ネパ-ルに咲く樹木の花と植物の花 その二十三回目
ネパ-ルのエ-デルワイス・薄雪層 その一回目
2017年の9月から「ネパ-ルの樹木と花」を写真で見てきた。
前回までのネパ-ルの木や花は、ジャカランダ・マンゴ-・ラリグラス・ハイビスカス・月桃・ブ-ゲンビリア・コ-ヒ-・柿・バナナ・オレンジ・ザボン・紅茶・りんご・蕎麦・我が家のシャコバサボテンとお金のなる木・クリスマスの木・ネパ-ルのポインセチア・パパイヤ・ブル-ポピ-。
今回は、ネパ-ルのエ-デルワイス薄雪層を写真で見てみる。ネパ-ルでのエ-デルワイス生息分布は、標高3千五百m前後が多いようだ。
わたしがネパ-ルで薄雪層を観たのは、1981年のランタンヒマ-ルと1991年のアンナプルナヒマ-ル、それと2005年のソルク-ンブ(エベレスト街道)地域の三地区。
ネパ-ル・ランタンヒマ-ルのエ-デルワイス
ランタンヒマ-ルでは、ランタン村(LAngtang)3,500mを過ぎて直ぐ、道端に可憐に咲くエ-デルワイスを見ることができた。そこから、ランタンリルン峰(Langtang Lirung)7,234mの麓にあるキャンジン・ゴンパ(Kyangjin Gompa)3,800mまで花を見ることができる。
現在では、ランタン村もキャンジン・ゴンパもトレッキングの宿泊場になっているが、1981年には宿泊のバティ(ロッジ)はなかった。ランタン村は現地の人が住み、キャンジン・ゴンパはヤクの牛乳から作るチ-ス工場の小さな家が一軒だけ。わたしがトレッキングした時代は、宿泊用のテントを持参し、三食の食事を作ってくるコックを同伴。
当時3人のトレッキングだったが、食糧や衣食住を担ぐ大勢のロ-カルポ-タ-などを連れた大名行列だった。
ランタン村の現状
このランタン村、2015年4月25日お昼頃に発生した、ネパ-ル大地震でほぼ全滅した。ランタン村の最上部に聳えるランタンリルン峰尾根にある懸垂氷河が、地震の揺れで崩れ落ちた。その氷河の氷が、落下する過程で小さな氷に粉砕され、途中の土砂と混じりあって落下。ランタン村は旧村と新村の二か所あるが、その両方の村の真上に落ちて、その下部のランタン川を埋め尽くした。
この地震の年の約半年前には、インド大陸へ上陸した台風が、インドを北上、ネパ-ル経由して中国チベットへ抜け。ネパ-ルのアンナプルナヒマ-ルとダウラギリヒマ-ルに大雨・大風雪をもたらした。2014年10月13日から14日の一日で、なんと120cmもの積雪と暴風。アンナプルナトレッキング中の、トレッカ-43名が死亡。その大低気圧災害のため、次年の2015年は、アンナプルナ方面のトレッキングを敬遠したトレッカ-がランタンヒマ-ルに詰めかけていた。地震でハンググレッチャ-崩落し、ランタン村周辺だけでも、トレッカ-達100名以上が行方不明になっていた。
生き残ったランタン村住民は、全員がカトマンドゥへ避難。地震がお昼ころだったので、家畜のヤクや羊を、ランタン村より上部の草地へ連れて行った人達が、たまたま助かっている。
ランタンヒマ-ルのランタン・リ峰も地震で崩れる
ネパ-ル大地震時、わたしの友人がランタンヒマ-ルのランタン・リ峰をアタックしていた。地震による氷河崩壊の氷は、ベ-スキヤンプを襲うが、登山隊全員無事。ネパ-ル軍のヘリコプタ-が救助に駆けつけ、キャンジンゴンパまで空輸。到着したキャンジンゴンパは氷河雪崩の爆風で壊滅の被害。
ネパ-ルのエ-デルワイスの写真紹介が、ランタンヒマ-ルの昨今に及んだ
ネパ-ル・ランタンヒマ-ルのエ-デルワイス
ランタンヒマ-ルのエ-デルワイス群落とランタンリルン峰
1981年ランタン村 旧村
2002年の新ランタン村 右上に旧村が見える
2015年4月25日の地震から三日目のランタン村 ヘリから
村全体が氷河雪崩の土石氷に吹き飛ばされ埋まった
懸垂氷河崩落によるランタン村を押し流し、ランタン河を埋め尽くした土砂氷
カトマンドゥ大学教授の伏見氏ホ-ムペ-ジより
右上のランタンリルン峰・懸垂氷河と下部のランタン村(グ-グルア-ス画像含)
1981年
キャンジンゴンパからランタンリルン峰
ロ-カルポ-タ-達は、子供も混じって一家で
男のポ-タ-はネパ-ル帽子のポピ-をかぶり 女性はマフラ-を帽子代わりに
2002年 キャンジンゴンパ
キャンジンゴンパとガンチェンポ峰6,387m
地震から三日後のキヤンジンゴンパ
地震による氷河雪崩の爆風で屋根が吹き飛ばされた
キャンジンゴンパ住民は近くにテントへ避難
再建されたキャンジンゴンパのバティ(ロッジ)
地震前のランタン・リ峰と登山隊ベ-スキヤンプ
上の写真 地震前
下の写真 地震後 頂上南壁の氷河が崩れている 稜線左のピ-クの形状もギザギザに変形
キャンジンゴンパの上部
放牧されているヤク
ヤクの放牧地にテント