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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの世界遺産 その全ての2回目

ネパ-ルの世界遺産 その全ての二回目

 前回は、、2016年11月24日(木)から始めた、ネパ-ルの世界遺産の全てを写真などで見たので、4ケ所の世界遺産をおさらいみたいに写真で見ることとした。前回の3ケ所に続いて、最後にあたる世界遺産カトマンドゥ盆地を簡単に写真で見てみる。

カトマンドゥ盆地の七ケ所の世界文化遺産 काठमाडौं उपत्यका

①     パシュパティナート寺院広場

②     ハヌマン・ドカ(猿神と門=カトマンズ旧王宮広場)

③     パタン旧王宮広場 

④     バクタプール旧王宮広場 

⑤     スワヤンブナート寺院 

⑥     ボダナート寺院 

⑦     チャングナラヤン寺院 

 

①パシュパティナート寺院 Pashupatinath (Temple of livingbeings)

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ハヌマン・ドカ(猿神と門=カトマンズ旧王宮広場) Hanuman Dhoka

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③パタン旧王宮広場 

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④バクタプール旧王宮広場 

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⑤スワヤンブナート寺院 

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⑥ボダナート寺院 

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⑦チャングナラヤン寺院 

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ネパ-ルの世界遺産 その全て

 ネパ-ルの世界遺産、その全てを写真などで紹介しょうと、2016年11月24日(木)、ネパ-ルの世界遺産 サガルマ-タ(エベレスト)からブログでのアップを開始した。前回で、最後の文化遺産カトマンドゥ盆地の七ケ所を紹介して無事に終えた。

 実は、カトマンドゥ盆地内の世界文化遺産の数は八ケ所と思っていて、今回最後のパナウティ-を写真で見ようと考えていたのだ。勘違いしていたようだ。

カトマンドゥ盆地には七ケ所の世界文化遺産が在る。

1.パシュパティナート寺院広場

2.ハヌマン・ドカ(猿神と門=カトマンズ旧王宮広場)

3.パタン旧王宮広場 

4.バクタプール旧王宮広場

5.スワヤンブナート寺院 

6.ボダナート寺院 

7.チャングナラヤン寺院 

 

 私は10年前から一年の内数か月をネパ-ルで生活してきた。その間にカトマンドゥ市内外の色々な文化施設を見聞きして感じたのは、、七ケ所の世界文化遺産に匹敵する様な地域や建築物などがあることに気が付いた。その場所は、つい最近まで勘違いしていたパナウティ-地域と、他に三ケ所。

 

 「私の考えるネパ-ル文化遺産カトマンドゥ盆地」は11ケ所。実際にユネスコに登録されている7ケ所に加えて、ドゥリケルエリアとパナウティ-エリア、それとブダニ-ルカンタやキルティプルエリアの四か所。

この世界文化遺産に匹敵する四か所は後日に写真で見てみよう。

今回は昨年11月から写真で見て来たネパ-ルの世界遺産四か所を振り返って見てみる。

 

ネパ-ルには世界自然遺産が二か所、そして文化遺産が二か所の四か所の世界遺産がある。

 国際連合ユネスコに登録されたのは、1979年に自然遺産のサガルマ-タ国立公園エリアと文化遺産カトマンドゥ盆地の二か所。そして1984年に自然遺産チトワン国立公園エリア。次いで1997年に文化遺産のブッタ仏陀の生誕地ルンビニ。ネパ-ル語のサガルマ-タはエベレストのこと。チトワンはネパ-ル憲法に王様が存在していた時代だったので、ロイヤル・チトワンの正式名称だった。カトマンドゥ盆地は頭初、ネパ-ル政府がユネスコに登録申請時にはカトマンドゥ周辺の自然の景観を含めた自然遺産と文化遺産の混合遺産であったが、ユネスコは自然景観を抜きにした文化遺産として登録している。

 

ここで世界遺産登録はどのようなものか、又どのような手続きで登録されるのかを見てみる。

 世界遺産は、1972年の第17回ユネスコ総会で採択され、1975年に世界遺産条約が発効された。

 世界遺産条約は、正式には「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」。文化遺産や自然遺産を人類全体のための遺産として損傷、破壊などの脅威から保護・保存していくために、国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的とした条約。日本はこの条約を1992年に締結・国会で批准している

