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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地   その⑦チャングナラヤン Changu Narayan

 世界文化遺産カトマンドゥ渓谷(盆地)は国際連合ユネスコ機関が1979年に登録。①~⑦の文化遺産があり、その全てがカトマンドウ盆地内にあり、盆地内にまとまってこれだけ沢山の世界文化遺産があるのは世界でもネパールだけ。

 カトマンドゥ盆地はネパ-ルのほぼ中央に位置し、標高は1350m、東西約25km、南北約19km。かっては栄光の都(Kantipur)と呼ばれていた。

 この世界文化遺産、急激な都市化と維持管理体制などにより、一時期は危機遺産の指定を受けていた時期がある。

 

ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地 その⑦チャングナラヤン

 カトマンドゥ盆地の東端で標高1,541m、バクタプルから北へ6km。バクタプルの田園を見下ろすように丘に立つ。

 ネワ-ル様式の芸術と建築の寺院。東西南北の最東最古の寺院で、開基はリッチャヴィ王朝の323年とされていてムガル帝国軍に破壊され1、702年再建されたとされている。

ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を祀るヒンドゥ―教寺院。

 464年に建立された石版には、国王ダルマデヴァと、 若くして王位に就いた彼の息子の人生が詳細に刻まれている。この石版の文字は、ネパ-ルに残る一番古い文字である。

 

チャングナラヤン入口の案内板

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ネワ-ル木彫文化

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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地    その⑥ホダナ-トの5回目

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ⑥ボダナ-ト ストゥパ の五回目

ネパ-ル語のストゥパ(ストゥ-パ)は仏塔の意味。一回目から四回目まで、ボダナ-トとその周囲などを写真で見たる

第一回目から第四回目まででボダナ-トを写真で見た。 

 今回は2015年4月25日のネパ-ル大地震で壊れたボダナ-トの修復作業を写真で見てみる。

 地震の影響で一番壊れたのは、ボダナ-ト上部の尖塔部分の下部の円形の傘部分のズレ、それと土饅頭型の土台になる半円形のド-ム部分にヒビが入った。このド-ムの下側には、108の凹みがありそれぞれに仏像が安置されているが、この部分の前面改修も行われている。

 地震から1年半経過したが、目の上の13階段の塔部分より上が全部取り外され、この部分の前面改修が進んでいる。

 このボダナ-ト、15世紀以前にイスラ-ムがネパ-ルを席巻した時に、破壊された。現在のポダナ-トはその後に再建されたもの。

 イスラ-ムは偶像物礼拝を否定する戒律で、ネパ-ル西部のブッタ(釈迦)生誕地の、アショカ王の建立した石柱も破壊している。

 

ネパ-ル大地震前のボダナ-ト

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円形の傘部分、大地震でこの部分がズレてしまった

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ド-ムの下側108の凹部分の改修作業

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改修作業中 お香を炊く大きな壺からはお香の煙が漂う

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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地    その⑥ホダナ-トの4回目

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ⑥ボダナ-ト の四回目

 今回はボダナ-トの周りを取り囲むお土産屋に混じってのテンプル内と、ボダナ-トの目の上に垂れ下がっている幕の色の違いなどを見てみる。

寺院はチベット仏教寺院で、多くの僧侶がお経を読み、徳を積む日々をおくっている。

 ボダナ-トの目の上の幕、私はスカ-トと表現しているが、この呼び方は適当とは言えないのだが他の好称がない。

 

ボダナ-ト周囲のチベット仏教寺院内の仏像

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インドに亡命のダライダマ14世の写真が置かれている

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直径3mのマニ車

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目の上のスカ-トの色が赤と青色

1950年代のボダナ-トにスカ-トはない。周囲は巡礼者の宿泊所になっていた

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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地    その⑥ホダナ-トの3回目

 

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ⑥ボダナ-ト の三回目

 前回の2月28日は、ブログに掲載する写真の量が99%になり、満杯でアップできませんでした。

 月が変わり3月1日になり、沢山の写真アップがOKです。新めて多くの写真でボダナ-トを見てみる。

 

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ティハ-ル祭のタンカ風のマンダラとボダナ-ト

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朝と夕方になると近くの仏教徒がぞろぞろとお参りする

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ボダナ-ト正面にあるお香をたく大きなかめのような器

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ボダナ-トの見据える目

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ボ-ダナ-ト入場券 150ルピ-

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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地  その⑥ホダナ-トの2回目

