koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの友人達

 世界遺産の連載中なのだが、ここで少しネパ-ルで出会い友達関係のお付き合いをしている人を紹介かたがた出会いなどを記してみたい。

 先日、ナムチェバザ-ルから約2時間のタ-メ村のペンパツェリン シェルパについて書いた。ペンパツェリン さんは、タ-メ村に尋ねて昼食を作ってもらうなど親交を深めたものだ。その時は日本の山岳雑誌「岳人」に大きく取り上げられたペンパツェリン シェルパの記事を見せてくれた。1980年代前後に、主に大学山岳部のネパ-ル遠征時に高所ガイドをしていた経歴を持つ。その後はシェルパ頭のサ-ダ-として活躍する。

 このペンパツェリンはカトマンドゥの私の友人ダャン・バハド-ル・ライさんの奥さんサァラダさん経営のレストランで初めて出逢った。ダャン・バハド-ル・ライさんは通称名ニックネ-ムをDBさんと云う。前にも書いたが、ペンパツェリン さんはタ-メ村に住んでいて、日本の登山隊の高所ガイドの仕事の度にカトマンドゥから呼び出されて出かけていくのだが、私がカトマンドゥ住まいの時に限ってなのかどうか、たまたまなのか時々出会う。私と女房がアンナプルナのトレッキング中に、飛行場のあるジョムソンから温泉のあるレテまで歩く途中のマルファ村でも出会った。この時はDBさんと一緒でパ-ティのお客さんのお世話を終えて、夜遅くにヤ-ヤ-一杯でも飲もうかと宴会になった。マルファはリンゴの産地で有名で、リンゴ酒で乾杯。リンゴで造ったブランデ-も売っている。このリンゴ、日本の長野のリンゴ農家の指導よろしく、ジョムソンからマルファ-地域の特産物になっている。

 ペンパツェリンとは息子はどんな職業についているのかなど、お互いの家族の話で盛り上がったり。そこで彼の長男がチベット仏教系の仏教の僧侶で、夫婦と次男と一緒に暮らしていること。私の息子はハスラ-でビリヤ-ド場を経営していることを説明するが、これがなかなか理解できず、プ-ルバ-と云うとようやく判ってくれた。こうして以後、DBさんの奥さん経営レストランで出会うたびに話し込む相手になった。

 

 DBさんことダャン・バハド-ル・ライさんとは9年の付き合い。私が9年前の9月に借家探しに付き合ってくれたのが最初の出会い。この時1週間か10日間カトマンドゥ市内の借家探しをした。ガイドをしていた彼、友人のコスモトレック㈱社長が一緒に借家探しをするようにと、云われて私に付き添ってくれた。この時に決めたフラットの大家さんとも9年来の付き合いをしている。

 DBさんの奥さんがレストランを経営していて、二日に一度は食べに行くようになって、増々親しく付き合うことになった。最初の頃は小学生と中学生の娘さん二人がレストランの食材作りを手伝うのを見ながら食事をしていた。

 DBさんにはフラットを見つけてもらった縁で、石油スト-ブの購入を手伝ってもらったり、その後のカトマンドゥ暮らしには欠かせない友人になっていくのだった。

 DBさんが仕事の無いネパ-ルの雨季に日本の山小屋でアルバイトをしに来たときには、八ヶ岳の中腹にある山小屋まで、会いに札幌から出かけたりしたものだ。

 今ではDBさんの長女サァロザさんはバングラディッシュのダッカ大学歯科学科を卒業。次女スェ-タさんはカトマンドウ工業大学建築学科を今年の11月に卒業した。ネパ-ルで娘二人を高学歴に育てる苦労は並大抵でない。日本のアルバイトで円を稼ぎ、ネパ-ルでルピ-を使う理想的な稼ぎ方でなければできなかっただろう。

