koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの楽しいトレッキング 第47回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十七回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の八回目  番外編・エベレスト街道以外の世界遺産 カトマンドゥ盆地

 楽しいネパ-ルトレッキングで、エベレスト街道が世界自然遺産なので、ネパ-ル国内の他の世界遺産を写真で見ている。

 前回まで、ネパ-ルの世界遺産のうちエベレスト街道とチトワン自然遺産やルンビニ文化遺産を見てみた。

今回は世界文化遺産のうちのカトマンドゥ盆地を写真で見てみる。

 

カトマンドゥ盆地

ネパ-ルの首都カトマンドゥ市内の4ケ所を含む、カトマンドゥ盆地内の7ケ所が世界文化遺産登録されている。 

①パシュパティナート寺院

ハヌマンドカ(カトマンズ旧王宮広場)

③パタン旧王宮広場 

④バクタプール旧王宮広場 

⑤スワヤンブナート寺院 

⑥ボダナート寺院 

⑦チャングナラヤン寺院 

 

世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ①~⑦ काठमाडौं उपत्यका

1979年カトマンドゥ渓谷(盆地)として世界文化遺産登録。

 ①~⑦は全てカトマンドウ盆地内にあり、盆地内にまとまってこれだけ沢山の世界文化遺産があるのは世界でもネパールだけ 

 カトマンドゥ盆地はネパ-ルのほぼ中央に位置し、標高は1350m、東西約25km、南北約19km

かっては栄光の都(Kantipur)と呼ばれていた 

急激な都市化と維持管理体制などにより、一時期この世界文化遺産危機遺産の指定 を受けていた 

 

国際連合ユネスコ世界文化遺産として登録される条件

この世界文化遺産国際連合ユネスコ世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録される

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)

 

では、カトマンドゥ盆地の世界文化遺産7ケ所を写真で見てみる

① パシュパティナ-ト寺院 Pashupatinath (Temple of livingbeings)

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの空の玄関口トリブバンエア-ポ-トのすぐ近く、ガンジス川の支流バグマティ-川の川沿いにあるシヴァ神を祭るネパ-ル最大のヒンドゥ-教寺院。

 シヴァが滞在したとの言い伝えのあるこの地は、はるか1,500年以上も昔から巡礼の地となっており、インド大陸四大シヴァ寺院の一つにも数えられ、ネパールでは最高の聖なる地である。

 パシュパティナ-ト寺院で行われるお祭りには、インドから多くのヒンドゥ-教徒が、バスを連ねて訪れる。

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火葬ガ-ト

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寺院はヒンズー教徒以外立ち入りが禁止になっている      

西側の門のほうに行くと、金色のナンディ(牡牛)    

のお尻が見える 

ナンディはシヴァ神の乗り物である

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バチャレシュワリ寺院(Bacchareshwari Temple)がある

6世紀に建てられたタントラ密教の寺院

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パシュパティナ-ト寺院入場料 1000ルピ-

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 ② ハヌマン・ドカ ( カトマンドゥ旧王宮 )Hanuman Dhoka

カトマンドゥ市内の西側に位置する。現在の建物は、17世紀のマッラ王朝時代に建てられた。

 「ハヌマン」はヒンドゥ-教の猿の神、「ドカ」は門。門の脇に猿の像があることから、ハヌマンドカと呼ばれている。ハヌマン(神猿)は戦争に勝利をもたらす英雄として扱われる。

 東側にある外人街のタメルから、バザ-ルの連なるタヒティ チョ-クやアサン チョ-クなどの広場を抜けて寺院が点在するダルバ-ル広場の中央部に旧王宮がある。

 ダルバ-ル広場からなお西に移動すると、下町内に白い塔のビムセンタワ-(ダ-ラハラ)が建っている。

 

ハヌマン・ドカ ハヌマン」はヒンドゥ-教の猿の神、「ドカ」は門

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カトマンドゥ旧王宮

内部はレンガと木造で8階建

旧王宮左隣の白い建物の西洋風のファサ-ド 

19世紀のラナ家専制時代に増築された

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旧王宮の中庭から見たところ

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王宮を上から眺める

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クマリの館 Kumari Bahal

ダルバ-ル広場の南側、木彫りの窓枠が施された建物。

女神として崇められるクマリが住む。

 クマリ族の僧侶や金細工カ-ストのサキャ家族から、初潮前の少女が選ばれて、神々としての「人間の姿をした女神」のふるまいを教え込まれる。日常的に病気からの回復や願望成就の祈願を行っている。

 クマリは、各地の町や村、パタンやバクタプルなどにも居るが、前国王の運命を予言するのはここのクマリだけだった。9月大祭のインドラ ジャトラとダサイン大祭にクマリの乗った山車が三日間の間街中を巡る。

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左・ナラヤン寺院  右・シヴァ寺院 お祭りでごった返している

2015年4月25日 ネパ-ル大地震で全倒壊した

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ナラヤン寺院前のガル-ダ像

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シィヴァ バアルヴァティ寺院

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タレジュ寺院 16世紀中マヘンドラ マッラ王建立

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カ-ラ バイラブ

シヴァ神の化身である恐怖の神。この神の前で嘘をつくと即座に死ぬ、と信じられている。

この前で裁判が行われていた時代があった。

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世界遺産ハヌマン・ドカのエリアから少し離れたビンセンタワ-

ビムセンタワ- Bhimsen Tower(ダ-ラハラ Dharhara)

旧王宮を見下ろす様にそびえる。高さ約61m

1832年ビムセン・タパ首相によって建立

1934年の地震で上部が折れ、その後再建された

213段のらせん階段 

レンガと石灰で作られ、なんと接合剤に砂糖(キャラメル)が使われているとか 

2004年より公開

2015年4月25日ネパ-ル大地震で全倒壊

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ハヌマン ドカの入場料 750RS  2014年9月

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③ パタン旧王宮広場

パタンはカトマンドゥからバグマティ-川を挟んで南方に約5km。

299年に築かれた古都で、現在でもネワール族の金銀細工、木彫り、絵画など工芸の街である。
 王宮の広場には、12~17世紀に建てられた寺院が多い。又、広場を取り囲むように半径300m~500mに多くの寺院と塔が散在する。

紀元前250年前に、インドのアショカ王が建立した4塚(ストゥ-パ)がある。
 パタンは別名で、梵(サンスクリット)語の「ラリトプル」とネワ-ル語の「イェラ」がある。ラリトプルは「美の都」と言う意味。

