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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの道路と道路工事 その4

ネパ-ルの道路と道路工事 その四

 前回は、カトマンドゥ市内の私が住んでいるラジンパット地域の、幹線道路ラジンパット道りの道路拡幅工事を見てみた。

 

ヒマラヤの生活道路と自動車道路

 ネパ-ルの道路なら、何といっても山岳道路。ヒマラヤの村から村へ縫うように造られている道だろう。ネパ-ルの山間部には、いつごろから付けられたのか分からないくらい昔からの道路がある。前々回はアンナプルナヒマ-ルの奥地の車の通れない道路を見た。

 アンナプルナヒマ-ルは、ジョムソン村を中心に、今ではネパ-ルの第2の都市ポカラからジョムソン、そしてジョムソンからロ-マンタンやムクチナ-トへの道。1995年くらいまでは車が通れない、バイクもダメな道路だった。それが1990年代後半から、中国などの援助で車道の建設が始まり、2000年に入って、アンナプルナ方面のカリガンダキ河沿いに、そしてランタンヒマ-ル方面に自動車道路が完成した。

 私達外国人は、登山やトレッキングでヒマラヤを訪れる。決して車の通る道路をトレッキングするためにネパ-ルへ行くわけではない。ので、この道路は素晴らしい景色のヒマラヤを眺める目的では、幻滅の道路と云える。

 

秘境ムスタンまで延びた自動車道路

 昔から急ぐ場合は奥地の飛行場までフライトした。しかし、アンナプルナ方面に限っては、現在ではその最奥地チベットの国境地帯のロ-マンタンやムクチナ-トまで自動車道路が完成している。ムクチナ-トは標高3798mでロ-マンタン(ムスタン)は3730mで、車で一気に入ると高山病になってしまう。

 ムスタン地区の首都ロ-マンタンを少し説明。1350年にチベツトから移住したチベット人によって王国ができる。第二次大戦後の中国共産党による中華人民共和国の設国と、それに伴う仏教弾圧と独立国チベットの中国併合に伴うチベット動乱以後は外人入国禁止。1991年10月にようやく外人の入国開放。この間に一人だけ外国人が入国している。それは、カトマンドゥのトリブヴァン王の許可書を持参したスイス人のトニ-・ハ-ゲンさん。

 昔のロ-マンタンは王様の居る小自治王国で、それが、なんと2008年10月7日ネパ-ルの王政廃止(藩王制廃止)に伴ってこの小国の王も一市民となり、自動車道路でアッという間に訪れることができることとなった。

1350年から続いたムスタン王制の、最後の王はジグメーパルバル・ビスタ王。

 昔の秘境であるムスタン地区ロ-マンタンまでトレッキングをしたい場合。昔と現在を比較してみよう。

 

トレッカ-にとっては幻滅の自動車道路、現地の住民の足

 まず昔の場合。ポカラ市までバスかフライトで。そして日数に限りのある人は、ポカラからジョムソン2743mまで25分のフライト。ポカラからジョムソンまで歩くと7日間はかかる。そしてジョムソンからロ-マンタンまで徒歩7日間。全行程徒歩だと14日間。

 現在だと、ポカラから飛行機を使わず全行程を車で。私が2009年10月にジョムソンを往復した時は、ポカラを朝の朝食も食べずに7時に立ち、路線バスで途中二度乗り換えして夜になりそうな午後6時30分にジョムソン着。そこからは一日でロ-マンタンに着くので、全行程2日間で着いてしまう。

 トレッカ-が幻滅と思うこの自動車道路、現地の村々に住む人達にとつては、待ちに待った自動車道路。そして、外人でも高齢者にとっは、全くありがたい道路だった。私と女房、そして親戚と友人の足が悪く長距離歩けないメンバ-含めて四人。2014年ジョムソンまで飛んで、そこから車を利用して、なんと徒歩の最長歩いた距離はたったの100m。それで7千m峰や8千m峰を麓から見上げるようにしてトレッキングを行うことができた。カトマンドゥから4泊5日の歩かないトレッキングだった。このトレッキング、際どいフライトにも挑戦してみた。

 

旅行代理店がダメです、という一日で飛行機の乗り継ぎ

 カトマンドゥからジョムソンまで、途中ポカラで飛行機を乗り継いでのフライト。カトマンドゥのエ-ジェント(トレッキング代理店)は、一日での乗り継ぎフライトチケットは手配できません、ときた。私も確かに分かる。カトマンドゥ発が遅延してポカラ発に間に合わなかった場合は困る。仕方がない。自分でトライすることにした。フライトがポカラに着陸。即ネパ-ル人ガイドに、「次の日のジョムソン行チケット5人分で、今日中のポカラ発ジョムソン行フライト空き席」調べを指示。

 私達のガイド、エベレストに7回登頂のシェルパ族ガイドは、「次の便のフライトに空きがあった」「今出発します」と走ってくる。普通のフライトは、お客さんの機内持ち込み手荷物と預け荷物の重量を計るのだが、急いで乗り込むので軽量をパス。ヒマラヤ最奥のジョムソン飛行場への小さな双発飛行機の乗客は私達5人だけの貸し切りだった。そして、普段は綿の耳栓と飴玉を配るのだが、それが無い。聞いてみると、帰りのジョムソン発のフライトは満席で帰って来るのだそう。

 ジョムソンに着いてから、エ-ジェントに電話。そして、ポカラに宿泊の手配をしていたホテル・リバ-パ-クのプラカシ・パンチィ社長にも電話。ポカラのホテルは私が良いホテルを探していて見つけたところ。定宿にしている。社長が日本に6年間、奥さんは7年間出稼ぎで滞在。日本で長女が誕生している夫婦。日本で稼いだ資金で、ポカラの借地にホテル建設。そこで約10年間儲けた資金を頭金にしてホテル新館を2013年に完成している。トレッキング行に宿泊するのを帰りに一泊多く泊まるから、と電話で伝える。

 

多くのトレッカ-や登山者はパッケ-ジ。私はフリ-

 私は1981年からネパ-ル通いをしている。その間ネパ-ルのエ-ジェントにはパックで登山やトレッキングをお願いしたことはない。今回はフライトの手配とガイド一人を頼んだだけ。フライトは値段が高いが、フライトしないトレッキングなら、エ-ジェントパック料金の三分の一の費用でできる。2009年に女房と二人でカトマンドゥ発着10泊11日のトレッキングで総費用700$ドルだった。最近では私がガイドをして、ネパ-ル人ガイドは専ら通訳をしてもらっている。

 

次回はアンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルの中間を流れ下るカリガンダキ河のトレッキングを写真で見てみたい。

 

カトマンドゥ発ポカラ行 グリ-ンバス Greenne

片道25ドル ミネラルウオ-タ-1本と昼食付

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ポカラ~ジョムソン間の新しい自動車道路

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ジョムソンの町 自動車道路の建設前は町が無かった

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カリガンダキ河の右岸に自動車道路 ダウラギリⅠ峰8167m 

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自動車道路から離れ、旧道の地元生活道路へ

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ポカラ~ジョムソン間の自動車道路

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カトマンドゥ~ポカラ ブッダエア-

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チャレンジ 一日でフライト乗り継ぎ成功 シムリックエア-ライン

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貸し切りの機内

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