氷河が崩落、ランタン村は全滅、キャンジンゴンパは半壊の家が多い。懸垂氷河が地震の震動で崩落、ヒマラヤの急傾斜斜面を転がり落ちる。ランタン村は、途中の土砂を巻き込んで落下。キャンジンゴンパは粉々の猛吹雪となって襲った。
わたしは昨年の5月までNPO法人北海道雪崩研究会の会長をしていた。長い研究生活で、この氷河雪崩の速度は時速200km以上程度だと考えられる。
キャンジンゴンパを襲った雪崩については、次回に観てみる。
今回は2002年当時のランタン峪のキャンジンゴンパ周辺を写真で見てみる。
1981年のキャンジンゴンパ
ヤクやゾッキョのミルクから作るチ-ズ作りの小屋が一軒あるだけ
2002年当時のキャンジンゴンパ
キャンジンゴンパからのランタンリルン峰 Langtang Lirung 7234m
ランタンリルン峰から流れ下る氷河
ランタン川を渡るゾッキョやヤクの群れ
キヤンジンゴンパ周辺の山々
下の写真 ドルジェ・ラクバ峰
放牧中のヤク
ヤクは毛並で分かる
バティ(ロッジ)の家族
男経営者をサウジ 女経営者をサウニと云う