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ⑥ボダナ-ト の2回目

 前回はカトマンドゥ盆地内にある世界文化遺産八か所の内の、カトマンドゥ市内にあるホダナ-トの概略を見た。

今回はホダナ-トを写真で見てみる。

 

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このブログは一ケ月の写真アップ枚数が限られている。

今月2月分の写真が上の写真で満杯となった。

 これ以上の写真掲載ができないので、この続きは3月に入ってから掲載することとする。

 

 

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地    その⑥ホダナ-ト

ネパ-ルの世界文化遺産 

 カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका その⑥ボダナ-ト Boudhanath

 

 カトマンズ市中心部から北東8kmに、直径27m高さ36mの世界最大級の仏塔がある。仏塔はネパ-ル語でストゥーパ

 インドを統一したアショ-カ王が紀元前約250年頃に建立し、東南アジア最古の文化遺産

 現在はチベット仏教ラマ教)寺院であるが、アショ-カ王が建立したころは仏塔の意味を持っていたかどうか。ブッタ(釈迦)の生誕地ルンビニを訪れたアショ-カ王が、ブッタの辿った現在のカトマンドゥをも訪れて築いている。

 以前はシェルパ族などの仏教徒にとって、カトマンズ第一の聖地であり、ヒマラヤ登山の際は必ずといっていいほどこの寺にお祈りをして出発していた。昔からチベットの僧侶もこの地を訪れ、現在もチベット仏教徒の主要な巡礼地となっている。

 礼拝者は絶えることがなく、夕方になると、時計回りに700個の経文が彫られたマニ車を回しながら、チベット仏教の経典や「オムマニ ペメ フム」とお経を唱えながら歩く姿が見られる。オム マニ ペメ フムは、マニ車(コル)にも刻まれておりチベット仏教の祈りの言葉マントラ真言)である。「おお、蓮の内なる宝珠よ」と直訳し、「現世では罪深い私も、泥の中で育って美しい花を咲かせる蓮のように、来世ではより幸せになりたい」という、輪廻転生の信仰の真言である。

 10年ほど前まではチベット仏教徒最高の礼法である五体投地の巡礼者が見られたが、現在は観光の邪魔になる理由で、片隅に投地台が置かれている。

 

 ボダナ-トは直訳すると正覚寺。ボダナートの「ボダ(ボゥッダ)」は「仏陀の」「仏教の」「知恵の」を意味し、「ナート」は「主人」「神」などを意味する。

 仏塔の台石は、チベット仏教の宇宙と精神力を象徴する円と正方形が幾何学的に組み合わされ、曼陀羅の形になっている。

 巡礼の宿坊と環道、無数のマニ車の外壁より成る三重になった外周の円は、終わることのない生と死の繰り返す輪廻を表現している。これは、仏陀の教えで人間が輪廻の束縛から解脱できることを表すらしい。

 その上部のひな壇式になっている四角い基壇は大地を、その上の土饅頭塚の伏鉢は水を、また上へ行くほど細く尖ってきている塔の13の相輪は火を象徴していて、悟りに至る行程が示されているらしい。これらの相輪の先端には風を象徴する傘があり、ストウ-パの頂には空を表し月と太陽で象徴される宝珠が載っている。

 こうして、宇宙を構成する五大が仏塔によって表現されていて、無限と永遠を形象化している様式はここネパ-ルでしか見られない。

 「みすえる知恵の目」は、知恵の化身である蓮の花の形をした広目が四方を睥睨(へいげい=流し目でにらむ)し、森羅万象を見通している。

 

ボダナ-ト塔寺院自体がマンダラの構造になっている。

五色旗の色

 先端の小尖塔→空→白

 円形の傘――→風→緑

 13層の尖塔と四方を見据える目が描かれた所→火→赤

 半円球のド-ム→水→青

 四層の台座 ―→地→黄

    

ネパ-ルのルンビニで誕生したブッダの悟りと仏教とボダナ-トの関係について

 台座=瞑想

 ド-ム=総ての煩悩からの解放された無の境地

 目の描かれた塔=涅槃に到るまでの13の段階

 ド-ム下の108の凹み一つひとつに仏像が彫られている。

 

