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ネパ-ルの世界自然遺産 エベレストエリア その5

 現在の世界自然遺産地域、エベレストエリアの山々には数々の登山記録がある。ここにこれから載せる登山記録もその一つ。世界的なビッククライミングの一つでもある。クワンデ北壁の登攀記録。地形図ではコンデリ峰6187mになっているが、ネパ-ル政府公表はクワンデ峰6011m。ナムチェバザ-ルから徒歩約2時間30分でタ-メ村3820m、ボ-テ・コシ川の対岸がその登り始めるル-トの取り付き。

 この登攀のお二人、札幌登攀倶楽部会員。この頃は自らプロの登山家と公言し、登山で飯を食っていた。だから、原稿依頼にはタダでは書いてくれない。男の私が「書いてほしい」と電話をしなかったのが良かった。山岳連盟の周年行事記念誌、編集委員長だった私が是非と望んだもので、この登攀と同じくらい素晴らしい文章を寄せてくれて、記念誌の一ペ-ジを飾ってくれた。普通の山屋さんなら、この記事を読みたくて千円や二千円は出すくらいの内容なのだ。

 ヒマラヤ登山の登攀計画をタクティクスという。このタクティクス、実は「戦争の作戦」のこと。戦闘中に自分が殺される前に相手を如何にして殺すかの作戦だ。ヒマラヤ登山は登頂するための詳細な企画・計画は、すなわち如何にして死なないで頂上を踏むのか、にある。私はヒマラヤ登山の時代に普通に使っていた言葉だ。

 2009年まで日本ヒマラヤ協会の専従で、現在は会長の山森欣一さんは、今の若いクライマ-は結婚をするし子供も作る、これはすごいと言っていた。昔ヒマラヤ登山を目指すことは、イコ-ル帰ってこない覚悟を意味した、と云うのである。

 登山技術は登山装備の発達と相まって、日々その進歩はすさまじい。登山に関わる考え方や登山技術の継承は、登山団体が昔から意識して取り組んできた。私の山岳連盟理事長時代に、思い切ってこの課題に取り組んだものだ。ヒマラヤ登山には遭難死が付きものだった。仲間の死を乗り越えて登頂した歴史が物語っている。普通登山しない人には解らないかもしれないが、登山最中に仲間が死んでも、登山を中止しなかった。こんなヒマラヤ登山時代の直ぐ後くらいが、私のヒマラヤ登山時代だつた。

 登山計画中にパ-ティメンバ-が確定すると、登山隊長宛に「死んでも一切責任を追及しません」と一札入れて出発するのである。結婚や子作りなど、山男にはできないことだった。これはよくテレビや映画で見るような、日本の戦時中に召集令状が来てにわかに結婚式を挙げた、その反省もあったのだろうか。山の歌にもある。山男の歌「娘さん良く聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ」

 時代が過ぎ、現代のヒマラヤの登攀は、先鋭的に登り攀じる若者達はなかなか死ななくなった。たぶん今の若手クライマ-達は、登山計画をタクティクスとは呼ばなくなったのだろう。

 友の死を乗り越えたヒマラヤの登頂記録、昔の群馬県山岳連盟の出版本は私の所に数冊ある。現代のヒマラヤ北壁登攀記録と一緒に読まれることをお勧めする。

 

上部右端の山がクワンデ峰6187m

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タ-メ村3820mから仰ぎ見る

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北海道勤労者山岳連盟 創立40周年記念誌

クワンデ北壁新ルート

伊藤 仰二(札幌登攀倶楽部)

NORTH JAPAN CLIMBING TEAM

ネパール クーンブ山域  標高6,187m

2002年11月14日~12月25日 (12月7日~15日登攀)

中川博之(札幌登攀倶楽部) 伊藤仰二(札幌登攀倶楽部)

 

アイランドピークで順化後、ターメをベースにクワンデ北壁に取り付く。

 