 

世界遺産リストは、2016年現在、1052件が登録されている。

 世界遺産条約の締約国は192ケ国で、その中で、国内に世界遺産保有する国は165ケ国。

世界遺産の種類とその数。

世界文化遺産 814ケ所

世界自然遺産 203ケ所

世界複合遺産 35ケ所

世界危機遺産 55ケ所

登録抹消世界遺産 2ケ所

 

 世界文化遺産の定義は、顕著な普遍的価値(OUV :Outstanding Universal Value)」を有する記念工作物、建造物群、遺跡など。

 登録の手続は、世界遺産条約履行のための作業指針で定められている全10項目からなる登録基準(評価基準)のうち、1~6の登録基準の1つ以上を満たすことが条件。ただし、1996年以降は登録基準「6」単独での登録は認められていない。

世界文化遺産登録基準(評価基準)

1.人類の創造的資質を示す傑作。

2.建築や技術、記念碑、都市計画・景観設計の発展において、ある期間または世界の文化圏内での価値観の交流を示すもの。

3.現存する、あるいは消滅した文化的伝統、文明の存在に関する独特な証拠を伝えるもの4.人類の歴史上の重要な段階を示す建築様式、建築・科学技術の集合体、あるいは景観を

代表する顕著な見本。

5.ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落や土地・海上利用の顕著な見本。もしくは、危機に晒されている、人類と環境の交流を示すもの。

6.顕著な普遍的価値をもつ出来事、生きた伝統、思想、信仰、芸術的・文化的作品と直接または実質的関連があるもの。

 

 

 世界自然遺産の定義は、顕著な普遍的価値(OUV)を有する地形や地質、絶滅危惧種や固有種の生息域・自生地など。

 登録の手続は、全10項目からなる登録基準(評価基準)のうち、7~10の1つ以上を満たすことが条件となる。。

世界自然遺産登録基準(評価基準)

7.ひときわ優れた自然美・美的価値を持つ類まれな自然現象や地域。

8.生命の進化の記録や地形形成における重要な地質学的過程、または地形学・自然地理学的特徴といった、地球の歴史の主要段階を示す顕著な見本。

9.陸上・淡水域、沿岸、海洋の生態系、また動植物群集の進化、発展において重要な進行中の生態学的・生物学的過程を代表する顕著な見本。

10.絶滅の恐れのある学術上・保全上顕著な普遍的価値をもつ野生種の生息域を含んだ生物多様性保全のために最も重要な自然生息域。

 

ネパ-ルの世界遺産

世界自然遺産 1.サガルマータ国立公園 सगरमाथा

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世界自然遺産 2.チトワン国立公園 चितवन राष्ट्रिय निकुञ्ज

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世界文化遺産 1.ルンビニ लुम्बिनी

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今回は説明が長くなってしまった。

この続きは次回に写真を多くして見てみたい。

 

 

 

 

 

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地काठमाडौं उपत्यका その⑦チャングナラヤンの3回目

ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地 その⑦チャングナラヤンの三回目

第一回目と前回はチャングナラヤン寺院地域を写真で見た。

    今回はチャングナラヤン寺院エリアの敷地内の2015年4月25日・ネパ-ル大地震の影響を写真で見てみる。

 

2015年4月25日・ネパ-ル大地震前と地震後の写真

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チャングナラヤン寺院を取り囲む2階建の家々が倒壊している

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駐車場から上り坂を歩きチャングナラヤン寺院へ、途中に土産屋が並びタンカや木彫の面作り

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ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地 काठमाडौं उपत्यका   その⑦チャングナラヤンの2回目

ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地   その⑦チャングナラヤンの二回目

前回はチャングナラヤン寺院を写真で見た。

今回は敷地内の置物などを写真で見てみる。

 

参考文献

「ネパ-ル」トニ-・ハ-ゲン

外務省在ネパ-ル大使館ホ-ムペ-ジ

地球の歩き方

 

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リッチャヴィ時代の王マンデ-ブⅠ世が化身したガル-ダ像

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涅槃像

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リッチャヴィ時代の王マンデ-ブⅠ世が化身したナラヤン神に向かって合掌するマッラ時代の王プパティンドラ

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この石版の文字はネパ-ルに残る一番古い文字と云われている