 前にも書いたと思うが、日本人とネパ-ル人との関係で、日当・賃金を払う関係になると友人になりずらいと書いたことがある。これはヒンドゥ教が関係している。ネパ-ルでは雇い主と雇われる者との間柄が、ほとんど上位カ-ストと下位カ-ストの関係に決まっている。それは、決して友人関係にはならないことを意味する。私が借家探しの時、DBさんに日当を払わずにいたことが、その後の付き合いに繋がった。

 登山やトレッキングでネパ-ルを訪れる多くの日本人は、エ-ジェントを通じてガイドを雇う。パックのトレッキングなど、この時はエ-ジェントを通じて間接的に賃金を払う関係になってしまう。ヒンドゥ教の教義の中にあるカ-スト制度は、日本人がネパ-ル人ガイドと友人関係を形成することの障害になっている。

 ネパ-ルで生活を続けていると、だんだんとこの様な日本では経験できない宗教や人種の関係を学ぶことになる。

 初めにフラットの借家を借りた大家さんツゥルシ-さんは、今では相手からフレンドと云ってくれる関係になってしまった。一年に何回も札幌の家に電話が来る。「今は借家は店子でいっぱいだが、生活するフラットは探すから、来い」の電話だ。最近では行くことが決まると、決まって日本から買ってきてほしい品物の電話が来るようになった。9年前には、二人の娘さんツゥシタちゃんとサヴェアタちゃんと末っ子の男の子シダ-ンタ君は皆小さく、男の子は生まれたばかりのあかちゃんだった。今では大学生から小中学校の5年制と皆大きくなった。今回隣の家のフラットを借りていたのだが、帰る時はツゥルシ-さんがエア-ポ-トまで送ってくれた。来た時もピックアップしてくれ、見送りに来た奥さんサグンさんは、今にも泣き出しそうだった。2ケ月間の滞在だったが、何回も隣のツゥルシ-宅にお邪魔し、夕食に二度も招いてくれた。まぁ友達だからね。

 

 

 9年前にツゥルシ-宅の一階部分フラットを借り、家具付きなのでそのまま使用できるのだが、家具を入れることにした。シングルベッド二つ。テ-ブルとソファを二つ、家具製造会社に特注した。ツゥルシ-さんの知ってる家具屋さんだったので一割引き。全部で10万円。ネパ-ルは人件費が安いので、機械作りの製品よりも手作り家具は安く、既製品と特別注文品の値段は同じだつた。ベッドやテ-ブルは寸法や形状も図に書いての注文。

 そして、居間の改築にも着手。ネパ-ルの建築は鉄筋コンクリ-ト作りで、壁はレンガを積み外側をモルタルにしている。ゆえに、部屋の壁は時計や写真・絵画などを掛けることができない。改築といっても、モルタルの壁にコンパネの板を貼り付けるだけ。厚さの一番厚いコンパネを買い、日本から持ち込んだ鋸で切り、明るい色の塗装をする。

 壁一面を完成させた。釘を打ち付けられるし画鋲もOK。電気のコンセント部分の穴あけなど苦戦もした。

 この作業を見ていた大家さんと友人のエ-ジェント社長のご主人、後から大変なことになる。

 

ペンパツェリンの家で  左がペンパツェリン シェルパ  右が二男

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アンナプルナヒマ-ル マルファ村のロッジ 左がペンパツェリンさん 右がDBさん

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八ヶ岳の赤岳鉱泉ロッジ 左から二人目がダャン バハド-ル ライさん 右アンタ-レさん

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左から DBライさん スゥェ-タさん レストラン経営のサァラダさん

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DBさんの長女サァロザ ライさん 夫と二人、オ-ストラリアで暮らしている

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サァラダさん経営のレストランで、トンバで酔う

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右からサヴェアタちゃん 奥さんのサグンさん ツゥルシ- プラサド シェレスタさん

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左から サグンさん ツゥルシ-さん サヴェアタちゃん シ-ダンタ君

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