広場を取り囲む市内は、シャカ王国時代からの氏をシャキャと名のる仏像工芸者が居る。

 

王宮前広場

 右側の建物が、手前からスンダリ チョ-クとムル チョ-ク、その右奥にタレジュ寺院、奥の三重屋根のマニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク。

 1734年に完成した王宮。マニ・ケシャブ・ナラヤン チョ-ク、ここは民家として使われていたが、1997年にパタン博物館になっている。

博物館にはヒンドゥ-教と仏教の神像や装飾品が展示されている

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手前からシッディ ナラシン マッラ王像 ガル-ダ像 ヴィシュワナ-ト寺院 ビムセン寺院

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ジャガナラヤン寺院・左  右・クリシュナ寺院

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ハリ・シャンカ-ル寺院

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シッディ ナラシン マッラ王像

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クリシュナ寺院

20ルピ-紙幣にクリシュナ寺院が描かれている

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ヴィシュワナ-ト寺院と二頭のゾウ

裏口にはシヴァの乗り物の牡牛の石像

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パタン入場料 500ルピ-(2013年10月)

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バクタプ-ル王宮広場

カトマンズ市内から東方13km。

 盆地内でカトマンドゥ、パタンに次いで三番目に大きな町。古都は889年に創建され盆地全体の首都であったが、15世紀から18世紀のマッラ王朝時代には3王国の一つであった。

バクタブルとは「信仰の街」「帰依者の町」の意で、別名バドガオンともいわれている。
 旧王宮には「55窓の宮殿」といわれる美しい彫刻が施された窓が並び、55窓の内側は王の寝所となっていた。旧王宮前広場はたくさんの寺院で囲まれているが、1934年の地震で取り壊された寺院も多い。

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左からゴ-ルデンゲ-トと55窓宮殿 ブパティンドラ マッラ王像右にパシュパティ-寺院

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2ケ所の寺院群をつなぐレンガ道路

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左・ビムセン寺院  右・ダッタトラヤ寺院

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ネワ-ル族が1703年に建てたニャタポラ寺院。

 プパティンドラ マッラ王の建立。インドの神話に由来した5対の象は二人の伝説上の普通の人間の十倍強い英雄、後ろに二頭の像、二頭の獅子、二頭の龍、虎の女神ナギ-ニと獅子女神シンギ-ニと続く。

1950年代は象が色づけされてい

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バイラヴナ-ト寺院

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スン ドカ(黄金の門

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1950年代黄金の門の前にあるランジット マッラ王像

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現在のランジット マッラ王像

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ネワ-ル彫刻 孔雀の窓

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100ルピ-札にはニャタポラ寺院が描かれている

高さ30m カトマンドゥ盆地では一番高い寺院

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バクタプ-ル入場料 1100ルピ- (2013年10月)

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⑤ スワヤンブ-ナ-トSwayambhunath

 カトマンズの西方3kmにあり、400段に近い階段の丘の上に建つストゥーパ(仏塔)様式の仏教寺院である。

現在はサルが多いことから「モンキーテンプル」とも呼ばれている。東南アジア最古の文化遺産
全インドを最初に統一して帝国を築いたとされるアショ-カ王が紀元前約250年頃に建立している。

 ストゥーバ(仏塔)の高さは9m、直径18mで大きな目玉が描かれている。四面についた目は森羅万象を見通す仏陀の目で「みすえる知恵の目」である。タルチョーの小布は、経文が刷られ黄、緑、赤、白、青の五色からなり、これらは黄が大地、緑が水、赤が火、白が風、青が大地で大宇宙を表わしている。この寺院からはカトマンドゥの市街が一望される。

 スワヤンブ-ナ-トは万物の創造者と言う意味。直訳すると「自存者寺院」で、ブッタのシヤリラ(遺骨)が分骨された本物の仏舎利塔ではなく初念仏である。なおこの仏塔は正確にはストウ-パではなく、マハ チャイテャ(大チャイテャ=塚)と呼ばれる。また仏塔の西北隅にある堂が、その形状からヒンドゥ-教の寺と勘違いされ、仏教ヒンドゥー教が共存している象徴として紹介されることがあるが、実はこれは鬼子母神堂(ハリティ)であり、仏教寺院であってヒンドゥー寺院ではない。仏塔の墓室を開くことは禁じられている。

 1825年に頭部の宝珠を支える木製の支柱が嵐で割れ、交換のために開かれたが、仏塔の起源と建立年などを記した置物などを調べることをしていない。またとないチャンスを逃してしまった。

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スワヤンブ-ナ-ト入場料 200ルピ- (2013年10月)

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⑥ ボダナ-ト Boudhanath

 カトマンズ市内から北東8kmに、直径27m高さ36mの世界最大級のストゥーパ(仏塔)。現在はチベット仏教ラマ教)寺院である。アショ-カ王が紀元前約250年頃に建立し、東南アジア最古の文化遺産

 シェルパ族などの仏教徒にとって、カトマンズ第一の聖地であり、ヒマラヤ登山の際は、必ずといっていいほどこの寺にお祈りをして出発するといわれている。昔からチベットの僧侶も訪れている。

 礼拝者は絶えることがなく、夕方になると、時計回りに700個の経文が彫られたマニ車を回しながら、「オムマニ ペメ フム」とお経を唱えながら歩く姿が見られる。オム マニ ペメ フムは、マニ車(コル)に刻まれているチベット仏教の祈りの言葉マントラ真言)である。「おお、蓮の内なる宝珠よ」と直訳し、「現世では罪深い私も、泥の中で育って美しい花を咲かせる蓮のように、来世ではより幸せになりたい」という、輪廻転生の信仰の真言である。以前は最高の礼法である五体投地の巡礼者が見られたが、現在は観光の邪魔になる理由で、片隅に投地台が置かれている。

 ボダナ-トは直訳すると正覚寺。ボダナートの「ボダ(ボゥッダ)」は「仏陀の」「仏教の」「知恵の」を意味し、「ナート」は「主人」「神」などを意味する。仏塔の台石は、チベット仏教の宇宙と精神力を象徴する円と正方形が幾何学的に組み合わされ、曼陀羅の形になっている。

 三重になった外周の円(巡礼の宿坊と環道、無数のマニ車の外壁より成る)は、終わることのない生と死の繰り返し、つまり輪廻を表現している。これは、仏陀の教えで人間が輪廻の束縛から解脱できることを表している。

 又、ひな壇式になっている四角い基壇は大地を、その上の土饅頭のような伏鉢は水を、また上へ行くほど細く尖ってきている塔の13の相輪は火を象徴していて、悟りに至る行程が示されている。