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昔のボダナ-ト 

現在は周囲の街に囲われているが、昔はポツンと建ち周りを取り囲むように、巡礼者の宿泊施設があったようだ

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五体投地

 10年前までの仏教徒は、五体投地しながらボダナ-トの周りをグルグルと回る姿が観られた。現在は観光客の邪魔とばかりに廻る五体投地が禁止され、五体投地版が置かれて一心なお祈りを捧げている

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熱心にお経を読む仏教徒

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ボ-ダナ-ト入場券 150ルピ-(2013年10月)

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ネパ-ルの食事 その9 食事の食材

 ネパ-ルの食事の九回目。一回目から四回目までは、ネパ-ルでの家庭料理やホテル・レストランでの食事などとネパ-ル独特のお菓子を写真で見た。五回目はネパ-ルのお酒。六回目はネパ-ルのお茶。七回目は自転車やリヤカ-などでの路上のお店や魚屋さん・肉屋さん。八回目は農業国ネパ-ルの果物売りや野菜売りなどの食事の食材を写真で見た。

今回はネパ-ルの食事の食材、穀物と魚などの乾物類を写真で見てみる。

 ネパ-ルの首都カトマンドゥのバザ-ルと、ネパ-ルの西、インドの国境がすぐ近くのタライ平野の町々のバザ-ル。

 小学生くらいの就学児童がバザ-ル売店の店番をしている。これは特にネパ-ルの特質ともいえるネパ-ル人の識字率で現されていることでもある。ネパ-ル西部の貧困率が高く、女性に教育はいらないヒンドゥ-教教義も加わって、学校へ行けない就学児童が多い現実がある。

 以前にもネパ-ルの識字率の改善される歴史を見たが、まだまだ家庭の経済で就学できない情況を再度見てみる。

 

バザ-ルの穀物売りと乾物売り カトマンドゥ市内

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岩塩売り 

最近はス-パ-マ-ケットで粉末状の塩は販売されている

左のピンク色と右の黒色は岩塩。真ん中の白色は違う。この塊は、ひげ剃り後のロ-ション。これに水を付けてヒゲ剃あとをマッサ-ジする。並べて販売しているので要注意

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以下の穀物販売、ネパ-ル西部地域・スノウリやネパ-ルガンジ-のバザ-ル

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就学児童が、家の経済状況で働かざるを得ない

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魚などの乾物販売 カトマンドゥ市内

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魚などの乾物販売、ネパ-ル西部地域・スノウリやネパ-ルガンジ-のバザ-ル

幼い就学児童が学校に行けず、店番をしている

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チュウラと黒糖売り

ネパ-ル語でチュウラは炊いた米を平たくつぶして乾燥したもの。保存食

亜熱帯気候でサトウキビから作る黒糖

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タバコ販売      

タバコの葉をその場で刻んで売っている   

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食べ物バザ-ルの一画で鍋・クワ・鉈など、鉄製品販売

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ネパ-ルの貧富と男尊女卑の影響を的確に表わしている識字率を見てみる

ネパ-ルの識字率

1950年  4.4%

1955年  5%

1970年 11%

1981年 20.57%

1991年 32.98%

1991年 40.% (女25%)

1992年 25.6% (15歳以上)

1996年 42%

2001年 48.61% (15歳以上)

男62.7 女34.9%

カトマンドゥ首都圏73.7%

ネパ-ル極西部44%  男65.3% 女27.4%

貧困家庭の識字率11.6%  男36.7% ダリット最低カ-ストの女7%

2002年 60% (15歳以上)

2004年 42% (15歳以上)

2006年 男59.6% 女24.0%

2008年 52.% (15歳以上)  男63% 女35%

2010年 男85% 女73% (15歳~24歳)

2010/2011年 60.9%

都市部77%  農村部57%

最も高いカトマン ズ都市部 (Urban-Kathmandu Valley ) 84.9 %

最も低い中部タライ農村部(Rural Tarai-Central) 40.8%

2011年 57.4%

2011年 59.63%

2011年 65.9%

2015年 63.9%

 

参考出展物(統計の取り方で若干異なる)

ネパ-ル トニ-・ハ-ゲン

ネパ-ル紀行 三瓶清朝

アジア読本 ネパ-ル

「世界の統計」 ネパ-ル国勢調査

公益財団法人日本農業研修場協力団 国家計画委員会

日本ユネスコ協会連盟 途上国の教育支援世界寺子屋運動プロジェクト

ユニセフ世界子ども白書

独立行政法人 国際協力機構(JICA)

ユネスコ アジア文化センタ-