スノーシャワーに耐える

 スノーシャワーが時折激しく降りかかってくる。天気は快晴でエベレスト、ローツェ、アマダブラム、そしてタウツェが見えているが、土砂降りの中に僕たち2人だけ置き去りにされているようだ。ロープを2本つないで一気に雪田を抜け氷のジェードルに入っていく。そのジェードルが前にも増してひどいスノーシャワーだ。登っている時間よりも下を向いてスノーシャワーに耐えている時間の方が長い。毎日こんなシャワーが続くのか?手足と身体は冷え切っている。

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クワンデ北壁全景

 

 ジェードルを抜けシャワーの当たらない所でアンカーを作ろうとするが作れない。クライムダウンしジェードルのど真ん中でスノーシャワーを思う存分に浴びられる場所にスクリューを3本使ってアンカーを作った。辺りは次第に暗くなり始めた。ヘッドランプを準備してスノーシャワーのないビバーク地を求めて相方が雪壁を登っていく。僕がビレイアンカーに着いたころには、すっかり暗くなっていた。

 ジェフロウの記録には“夕日に染まったアマダブラムが僕達と夕食を共にしてくれた”とあり「僕らも暗くなる前にビバークしよな。」と2人で約束をしていた。しかし思い通りには行かないものだ。雪面をカットすればようやく2人が寝ることが出来るテラスができた。そこに1人用のハンモックのフライを張り2人が潜り込んだ。かなり狭いがそうも言っていられない。夜になりスノーシャワーが収まったようだ。

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クワンデ北壁に取り付く

 

行動食はスニッカーズ

 翌日はお日様がすっかり昇り切ったころの出発となる。ここから第1の核心と思われる右上するジェードルに入っていく。僕がジェードルの入り口までロープを延ばす。双眼鏡で偵察したときはジェードルの下部がこれほど薄氷だということが分からなかった。登れると思えば登れそうだがプロテクションはほとんど取れないのでミスは許されない。傾斜は70~75度くらいだろう。相方が核心に入る。「悪っ」と言いながらジリジリと登っていく。カナダで鍛えた薄氷登りのテクニックを見せてくれる。“よくあんな所を登っていくわ”と僕にとってはひとごと。薄氷の部分さえ抜けてくれれば僕はそのあとの厚く張った氷をリードするだけだ。

 今日の行動食はスニッカーズだ。スニッカーズは何度食べてもうまい。3分の1を二口で食べ、3度に分けて食べるのが僕流の食べ方だ。こうすればたくさん食べた気になるし、身体にたくさん吸収されているような気がする。口から入れたものはなるべく吸収して出さないほうが効率がいい?

 “くそっ、あんな所で切りやがった”まだロープは余っているのに上部に見えるさらに険悪な薄氷の下でピッチを切った。僕がビレー点に着いたら一言、相方が「お前にも面白いところ残しといたで。」僕も一言「有難う。」“仕方がない、行くか”当然プロテクションは取れない。岩から1箇所と気休めにスカスカ氷に半分しか入らないスクリューを決める。

 ここからはピックが1cmほどしか入らないパッチワーク状の薄氷だ。クランポンを置く氷がミシミシと音を立てる。怖くない。落ち着いている。5m、10m取れない。途切れ途切れの厚い氷になり、気休め2号を放つ。次第に氷は厚くなり第1の核心は抜けた。ジェードルは計4ピッチ、上部2ピッチは氷が厚く快適な登りだった。さらに1ピッチ延ばし岩の下にビバークをすることにする。登攀を開始するのが遅かったため6ピッチしか進むことができなかった。お互い「今日のピッチは難しかったからしゃあないわ。」と慰めあう。

 今夜もウエスタンの寝袋が僕の身体を包んでくれると思うと少し心にゆとりができる。ハンモックを2張り吊るすことができたので快適な夜になった。予定では1日目でここまで来るはずだったのだが。こんなペースで果たして1,200mの壁を登り切ることができるのか不安になる。おそらく400mくらいしか登っていない。