 これらの相輪の先端には風を象徴する傘があり、ストウ-パの頂には空を表す宝珠(月と太陽で象徴されている)が載っている。こうして、宇宙を構成する五大が仏塔によって表現されているわけで、無限と永遠を形象化している様式はネパ-ルしか見れない。

 「みすえる知恵の目」は、知恵の化身である蓮の花の形をした広目が四方を睥睨(へいげい=流し目でにらむ)し、森羅万象を見通している。

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現在のボダナ-トと昔のボダナ-ト

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ボ-ダナ-ト入場料 150ルピ-(2013年10月)

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⑦ チャングナラヤン Changu Narayan

 カトマンドゥ盆地の東端で標高1541m、

 バクタプルから北へ6km。バクタプルの田園を見下ろすように丘に立つ、ネワ-ル様式の芸術と建築の寺院。東西南北の最東最古の寺院で、開基はリッチャヴィ王朝の323年とされていてムガル帝国軍に破壊され1702年再建された。ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を祀るヒンドゥ―教寺院。

 464年に建立された石版には、国王ダルマデヴァと、 若くして王位に就いた彼の息子の人生が詳細に刻まれている。この石版の文字は、ネパ-ルに残る一番古い文字である。

 

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ナラヤン神に向かって合掌するマッラ時代の王プパティンドラ

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リッチャヴィ時代の王マンデ-ブⅠ世が化身したガル-ダ像

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464年に建立された石版には、国王ダルマデヴァと若くして王位に就いた彼の息子の人生が詳細に刻まれている。

この石版の文字はネパ-ルに残る一番古い文字

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4世紀に造られたこの像は、旧10ルピ-紙幣にも載っている貴重なもので、ビシュヌ神がガルーダに乗っている

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チャングナラヤン入場料 100ルピ- 2013年10月

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第46回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十六回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の七回目  番外編・エベレスト街道以外の世界遺産

 

前回は、国際連合ユネスコに登録されている世界自然遺産について見てみた。

 今回は、エベレスト街道が世界自然遺産に登録されているのを紹介した継いでなので、ネパ-ルの世界遺産を見てみたい。

 今日、今回は見る写真の数が多すぎるので、チトワンとルンビニを写真で見てみる。カトマンドゥ盆地の文化遺産は次回とする。

 

世界自然遺産は二か所

 ネパ-ルの世界遺産のうち、自然遺産はエベレスト街道のソルク-ンブ地域とあと一つ、チトワン自然公園がある。

 チトワンは、ネパ-ルのほぼ中央の首都カトマンドゥの西方に位置する、一角サイなど動植物の宝庫になっている地域。

 

チトワンचितवन राष्ट्रिय निकुञ्ज Chitwan National park

面積 932 平方キロ

 公園の経緯 1962年ネパ-ル最初の野生動物保護区に、1973年最初の国立公園に、そして1984年に世界自然遺産として指定された。

 場所 東西80km・南北23kmの国立公園は、ネパール中央部の南側に位置し、公園の南側はインドの国境に接し、亜熱帯性気候のタライ平野にある。

 チトワンの特徴は、いまだ開発されていないユニークなエコシステムを残している世界的にも貴重なもの。

 

 

世界文化遺産も二か所

他方、世界文化遺産に登録されているのは、ルンビニカトマンドゥ盆地の二か所。

 

ルンビニ ( ルムビニ ) लुम्बिनी  Lumbini

1997年世界文化遺産登録。

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの南西、飛行場のある町バイラワの西方22km、北にヒマラヤを見上げるタライ平野に位置するルンビニ。現在ではブッタ生誕にちなむ仏教の四大聖地となっている。他の聖地は、成道の地インド・ピハ-ル州ブッタ・ガヤ-、初めて説法したインド・ウッタルプラデ-シュ州サ-ルナ-ト、入滅の地のインド・ウッタルプラデ-シュ州クシ-ナガルである。
 梵語サンスクリット語)とパ-リ語のルンビニは土俗語でルミンディと言う。その意味は「受胎を祈願する地母神の名前」。

ルンビニは、現在のタライ地方でインド国境近く。

 ルンビニは今から2500年以上も前のブッタ・お釈迦様の生誕地。正式な名前はゴ-タマ・シッダ-ルタの生誕地である。ブッタは母親マ-ヤの右わき腹から誕生したとされ、インド各地を巡って信仰を広めた。

 ルンビニには、インドを最初に統一した王様アショカ王が元前249年に碑文を刻んだ石柱を建立。碑文の内容は、ブッタの生誕地訪問を記念して、この地元の租税を六分の一に減額するとある。

 ブッタ生誕地を記録する文献は、最古の歴史的文化的文書としては紀元前七世紀以降紀元前100年ころまでの間のキランティ諸族の統治時代に書かれていた書物。それと紀元636年には玄奘(げんじょう)三蔵が、明快にも3万kmの旅行記に文字でお釈迦様の誕生地を訪問し、アショカ王の石柱があったことを書き綴り証明している。

お釈迦様の生誕年と没年は、紀元前566年・486年と紀元前463年・383年の二説ある。

ブッタは直訳すると「目覚めた人」。

 

カトマンドゥ盆地

カトマンドゥ盆地内の7ケ所が世界文化遺産登録されている 

①パシュパティナート寺院

ハヌマンドカ(カトマンズ旧王宮広場)

③パタン旧王宮広場 

④バクタプール旧王宮広場 

⑤スワヤンブナート寺院 

⑥ボダナート寺院 

⑦チャングナラヤン寺院  

 1979年カトマンドゥ渓谷(盆地)として世界文化遺産登録。

 ①~⑦は全てカトマンドウ盆地内にあり、盆地内にまとまってこれだけ沢山の世界文化遺産があるのは世界でもネパールだけ。

 カトマンドゥ盆地はネパ-ルのほぼ中央に位置し、標高は1350m、東西約25km、南北約19km。

かっては栄光の都(Kantipur)と呼ばれていた。 

急激な都市化と維持管理体制などにより、一時期この世界文化遺産危機遺産の指定を受けていた。

 

参考文献

「ネパ-ル」トニ-・ハ-ゲン著

外務省ホ-ムペ-ジ

地球の歩き方

生天目上人追悼集

 