464年に建立された石版には、国王ダルマデヴァと 若くして王位に就いた彼の息子の人生が詳細に刻まれている

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4世紀に造られたこの像は旧10ルピ-紙幣にも載っている貴重なもので、ビシュヌ神がガルーダに乗っている

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チャングナラヤン博物館入場券 200ルピ-

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チャングナラヤン博物館ないの展示物 昔の紙幣や切手

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チャングナラヤン入場券 100ルピ-

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ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地   その⑦チャングナラヤン Changu Narayan

 世界文化遺産カトマンドゥ渓谷(盆地)は国際連合ユネスコ機関が1979年に登録。①~⑦の文化遺産があり、その全てがカトマンドウ盆地内にあり、盆地内にまとまってこれだけ沢山の世界文化遺産があるのは世界でもネパールだけ。

 カトマンドゥ盆地はネパ-ルのほぼ中央に位置し、標高は1350m、東西約25km、南北約19km。かっては栄光の都(Kantipur)と呼ばれていた。

 この世界文化遺産、急激な都市化と維持管理体制などにより、一時期は危機遺産の指定を受けていた時期がある。

 

ネパ-ルの世界文化遺産カトマンドゥ盆地 その⑦チャングナラヤン

 カトマンドゥ盆地の東端で標高1,541m、バクタプルから北へ6km。バクタプルの田園を見下ろすように丘に立つ。

 ネワ-ル様式の芸術と建築の寺院。東西南北の最東最古の寺院で、開基はリッチャヴィ王朝の323年とされていてムガル帝国軍に破壊され1、702年再建されたとされている。

ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を祀るヒンドゥ―教寺院。

 464年に建立された石版には、国王ダルマデヴァと、 若くして王位に就いた彼の息子の人生が詳細に刻まれている。この石版の文字は、ネパ-ルに残る一番古い文字である。

 

チャングナラヤン入口の案内板

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ネワ-ル木彫文化

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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地    その⑥ホダナ-トの5回目

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ⑥ボダナ-ト ストゥパ の五回目

ネパ-ル語のストゥパ(ストゥ-パ)は仏塔の意味。一回目から四回目まで、ボダナ-トとその周囲などを写真で見たる

第一回目から第四回目まででボダナ-トを写真で見た。 

 今回は2015年4月25日のネパ-ル大地震で壊れたボダナ-トの修復作業を写真で見てみる。

 地震の影響で一番壊れたのは、ボダナ-ト上部の尖塔部分の下部の円形の傘部分のズレ、それと土饅頭型の土台になる半円形のド-ム部分にヒビが入った。このド-ムの下側には、108の凹みがありそれぞれに仏像が安置されているが、この部分の前面改修も行われている。

 地震から1年半経過したが、目の上の13階段の塔部分より上が全部取り外され、この部分の前面改修が進んでいる。

 このボダナ-ト、15世紀以前にイスラ-ムがネパ-ルを席巻した時に、破壊された。現在のポダナ-トはその後に再建されたもの。

 イスラ-ムは偶像物礼拝を否定する戒律で、ネパ-ル西部のブッタ(釈迦)生誕地の、アショカ王の建立した石柱も破壊している。

 

ネパ-ル大地震前のボダナ-ト

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円形の傘部分、大地震でこの部分がズレてしまった

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ド-ムの下側108の凹部分の改修作業

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改修作業中 お香を炊く大きな壺からはお香の煙が漂う

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ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地    その⑥ホダナ-トの4回目

ネパ-ルの世界文化遺産 カトマンドゥ盆地 ⑥ボダナ-ト の四回目

 今回はボダナ-トの周りを取り囲むお土産屋に混じってのテンプル内と、ボダナ-トの目の上に垂れ下がっている幕の色の違いなどを見てみる。

寺院はチベット仏教寺院で、多くの僧侶がお経を読み、徳を積む日々をおくっている。

 ボダナ-トの目の上の幕、私はスカ-トと表現しているが、この呼び方は適当とは言えないのだが他の好称がない。

 

ボダナ-ト周囲のチベット仏教寺院内の仏像

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インドに亡命のダライダマ14世の写真が置かれている

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直径3mのマニ車

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目の上のスカ-トの色が赤と青色

1950年代のボダナ-トにスカ-トはない。周囲は巡礼者の宿泊所になっていた

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