koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院・仏塔 第232回 ネパ-ル西部地方の寺院と仏塔

ネパ-ルの王宮と寺院(仏塔) 二百三十二回目

カトマンドゥ盆地より西部にある寺院と仏塔 

26.マルファ-のゴンパ・僧院 

 前回は、ダウラギリ・ヒマ-ルとアンナプルナ・ヒマ-ルに挟まれたカリガンダキ川沿いの街道にあるジョムソン村から、もっと標高の高いムクチィナ-ト村Muktinath3,798mのテンプルとゴンパの写真を見た。

 今回は、ジョムソン村からカリガンダキ川下流に2時間歩いた、町全体が白壁の街マルファ-村Marpha2,632mのチベット仏教僧院の写真を見てみる。

ネパ-ルのマルファ-、と言えば川口慧海

 1899年明治32年2月のこと。

 日本の僧侶・川口慧海は、チベットの仏教経典を求めてチベットを目指す。インド経由ネパ-ルのカトマンドゥ、そしてポカラからカリガンダキを遡行し、現在のマルファ-村で5千mの峠越えの為チベツト潜入の季節を待つ。川口慧海33歳のとき。

 その時に住んだ家が今日でも残っていて、川口慧海記念館として観ることができる。

 わたしが川口慧海に関する物を見たのは、このマルファ-村のミユ-ジアムと、ポカラの山岳博物館にあるチベットの滞在許可書。そして、カトマンドゥ市内目玉寺のボダナ-ト敷地内にある「初めてネパ-ルを訪れた日本人の記念碑」、の三ケ所である。

 マルファ-村は、何といっても数百mに亘り白色に塗った白壁の家並みが特徴。わたしは1981年からネパ-ルを歩いているが、こんな美しい家並みの場所を見たことがない。

 川口慧海の生活した120年前の家が残っているのだから、この家並みも当時と変わらないのだろう。

 

マルファ-のチベット仏教僧院 兼 マルファ-博物館

f:id:koyaken4852:20200808153300p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153310p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153348p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153409p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153421p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153524p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153543p:plain

僧院を取り巻くマニ車と巨大なマニ車

f:id:koyaken4852:20200808153655j:plain

さすが美しい白壁の町を通る道路は街を拡幅はせず、自動車道路は街の左側100mに新道を造った

f:id:koyaken4852:20200808153744p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153752p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153805p:plain

マルファ町周辺は蕎麦畑 刈取り風景

f:id:koyaken4852:20200808153902p:plain

f:id:koyaken4852:20200808153919p:plain

道路脇の仏典岩 オム・マニ・ペメ・フム 

私は汚い沼に咲く美しい蓮の花の様になりたい

f:id:koyaken4852:20200808153943j:plain

カリガンダキ左岸側のニルギリ連峰に朝日

f:id:koyaken4852:20200808154004j:plain

カリガンダキ河の右岸に自動車道路とダウラギリⅠ峰8167m

f:id:koyaken4852:20200808154046j:plain

1899年 川口慧海がチベットへ仏典を求めて、滞在していた家がミユ-ジアム・記念館となっている

f:id:koyaken4852:20200808154139p:plain

f:id:koyaken4852:20200808154150p:plain

f:id:koyaken4852:20200808154157p:plain

f:id:koyaken4852:20200808154220p:plain

f:id:koyaken4852:20200808154234p:plain

f:id:koyaken4852:20200808154316p:plain

当時の川口慧海本人の写真

f:id:koyaken4852:20200808154358j:plain

カトマンドゥのボダナ-トにある河口慧海記念碑 資料はインタ-ネットによる

 「ここに日本とネパ-ルの友好が始まる 河口慧海1899年明治32年2月、仏教の原典を求めてチベットへの旅の途上、日本人として初めてネパ-ルを訪れた河口海は、ブッダ・バジラ・ラマ師の庇護を得て、ここボ-ドンクァ-トに滞在し、苦難の末チベットへ入り多くの貴重な原典を日本に持ち帰った。ブッダ・バジラ・ラマ師をはじめとする多くのネパ-ルの人々の温かい支えなしにこの偉業は成功しなかった。 
 ここに、ネパ-ルとネパ-ルの人々への感謝をこめて、初めてネパ-ルを訪れた日本人である河口慧海ゆかりの地に、日本とネパ-ル両国民の永遠の友好を祈念して顕彰碑を設置するものである。
1997年11月

 住吉薫(1995年9月26日没)」

f:id:koyaken4852:20200808154530j:plain

ポカラの登山博物館に展示

川口慧海・チベツトのパスポ-ト・ビザ

f:id:koyaken4852:20200808154628p:plain