チトワン国立公園चितवन राष्ट्रिय निकुञ्ज Chitwan National park

面積 932 平方キロ

 公園の経緯 1962年ネパ-ル最初の野生動物保護区に、1973年最初の国立公園に、そして1984年に世界自然遺産として指定された。

 場所 東西80km・南北23kmの国立公園は、ネパール中央部の南側に位置し、公園の南側はインドの国境に接し、亜熱帯性気候のタライ平野にある。

この公園の特徴は、いまだ開発されていないユニークなエコシステムを残している世界的にも貴重なもの。

 

チトワン自然公園 案内図

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国立公園内に生息する鳥類かんばん

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ラプティ-川のこちら側が世界遺産

川の向いがソウラハの街 毎日のようにゾウの水浴びが見られる

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ラプティ-川の対岸がチトワン世界自然遺産

こちら側が隣接する町のソウラハ

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世界自然遺産内のエコ運営のジャングルロッジ

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公園内を二時間歩き回るエレファントサファリ

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公園内で飼育されているベンガルトラ

 アメリカの俳優レオナルド ディカプリオさん39歳は、2013年11月に世界自然保護基金(WWF)に300万ドル(3億円)を寄付。ベンガルトラの保護目的。

 トラの保護は、2013年7月現在、過去5年間で63%増加し、198頭に増加した。2022年までに250頭を目標。チトワン国立公園内には約100頭が生息。

2012年一年間に7名の住人がトラに襲われる被害で死亡している。

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公園内の川を散策 カヌ-ライド

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クジャク

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ゾウの水浴び

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ルンビニ ( ルムビニ ) लुम्बिनी  Lumbini

1997年国際連合ユネスコ世界文化遺産登録。

 ネパ-ルの首都カトマンドゥの南西、飛行場のある町バイラワの西方22km、北にヒマラヤを見上げるタライ平野に位置するルンビニ

ルンビニはブッタ(仏陀釈迦牟尼)の生誕地。

 現在ではブッタ生誕にちなむ仏教の四大聖地となっている。他の聖地は、ブッタの成道の地インド・ピハ-ル州ブッタ・ガヤ-、初めて説法したインド・ウッタルプラデ-シュ州サ-ルナ-ト、入滅の地のインド・ウッタルプラデ-シュ州クシ-ナガルである。
 梵語サンスクリット語)とパ-リ語のルンビニは土俗語でルミンディと言う。その意味は「受胎を祈願する地母神の名前」で、地名としてのルンビニは、現在のタライ地方でインド国境近く。ゴ-タマ・シッダ-ルタの生誕地である。後の仏陀(ブッタ)。日本ではお釈迦様(ブッタ)と呼ばれ、ブッタは直訳すると「目覚めた人」。

 仏教の開祖ゴ-タマ・シッダ-ルタ-(仏陀釈迦牟尼)は、紀元前五世紀頃カビラヴァストゥ国のスッド-ダナ王を父に、麻耶マヤ夫人を母として、無優樹(沙羅樹)の下で母親の右脇から誕生した。現在は麻耶が淋浴したと言われるブシュカ-リ(プスカリニ)池のそばに菩提樹がある。

釈迦の生誕年と没年は、紀元前566年・486年と紀元前463年・383年の二説ある。

 

ブッタ生誕地を証明

 ルンビニをブッタの生誕地と証明するのは、発掘された跡地や生誕浮き彫り石像がある。その他には、ゴ-タマ・ブッタの生誕のことが叙述されている最古の歴史的文化的文書は、紀元前七世紀以降紀元前100年ころまでの間のキランティ諸族の統治時代に書かれていた。

 他方、発掘で見つかった石柱に古代文字が残っていた。紀元前249年にアショカ王が、ブッタ生誕地を訪れた際に、記念に建立している。その古代文字には、ブッタ生誕地を訪れ、この地に住む住民の租税を六分の一に減額する旨を書き綴っている。

 また、紀元636年には玄奘(げんじょう)三蔵が、3万kmを歩いた旅行記に、明快にも文字でお釈迦様の誕生地を訪れ、アショカ王の建立した石柱を見た、と記述している。

 

 

遺跡を保存するマ-ヤ聖堂 2003年建立       

 現在の外壁はレンガ色から白色になっている

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マ-ヤ聖堂内部の発掘された遺跡

七層の煉瓦から成る基壇 15室から成る

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プスカリニ池

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古代王朝グプタ期に作られた生誕浮き彫り石像

イスラム教徒によって削り取られたとされている

 王妃マ-ヤが無優樹に手をかけ、その右下に誕生した王子ゴ-タマ・シッダ-ルタが立っている。

王妃の隣には妹のマハ-プラジャパティ-、そしてその横にヒンデゥ-教のブラフマ-神とインドラ神

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生誕浮き彫り石像の大理石レプリカ

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復元されたアショカ王建立の石柱

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宗教法人出資の総教日本寺は2007年現在未完成

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日本山妙法寺 建設始まり

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第45回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十五回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の六回目

 

 今回は、ネパ-ルの山岳ナショナルパ-ク・サガルマ-タを少し詳しく見てみたい。サガルマ-タ・ナショナルパ-クはそっくり世界自然遺産になっている。以下はこの国際連合ユネスコに登録されている世界自然遺産について見る。

 

 世界自然遺産サガルマータは、世界最高峰のエベレストを含むヒマラヤの山々と、山岳民族で有名なシャルパ族の生活する村々や、チベットへの交易路が含まれている。 

エベレストのネパール名はサガルマータ。その意味は「世界の頂上」。エベレストのピ-クがネパ-ルと中国チベットの国境にあるので、中国名をチベット語でチョモランマ(珠穆朗瑪峰)、その意味を「大地の母神・世界の母神」と云う。

 

世界自然遺産サガルマータを詳しく見てみる。

世界自然遺産サガルマータ सगरमाथा Sagarmatha National park

国際連合ユネスコ世界遺産自然遺産として1979年登録。

 面積は1,148 平方キロ。日本の国立公園の中で一番面積が広い北海道の大雪山国立公園の面積は226,764 ヘクタ-ル。

場所はサガルマ-タ国立公園と同地区。カトマンズの北東、ク-ンブヒマラヤ地域に位置する。

 この世界自然遺産には世界一の高さを誇るサガルマ-タ Mt. Sagarmatha (Everest)8848mやロ-ツェLhotse8516m、ヌプッツェNuptse7855m、チョ-オユ-Cho Oyu8201m、プモリPumori7161m、アマダブラムAma Dablam6812m、タムセルクThamserku6623m、クワンデKwangde6011m、カンテガKangtaiga6779m、ゴジュンバカンNgojumbakang7743m、ガチュンカンGyachung Kang7038mなどの高峰がある。

