koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの宮廷と寺院 第4回

ネパ-ルの王宮と寺院(神院) 第四回目

王宮の四回目  バクタプル旧王宮 二回目 (大地震の前と後)

 前回は、1450年頃、カトマンドゥ市内中心地に建築された王宮を写真で見た。

今回は、前々回写真で見た、バクタプル国王の王宮の2015年4月25日ネパ-ル大地震で破壊寸前に至った写真を見てみる。

 バクタプルはカトマンズ盆地内でカトマンドゥ、パタンに次いで三番目に大きな市。この古都は889年に創建され盆地全体の首都であった。

 中世期に建築された王宮は、レンガ造りのため、地震の揺れに弱い。地震震源地はカトマンドゥから北西方向へ90kmのゴルカ地方だったが、カトマンドゥ盆地内の古い建物のほとんどが崩れ落ち、倒壊した。

 わたしは、2016年の秋にカトマンドゥを訪ねた。バクタプル旧王宮も、ご多分に漏れず旧王宮のレンガ壁にヒビが入り、倒壊防止のためにつっかえ棒を立てて応急処置していた。

 今回の地震の以前にも1934年地震で大きな地震がネパ-ルで発生していて、その時にも文化遺産の建物が倒壊し、多くの寺院などが再建されないままになっていた。

 地震から一年以上も経過しているにもかかわらず、つっかえ棒のままで、ほとんど手つかず状態だ。

 ネパ-ルの文化遺産建築物の多くは、風雨で傷んだ部分の改修が行われている。その費用100%は国際連合ユネスコや海外の資金に頼っている。今回も海外からの資金援助の申し込みが数千億単位あるが、2016年の一年間で地震災害復興に使用された援助金は、たつたの90億円に過ぎない現状だ。

 ネパ-ル政府は、1990年からの民主化による国王退位や、新しい議会(下院議会)発足に新憲法制定など混乱期にある。とは言え、多くの犠牲者を出した災害復興は、政府や自治体の最優先課題・政策なのに、ほとんど進捗しない情況はなんなんだろうか。わたしには理解不能だ。

 2011年日本の東日本震災後の原子力発電破壊から、福島が復興しないのと同じに見える。日本の場合は、人間の作った悪魔の原発が、その本性を現しての災害で、旧ソビエトのチェリノブイリ原発事故と同様に、人間の手で元に戻せるものでない。チェリノブイリ同様に福島一部地域は半永久に住民を寄せ付けないだろう。そして、日本政府の国民向けのはかない希望に反して、破壊された福島原発は永久棺に閉じ込められるのだろう。

ネパ-ルの大地震から日本の福島原発まで、話が横道を歩き出してしまった。元に戻ろう。

 

地震前と後のバクタプル旧王宮

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撮影禁止の黄金門内部もつっかえ棒

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