ネパ-ルの王宮と寺院(神院) 第二回目
王宮の一回目
ネパ-ル語でダルバ-ルは宮廷のこと。王旧には広場がある。王宮広場をネパ-ル語でダルバ-ル・スクエア-。
王宮広場内には、必ずと云うほど数々のヒンドゥ-教寺院が隣接して建築されている。
カトマンドゥ盆地内のマッラ王朝の国王時代は、13世紀から始まった。13世紀からのバドガオン国王から1450年頃、現在のカトマンドゥ市内ダルバ-ル・スクエア-にカトマンドゥ国王が独立する。次いで、1619年、カトマンドゥ王からパタン国王が独立し、カトマンドゥ盆地三国時代となる。カトマンドゥエリアにはネパ-ル系ネパ-ル人のネワ-ル族が多く住み、三国時代はネワ-ル文化花盛りの時代でもあった。(ヒンドウ-教の教義カ-ストの最高位カ-ストは、ネワ-ル族とインド系ネパ-ル人のブラ-マン族の二族)
ネワ-ル族文化を築いた時代
ネワ-ル文化は、王宮や寺院などの建築様式から始まり、仏像制作に始まって、金銀細工などの工芸品等々、ネパ-ルのあらゆる先進文化を築いた。カトマンドゥ盆地三国時代とネワ-ル文化が丁度時代的な重なりを見て、現在でもネパ-ルの文化遺産であり、国際連合ユネスコの世界文化遺産登録されている。
現在でも、ネワ-ル族の建築した文化財の修理修復作業は、全てネワ-ル族が携わっている。
カトマンドゥ市の隣のパタン市には、ネワ-ル族の名前がシャキャと呼ばれる一族が仏像を制作してる。また、ネパ-ルの生き神様と呼ばれ、額に第三の眼を持つクマリは、シャキャ一族の幼い少女が選ばれる。
王宮の一回目 古都バクタプル王宮
バクタプルはカトマンドゥ市から東南に12km。初代国王の宮殿がある。バクタプルは別名バドガオン。
バドガオンは「信仰の町」「帰依者の町」の意味。
初代の国王なので、一応カトマンドゥ盆地全域を支配していた。カトマンドゥ以外にもネパ-ル全土には、多くの自治地域として地方国王が居た。
1950年にネパ-ルが鎖国から開国した時点で、外国人がネパ-ルの調査をした。その時のネパ-ル国家予算は、現在の旧王宮に住んでいたシャハ王朝の末裔トリブバン国王の家計簿が国家予算だったと報告されている。国の財務を司どる財務省などなく、家計簿担当が居るだけだったのだろうか。ゆえに、各々地方ちほうで、税が徴収されていたのだろうか。
今でもわたしにとっては、ネパ-ルが不思議の国だが、ネパ-ルの歴史も、わたしには不思議な国としか思えない。
文化遺産としての実際の世界文化遺産は旧王宮広場とレンガ道路伝いに200m南側の寺院群と800m東方面にある寺院群の総称。
旧王宮には「55窓の宮殿」の美しい彫刻が施された窓が並び、55窓の内側は王の寝所となっていた。
カトマンドゥ盆地の3国王が戦争で敗れる。この3王国、バクタプルから分家みたいにして築かれたものだから、武力の蓄えもなく他の国から仕掛けられた戦争で、アッという間の敗戦。
1769年カトマンドゥから西に90kmのゴルカの王ブリトゥビ・ナラヤン・シャハが、バクタプル・カトマンドゥ・パタンを攻め戦勝し、シャハ王朝時代を築く。このシャハ王、ネパ-ルを統一する最初の王様。
この時の3王が敗れた戦争、カトマンドゥとパタンの王様はバクタプル王の住む王宮内の黄金の門に逃げ入つたと伝えられている。
バクタプ-ル入口門
左からゴ-ルデンゲ-トと55窓宮殿 ブパティンドラ マッラ王像右にパシュパティ-寺院
王宮と黄金の門 白い建物の裏に王様の部屋がある(写真撮影禁止になっている)
黄金の門と王宮55窓の宮殿
現在の黄金の門と前にあるランジット マッラ王像
現在の写真 黄金の門の前にあるランジット マッラ王像
1950年代に撮られた写真 黄金の門の前にあるランジット マッラ王像
「ネパ-ル」トニ-・ハ-ゲン
1950年代に撮られた写真 バクタプル・スン ドカ(黄金の門)
スン ドカ(黄金の門)は、1756年ランジット マッラ王によって着工された
王宮の門でネワ-ル族の金細工最高芸術品
現在の黄金の門