世界自然遺産としての特徴を調査したので、以下に説明してみる。

 この地域の山々は地質学的に若く、深い谷と氷河谷が山々を刻んでいる。植生は高度によって、低い地帯は松やツガ。高度が上がるにしたがって、モミ、桧科のビャクシン、樺、シャクナゲの林がある。さらに上部の地帯には低木林と高山植物が、それより高い場所は植物のほとんどない岩と雪や氷河で覆われた地帯となる。札幌近郊の山での森林限界は千mより少し上部になるが、ネパ-ルのヒマラヤでは4千mや5千mでようやく限界となる。

 ネパ-ルの国花で有名なシャクナゲの大木は春3月~5月に花が咲きみだれる。他の植物の花の種類が多いのはモンスーンの時期6月~8月になる。薄雪層エ-デルワイスは雨期が明けたポストモンス-ン季の9月から11月ごろが見ごろになる。

 この世界自然遺産内で見られる野生動物には、ヒマラヤ・タール(野生ヤギ)、ゴーラル(レイヨウの種類)、カモシカ族のヤギレイヨウなどが生息している。ユキヒョウやヒマラヤ黒クマも生息しているが、人目につくことはほとんどない。それ以外には、めったに見ることはできないが、イタチ、テン、ジャッカル、ヤセザル(ラングール)などの生息が確認されている。標高4千m以上の氷河のモレ-ン近くにはヒマラヤナキウサギが生息している。

 この世界自然遺産内には、有名なシェルパ族が3000人ほど暮らしている。彼らは仏教を信仰している。ナムチェバザール、クムジュン、クンデ、タメ、チャンボチェ、パンボチェ、ポルツェなどに集落がある。彼らの生業は、伝統的には交易と牧畜だったが、130年間の鎖国から開国した1950年以降ネパ-ルヒマラヤ登山に世界中の登山者が押し寄せ、この地域にも多くの外国人登山家、トレッカ-がやってきた。現在ではロッジ経営やガイドなど観光が主要な生業となっている。

 

ネパ-ルヒマラヤの山の公式標高と正式標高

 ネパ-ルの山の標高 たとえばここではタムセルク 6623m(6608m)と表示している。6623mがネパ-ル政府の発表している公式標高で、カッコ内に表示している(6608m)は地形図などの標高を表わしている。

 ネパ-ルのヒマラヤは、国策として登山やトレッキングなどの観光を重視しているため、山名や標高は法律や内閣の閣議で規定や決定される。

 山名や標高をワ-プロ打ちする係の人が、打ち間違えた文書をそのまま閣議決定して、公報発表してしまうと、それが正式なものになってしまう。後で間違いに気が付いた場合は、当然に法律の改正や閣議のやり直しが必要になる。

また、昔の山の標高を測りなおして、新しい地形図を発行する時は、正式な標高になる。

 ヒマラヤは3万年前後前に隆起して形成され、現在も隆起が続けられているので、北海道の日高山脈と同等、標高が高くなっている。2015年4月25日のネパ-ル地震で、ヒマラヤの標高が変化しているはず、インドの測量局がエベレストの測量を行うのではないか、と報じられてもいる。

 

国立公園・世界自然遺産入り口  チェックポストのあるモンジヨ onjo 2835m

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世界自然遺産・国立公園案内地図

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トレッキングの最奥地カラパタ-ル5550mから見るエベレス8848m

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ナムチェバザ-ルNamche bazarの町とクワンデ峰Kwande6011m(6186m)

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タンボチェゴンパTengbocheとアマダムラム峰Amadablam6812m(6856m)

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エベレストビユ-ホテル  ホテルの窓ガラスに写るエベレスト

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エ-デルワイス(薄雪草)はナムチェの町から登り始めるとすぐに見えるかも ポストモンス-ン季節

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カンテガ 6779m(6685m) Kangtega

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チョラッチェ 6440m(6335m)Cholatse

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タムセルク 6623m(6608m)Thamserku

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アイランドピ-ク(イムジャツェ)6160m Island peak

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カラパタ-ル頂上5550mKala pattharからプモリ峰7161m(7165m) umo ri

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ヒマラヤの尖峰

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第44回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十四回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の五回目

 

前回はルクラからトレッキングの一泊目の宿、パグディンPhakding 2652mまでを写真で見た。

 今回は、高度順応のために二泊以上の滞在を予定しているナムチェNamche 3440mを目指す。途中の村ジョルサレJorsale 2804mは、サガルマ-タナショナルパ-クの入口で、トレッキングパ-ミットと国立公園入場のチエックを管理事務所で受けることになる。サガルマ-タナショナルパ-クは世界自然遺産エリアでもある。

 登山隊やトレッカ-の荷を運ぶロ-カルポ-タ-や、比較的低地の荷運びをするゾッキョ、3千m以上の家畜でもあるヤクなど。荷運び役については、後々に写真で見てみる。

サガルマ-タナショナルパ-クは世界自然遺産。次回からサガルマ-タ世界自然遺産を詳しく見てみたい。。

 

 

ドウド・コシ川に架かるつり橋を歩く

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女性のポ-タ-・シェルパニ ダウラ焚き木を運ぶ

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ゾッキョやヤクが荷運び

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ロ-カルポ-タ- 登山隊やトレッカ-の荷を

生活用品・ガスシリンダ-も

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サガルマ-タ・ナショナルパ-ク入口の村ジョルサレJorsale 2804mのロッジ

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これより世界自然遺産 サガルマ-タ・ナショナルパ-ク管理事務所

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第43回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十三回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の四回目

 

前回はエベレスト街道の出発地ルクラ飛行場について見てみた。

いよいよ世界一多くの人が訪れるトレッキング地、ソルク-ンブヒマラヤを歩き始める。

 高地で体に支障をきたす高度障害や高山病を考えると、出発地のルクラで一泊か二泊すると、高度順応が順調に体得できるのだが。

 2840mのルクラを出発して、次の宿泊地のパグディンPhakding 2652mが少し高度を下げるので、多くのトレッカ-は飛行機から降りて、近くのレストランでチャイを飲んだら直ぐに歩き出す。

 カトマンドゥから一緒に着いてきたガイドは、お客様がお茶をしている間に、カトマンドゥから持ち込んだ荷物の不足分を各エ-ジェントがルクラにデポしてある倉庫から取り出す。だいたいトレッカ-の寝袋や簡単な調理器具などは、ルクラに置いてある。カトマンドゥ発ルクラ行のフライトが、搭乗者一人15kgと制限されているから。ガイド達は、皆荷物の重量を軽くするために、各自ヤッケなどを着こんで搭乗する。