 

核心部はドライツーリング

 登攀開始3日目。僕のリードで始まる。またもや氷が薄い上、プロテクションが取れない。本当にいやらしい壁だ。さほど難しくはないが、じわじわと僕の精神を冒していく。3日目は5ピッチで第2の核心の取り付きまでピッチを進める。日に日に登攀ピッチ数が減っていく。難しくなっているのか、疲れてきているのか、高度障害で動きが鈍くなっているのか。すべてのような気がする。

 3回目のビバークはハーケンでアンカーを作り、急な雪壁にハンモックを吊るした。快適に寝るために雪面をカットするのに1時間を要した。その夜、雪面をカットした位置とアンカーの位置が上手く合わず最悪のビバークとなり3時間ほども眠れなかった。

 4日目、相方のリードで始まり第2の核心と思われるピッチを行く。昨日は傾斜が緩く見えた氷も今朝見てみると結構立っている。80度はあるように見えた。標高が上がるにつれて寒くなり、日中でも氷点下10度近くになっている。その上、高所のせいだろうか寒く感じる。おまけにここは北壁なので全く日が当たらない。標高は5,500mくらいだろう。オーバーグローブの上からミトンをしてビレーをしていても指の感覚がなくなってくる。

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クワンデ北壁核心部

 

 相方は淡々と登っていく。難しくはなさそうだが悪そうだ。第2の核心は2ピッチで、2ピッチ目はかなり険悪そうだ。ビレー点に着き、見上げるとやっぱり氷がつながっていない。“くそっ、また俺に回ってきやがった”。ミトンをしたままでリードをしても指の感覚がなくなってくるので、片手ずつ感覚を戻しながら登っていく。プロテクションをセットするのも片手では困難だ。

 左のボロそうな岩のジェードルをいくか、右の壁に張り付いている恐ろしい薄氷を行き、氷が途切れている所を突破するか2つに1つだ。その薄氷は傾斜が強く当然気休めプロテクションしか望めない。僕はひよった。「薄氷は恐ろしくて行けない。左のジェードルを行くわ。」と相棒に告げた。少しジェードルを登りキャメロットの1番でがっちりプロテクションを取った。その瞬間、勇気が湧いて来て岩にアックスを引っ掛けて右の薄氷にトラバースをした。そこからランナウトして薄氷を登り気休め1号を放つ。

 いったん氷が途切れ、その上に雪とも氷とも判断のつかない白い物体が壁に張り付いていた。露岩は少しハングしているだろうか。“ここでこそカナダで鍛えたドライツーリングというやつを見せてやろうじゃないか”と意気込んだ。すでに自分に酔っていた。6,000mの高峰でナチュラルプロテクションを使いドライツーリングをやる。うーんシブイ。もう怖いものなど無かった。自分の腕を信じて確実に岩に引っ掛けて登っていく。ハングを乗越し、決まったように雄叫びをあげる。息苦しくなっているのに気付き、少し休んでから再び登り始める。

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核心部の薄氷を登る中川隊員

 

 核心は抜けた。ここから右に右にトラバースをしなければならない。直上したいところだがロックバンドが何本も走っていて抜けられそうもない。3ピッチトラバースをした所で相方が絶好のビバーク地を発見した。僕達はそこをヒマラヤビューホテルと名づけた。少し時間は早いがそこでビバークをすることにする。 

 疲れもピークに達していたが、ここまで来れば敗退も容易ではない。なんせもう30ピッチ近く登っているのだから。氷が少ないためアバラコフで降りられるピッチも少なく、ほとんどのロックギアを捨てないと降りることができないだろう。貧乏クライマーの僕達にとってそれは財産を失うことになる。それだけは避けなければならない。そうなると何としても登り切って下降ルートを下るしかない。頂上まであと200~300mだろう。

 

“ヒマラヤビューホテル”の一夜

 その晩は相方が炊事当番だった。4日目にもなるとお互いに飢えも激しくなってくる。マルキルのハンギングストーブに付いているコッヘルは2つあり、よく似ているが少し形が違う。