 パグディンに早めに着いたなら、次の宿泊地のチュモアChumoa 2950mか、もっと先のモンジョMonjo 2835mを目指すのも良い。パグディンよりは次の日のナムチェまでの登り標高差600mの日の歩く時間を短くできる。

 このトレッキング、最終目的地はエベレストを麓から見上げる地、カラパタ-ルKala Pattar 5550mを目指す。

 

サガルマ-タ 8848m

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ルクラのゾッキョ  登山隊やトレッカ-の荷物を待っている

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マニ石 経文石

時計回りに歩く  仏教で右肩が尊いと云われているからか  

お釈迦様は母親マ-ヤの右わき腹から生まれたとされているからか 

経文はオム・マニ・ペメ・フム 私は泥の中に咲く蓮の花のようになりたい

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ドウド・コシ川をつり橋で渡る

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ドウド・コシのつり橋を渡る ゾッキョと一緒に

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パグディン村 2652m

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トレッキング最初の宿泊バティ(ロッジ)

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パグディンの朝 ヌプラ峰の朝焼け ア-ベントロ-ト

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第42回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十二回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の三回目

 

 前回はネパ-ルヒマラヤのトレッキングの高度障害や、エベレスト街道トレッキングにあたって、その計画と出発地ルクラを写真で見てみた。

 このルクラ飛行場、世界でも最も危険な飛行場で有名。現在はテンジン・ヒラリ-飛行場ネパール語でतेन्जिङ-हिलारी विमानस्थलと正式名称がつけられている。テンジンとヒラリ-は1953年に、エベレストに初登頂した、シェルパ族のガイドとイギリス隊の登山隊員のお二人のお名前。

 

世界で一番危険な飛行場

 ここのルクラ飛行場の滑走路は、ネパ-ルの他の山岳飛行場の滑走路の中でも特にデンジャラス。カトマンドゥから飛行時間35分。V字の渓谷を上流に向かって飛行し、九十度方向転換して、登り坂の坂道を駆け上りながら着陸する。この滑走路460mしかない。ランニングすると間髪を入れずに急ブレ-キをかけないと止まらずに上部の斜面に激突する。

 離陸でフライトする時は、下りの傾斜した滑走路を駆け下って飛び立つ。双発プロペラ機は滑走路の一番端に停まり、ブレ-キをかけたままエンジンを全開にして、ブレ-キを解除して一気に勢いをつけ、滑走路の端の断崖絶壁寸前で飛び立つ。そして、V字渓谷へ急ハンドルして飛び立つ。

ランニングに成功すると、搭乗者全員が「ホッ」として、パイロットに大きな拍手喝采。

 

全てのフライト予約者が飛ぶまで飛び続ける

 このルクラエアボ-ト、ネパ-ルの他のフライト事情とは異なる。カトマンドゥからルクラへのフライトをする会社は4会社。搭乗予約で断られることがない。普通のフライトは、事前にフライト時間が決まっていて、搭乗希望者は飛行機会社へフライト時間を指定して予約する。しかし、この飛行機のフライト出発時間は、早朝の日が昇る時間から始発となる。そして、その会社の飛行機台数にしたがって、飛び立つ時間差で二便・三便となる。

 ここからが他の飛行場のフライトと違うところ。ネパ-ルのエベレスト街道は、全世界の登山愛好者のトレッキングコ-スであり、また登山と関係のない人々の観光の憧れの地。世界で一番多くの人が訪れる山岳地なのだ。

 飛行機会社のルクラ飛行機全機が飛び立った後にも、多くのフライト予約者が待っている。折り返し運転で、全てのフライト希望者をルクラへ運ぶことになる。予約して登場できないキャンセルになる人は、日没による有視界飛行困難が原因に限られる。

 

天候悪化でフライトキャンセルが続く

 カトマンドゥ発ルクラ行のフライトは有視界飛行。悪天候ならフライトがキャンセルになる。一便は好天でフライトOKでも、次の便が飛べるわけではない。トレッキングシ-ズンに3日から4日続けてキャンセルなら、カトマンドゥやルクラでそれぞれ3千人も行き帰りの予約者が溜まるこになる。カトマンドゥから行く人は良い。帰りのルクラ初の人達は、カトマンドゥから自分の国へのフライト日を過ぎてしまうことになる。会社勤務など、困るを越えて大変なことになるのだ。

 天候悪化などでフライトキャンセルになったチケットの取り扱いはどうなるのだろう。次のフライトできる日の一番早い便に振り替えてくれる。一番機に予約していた人のチケットは、キャンセルチケットの振替後の便に自動的に変更になる。どの便が一番機かは、フライトの会社の人やパイロットしか知らないので、搭乗者たちは出発時間が遅れたらしいくらいしか分からない。

 

エベレスト街道の使用物資のほとんどを運ぶ飛行機

 機のフライトは有視界飛行なので、日が昇る時間から日が落ちる時まで、折り返し運転が続く。この飛行機、お客様の搭乗者だけを乗せるわけではない。貨物機ではないのだが、貨物専用機に変身もする。

 世界中から押し寄せるトレッカ-や観光客が、ルクラの町とそれより上部のエベレストの眺められる町村に滞在するのだから、その人達の衣食住を賄わなければならない。それらの衣食住の品々は、その殆どをカトマンドゥからフライトで運ぶことになる。飛行機一機の貨物室や乗客室が瓶ビ-ルで満載のフライトがあったりするのだ。

 

ネパ-ルの飛行機事故の歴史

過重飛行の事故で荷物重量制限

 カトマンドゥ発ルクラ行のフライト事故が発生した。事故調査の結果、一機に搭乗する人と荷物の合計が過重だったと判明。以後のネパ-ル国内フライトは、厳重な重量制限となり、搭乗前には一人ひとりの重量を計り、荷物の重量との合計が厳重に管理される規則となる。

 特に滑走路の危険なルクラ行のフライトは、預ける荷物と機内持ち込み荷物の合計重量が最大15kgになった。オ-バ-チャ-ジを支払っても15kg以上はダメ。

 運ぶ荷物が15kg以内の規則に、登山隊は大困りだ。ネパ-ルのエ-ジェントは、ルクラに倉庫を借りて、登山隊の必要品を事前に調達するようになる。

 

ネパ-ルの航空機事故歴史
 ここ20年間(1992年から2010年)でネパールは66回の航空機事故をおこしており、その42回はツインオッター、アブロ等の固定翼機によるもので乗客、乗務員の生命が奪われた。

ネパールの主な航空機事故

1950年 130年間の鎖国を解き開国、飛行機どころか車も数台しかなかった

 

1955年3月3日

DC-3

KalingaAir

ネパール北西部シムラ 

 

 

 

 

ネパールでの最初の航空機事故

 

1969年7月12日

DC-3

ネパール航空

南部ヘタウダ

死者35名

 

1992年7月31日

A310

タイ国際航空

カトマンズ北の山

死者113名

 

1992年9月28日

A300

パキスタン航空

カトマンズ近郊

死者167名

 

1999年10月0日

AVRO

ネコン航空

カトマンズ近郊

死者15名

 

2000年7月27日

ツインオッター

ネパール航空

ダレルドラ

死者25名

 

2002年9月29日

ツインオッター

シャングリラ航空

カスキ

死者18名

 

2006年6月21日

ツインオッター

イェテイ航空

ジュムラ

死者9名

 

2006年9月23日

MI-17ヘリコプター

シュリー航空

東ネパール

死者24名

 

2008年3月3日

MI-17ヘリコプター

国連

東ネパール

死者10名

 

2008年10月8日

ツインオッター

イエテイ航空

ルクラ

死者18名

 

2010年8月24日

ドルニエ

アグニ航空

東ネパール

死者14名

 

2010年12月15日

ツインオッター

タラ航空

東ネパール

死者22名

 

2011年8月25日

ツインオッター

ブッダ航空

カトマンズ

死者18名

 

 2012年9月28日カトマンズ空港をルクラに向けて飛び立った国内線が離陸直後"わし”と思われる鳥に右側のエンンジンに直撃され空港近くに墜落した。事故機はシータ航空のカトマンズ空港早朝6時15分発のルクラ行きで搭乗していたネパール人7名、イギリス人7名、中国人5名全員19名が死亡した。

 ネパールでの航空機事故は1946年以来46件683名が死亡している。ちなみに、ここ10年の9月に起こった事故は

1.

1992年9月26日

ネパール・エアーウエイ

ルクラ空港

負傷者

2.

1992年9月28日

パキスタン航空

カトマンズ空港南10km

167名死亡

3.

1999年9月05日

コン・エアー

カトマンズ空港西方数キロ

15名死亡

4.

2006年9月23日

シュリー・エアー

タプレジュン

24名死亡

5.

2011年9月25日

ブッダ・エアー

カトマンズ近郊

19名死亡

6.

2012年9月28日

シータ・エアー

カトマンズ空港500m

19名死亡

 

航空機事故
 ネパール航空のツイン・オッター機がジョムソン空港でオーバーランし滑走路の先のカリガンダキ川に転落した。乗客、乗務員等22名を乗せて早朝8時10分にポカラ空港を離陸したツインオッター機には日本人も8名乗っていたが5名が負傷した。幸いなことに死者はなかった。

 

2014年2月17日 航空機事故
 ネパール航空のツインオッター機がポカラからジュムラに向かっていたが行方不明になり森林に墜落しているのが発見された。同機には15名の乗客と3名の乗務員が搭乗していたが全員の死亡が確認された。

 

2015年3月4日早朝午前6時半 航空機事故

 一番機イスタンブールからのトルコ航空機A330が滑走路を外れ着陸に失敗した。幸い死傷者は無かったがそれから4日間にわたりカトマンズ空港は閉鎖された。ネパール政府は航空機の移動の為インド政府に機材の提供などを要請し、インド空軍の航空機が資機材を運びようやく4日後の7日午後7時過ぎに空港は開港した。このため、約50000人を超える出国者とニューデリーバンコク、ホンコン、ドバイ等の中継点ではカトマンズに向かっていた多くの観光客が立ち往生した。

 

2016年2月26日 航空機事故

ネパール西部カリコット地区で、乗客乗員11人乗りが墜落。操縦士2名死亡、乗客9名負傷。

 

2016年2月23日 航空機事故

 ネパール中部ポカラから早朝7時45分にジョムソンに向かったタラ航空(9N-AHH)がミャグデイ郡ルプスに墜落乗客20名と乗務員3人全員の死亡が確認された。乗客の内外国人は2名(中国人・クゥエ-ト人)であった。 新聞記事では、ポカラから南方に100km。

 

テンジン・ヒラリ-空港 ルクラ飛行場

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貨物機としてルクラ着

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ネパ-ルの楽しいトレッキング 第41回

ネパ-ルの楽しいトレッキング その四十一回目

エベレスト街道・トレッキング(ソルク-ンブヒマラヤSol  khumbu)の二回目

 

 前回はネパ-ルヒマラヤのトレッキング、首都カトマンドゥ標高1350mに到着から、トレッキング出発地のルクラまでを写真で見てみた。

 そして、国立公園指定のソルク-ンブ地域について、日本や他国との国立公園の概念の違いや、高山病について触れてみた。

 

パッケ-ジの登山やトレッキング 

 わたしのヒマラヤトレッキングは、ネパ-ルのエ-ジェントに全てをパックで依頼することをしない。今回もカトマンドゥからルクラ往復のフライトチケットの手配。そして、ガイト一名をお願いするだけで、トレッキングに関するその他全てを自分でマネ-ジメントすることにした。わたしは一度もパッケ-ジされた登山やトレッキングをしたことがないので、その方法が分からない。

 日本国内やネパ-ルのエ-ジェントが企画する現在のネパ-ルトレッキングの全部は、最初からパッケ-ジされていて、日程や支払う料金が最初から確定している。ゆえに、自然が原因のアクシデントが無い限りは変更なく実施される。

 わたしのトレッキングはパックを使っていない。ほとんどの行動が自由なのが良い。今回のエベレストトレッキングも計画はキチント立案しているが、実行する途中では自由な行動をとった。

今回も高度障害

 ルクラの2840mに降り立った時から、頭が軽く思い感じだった。わたしは1981年と1982年続けてネパ-ルの高地に行く機会があったが、この両方共に高度障害に苦しんだ。幸い高山病まで重症にならず、今日まで元気に過ごしている。

 1982年には、今回と同じルクラから登山のためのキャラバンを開始。4300mのベ-スキャンプに入るやいなや、重度の高度障害で歩くこともままならない状態になってしまった。コック見習いのカンチャをしていたナムゲル・シェルパに背負われ、隊員が岩場をロ-プ確保してくれ、標高500mを降ろされた経験がある。わたしの若いクライマ-だった時代の苦い思い出だ。