 ジフィーズ1袋を2人で分けて食べているので1人が食べる分量は大きなスプーンで4、5さじである。

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核心部の薄氷を登る伊藤隊員

 

 その他は水分である。そうなると1さじが問題になってくる。なるべく半々に分けようと努力するのだが、自分の方に少しでも多く入れたい。しかし、それは良心というものがある以上許されない。と言って相手の方に多く入れるつもりもない。形の違うコッヘルに同じ量を入れるのは至難の業だ。半分くらいだろうと相手に渡し、食べ始めると相手の方が早く食べ終わる。“俺の方が多かったかな。いやそんなことはない。俺は猫舌やから俺の方が食べるのが遅いだけや”と自分を正当化する。“向こうもそんなこと考えてるんやろか”。そんな食事が1週間も続いた。その晩のデザートは日本の友達からもらって持参したM&Mを食べた。昨日はおつまみ納豆、一昨日は芋羊かん。

 その晩、真っ赤に染まったアマダブラムが夕食を共にしてくれた。ヒマラヤビューホテルはその名にふさわしく、眺めも寝心地も最高で快適な夜を過ごすことができた。今日も快晴で一向に崩れる気配がない。

 

ギリギリのところで達成

 ヒマラヤビューホテルを出てヒマラヤ襞を越え右に右にトラバースをする。荷物が振られてしまうことを気にかけながら、ロープいっぱい右上トラバースをしてしまった。案の定、僕のザックは壁にぶち当たりぐるぐると回転しながら足元の方に向かってくる。何とか枝尾根に引っ掛かりロープが斜めになった状態で荷物が止まった。あちこちに引っ掛かりながら何とか上がってきた。僕のザックは穴だらけだ。そこからロックバンドをドライツーリングで越え、右上する雪壁に沿って上がっていく。しかし、最後に大きな罠があった。そう簡単にはコンデ様は登らせてくれない。

 リッジを登っていけば頂上まで行けると考えていたが、スラブ帯に行く手を遮られてしまった。氷はつながっていない。あと3ピッチくらいなのに。ここから下降することが頭をよぎった。登り切った方がいいに決まっている。しかし氷がなければどうしようもない。ひどく立っている逆層のスラブで活路を見出せない。暗くなれば一層ルートファインディングが困難になるのでビレー点までクライムダウンをし、ビバークすることにする。5回目のビバークに入ってしまった。

 食料は8日分しか持っていない。下降も合わせて3日以内にBCのターメに着かなければならない。下降に2日はかかる。食料を食い延ばすことができるほど持っていないので、それがリミットになる。1発悪天に捕まれば、と考えるとぞっとする。とにかく何がなんでも明日には抜けなければならない。5回目のビバークも場所が悪くヒマラヤビューホテルのことが思い起こされる。2人で壁の写真を見ながらルートを探る。リッジの左方に頂上までつながっている白い筋がかすかに見える。これしかないと2人で合点した。眠れない夜になってしまった。

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クワンデ北壁新ルートを登り終え、頂稜に立つ

 

 6日目、手の届きそうな所に頂上は見えている。昨日の作戦通りに左にトラバースをして、右上している氷に取り付く。運良く稜線まで氷がつながっていた。稜線までたどり付いた僕達は疲れ切っていて頂上まで行く余力が残っていなかった。南面の心地よい陽光を身体に浴び、つかの間の幸せを感じた。すぐに現実の世界に引き戻され下山の途に着いた。2日後、必死の下山でBCのターメにたどり付いた。壁に取り付いてから7泊8日の冒険であった。

 頂上に立てなかったのは非常に残念だが、精一杯やったので悔いはない。2人とも手足に軽い凍傷を負い、足を引きずりターメから3日間かけてルクラまで下った。帰国後、激しい消耗のため完全に復帰するまで3カ月を要した。