 今回のトレッキングも、途中頭痛が直るかと考えながら、予定よりも2日間日程をずらしてゆっくり行動。それでも頭痛が直らず、4252mのペリチェ村で、国際診療所を開設しいてので診察を受け、ダイアモックスの利尿剤で回復した。

 4350mのデインボチェ村に滞在していたのを、30分くらい下ってペリチェに移動した。団体パッケ-ジのトレッキングではこうはいかない。たぶん一人残されて、他のメンバ-は予定通りの行動をするのだろう。

 

 今回は、エベレスト街道トレッキングにあたって、その計画と出発地ルクラを写真で見てみる。このブログには、登山計画や日本から持ち込む装備やネパ-ルで仕入れる装備などもアップしてみる。

 

1982年当時はルクラ飛行場でソフトボ-ル試合

 わたしはルクラにフライトで降り立った最初は1982年ポストモンス-ン季だった。その時のルクラは数軒の農家があり、エアポ-ト施設も小さく、飛行機が降り立つランニングバ-ンは草地で石ころだらけの坂道だった。その時は、ク-ンブヒマラヤの西隣ロ-ルワリンヒマ-ルのカ-タン峰6853mの登山で訪れた。登山を終えてルクラへ戻り、兵庫県の登山隊とルクラ飛行場でソフトボ-ルの試合をしたのを想い出す。坂道の飛行場だったので、バッタ-は坂の下りへ打ったらアウトにした。打ったボ-ルをとりに走るのが大変なのだ。

 

ネパ-ルヒマラヤ・エベレスト街道トレッキング計画

期間 10月9日~11月5日(予備日11月7日まで)

行動計画

 10月09日(日)NH(全日空)1718便・千歳発18時50分――関西空港着21時00分

    10日(月)TG(タイ航空)673便・関空発01時25分――バンコク着08時20分(時差2:00)

          TG319便・バンコク発10時30分――カトマンドゥ着12時35分(時差1:15)

    11日 (火) トレッキング準備

12日(水)YA109便・カトマンドゥ発08時30分――ルクラ着09時10分     

ルクラ(Lukla)2804m――パクディン(phakding)2610m

    13日(木)パクディン――チュモア(chumoa)2950m――ナムチェバザ-ル(namche)3440m

        14日(金)ナムチェ―3h-シャンボチェ(ピストン)

    15日(土)午前中バザ-ル ナムチェ――キャンヅマ(kyamjuma)

    16日(日)キャンヅマ――タンボチェ(tyangboche)3867m

    19日(水)タンボチェ――パンボチェ(pangboche)3985m――ディンボチェ(dimgboche)4350m)

    21日(金)ディンボチェ――トゥクラ(tukla)4620m――ロブチェ(lobuche)4930m

    23日(日)ロブチェ-4h-ゴラクシェプ(gorakshep)5150m

    24日(月)ゴラクシェブ―1h30-カラパタ-ル登頂(kala pattar)5545m――ゴラクシェプ――ロブチェ

    25日(火)ロブチェ――トゥクラ――ペリチェ(periche)4252m

    26日(水)ペリチェ――タンボチェ

    28日(金)タンボチェ――ナムチェバザ-ル

    30日(日)ナムチェバザ-ル――モンジョ(monjo)2835m 又は チュモア(chumoa)2950m

    31日(月)――ルクラ

 11月01日(火)YA108便・ルクラ発09時00分――カトマンドゥ着09時40分

    02日(水)~ ルクラ・フライトキャンセルの場合のフライト待ち 4日(金)まで

04日(金)TG320便 カトマンドゥ発13時50分――バンコク着18時15分

          TG622便 バンコク発23時59分

    05日(土)関空着07時10分

          JAL(日本航空)2503便 関空発11時05分――千歳着12時55分

 

 

ネパ-ル・ソルク-ンブヒマ-ル トレッキング装備表 

 

パスポ-ト                  カメラフイルム3

パスポ-ト写真                カメラ三脚

航空券                    

現金(円 $)

海外旅行保険証                トレッキング用

住所録                    地図

ガイドブック                 長袖シャツ

電卓                     下着上下

トランプ                   靴下 2

ウオ-クマン(MD) スピ-カ-       ヤッケ 羽根毛服

折り紙                    ズボン 2

割り箸                    トイレットペ-パ-

地図(カトマンドゥなど)           手袋 2

筆記具・絵画用具               雨具

 スケッチブック(含パステル)        帽子

 色鉛筆 練りゴム 固形水彩         日焼け止めクリ-ム・クレンジングクリ-ム

筆(大小)  ロトリング          ザック ザックカバ-

油性マジック パステル           トレッキンググシュ-ズ サンダル

半・長袖シャツ                ガスヘッド ガスカ-トリッジ(ルクラ)

下着上下                   サングラス

靴下                     シュラフカトマンドゥ) コッヘル

ズボン(予備)                ヘッドランプ

ハンカチ・バンダナ              万能ナイフ

ティッシュ                  目覚まし時計

洗面用具 タオル大小             予備腕時計

 せっけん シャンプ-            磁石 高度計

 歯ブラシ 歯磨き粉             ライタ- 4個

薬品 点耳曹 風邪薬             ストック 1

 下痢止 胃・頭痛薬             テルモス 水筒

 睡眠剤 傷ナンコウ             双眼鏡

 綿棒 体温計 マスク            カップ

 フルコ-ト ピンセット           空気まくら

 筋肉痛止め 目薬              マット(カトマンドゥ

 ガ-ゼ 包帯 傷バン            

 消毒剤                   梅干

かさ                     ヨ-カン

ビニ-ル袋                  飴 コンペ-ト

アイマスク                  チョコレ-ト

洗濯石鹸・ロ-プ・ばさみ           黒糖

裁縫用具                   ポカリスエット

つめ切り                   アルファ米(五目・山菜)

帽子                     カステラ

電池単3 50本               紅茶(ティ-パック)(カトマンドゥ

電池充電器

変圧器・プラグアダプタ-

デジタルカメラ 簡易カメラ

 

ルクラからナムチェバザ-ル

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ルクラ2840mのヒラリ-・テンジン飛行場

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ブレ-キをかけ、エンジンを精いっぱい吹かして、ブレ-キ解除

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レスキュ-ヘリ  カトマンドゥ→ルクラ→負傷者へ

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ルクラの街

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ルクラのバサン病院

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現在はオ-トバックス店などがある

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街道沿いにバティ(ホテル・ロッジ)やお土産屋など

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ルクラの 肉屋と靴直しと青年

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