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ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルの雪崩 その4 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第3回目

ネパ-ルの雪崩 その四 アンナプルナⅠ峰の雪崩 第三回目

 前回はネパ-ルヒマラヤのアンナプルナⅠ峰の雪崩、1950年フランス隊、1970年イギリス隊、1987年群馬岳連隊について見てみた。

 今回は、私が参加した1991年ポストモンス-ン季の、アンナプルナⅠ峰8091m北面アタック中に起きた雪崩について見てみたい。(前々回に、ポストモンス-ンと書いたつもりがプレモンス-ンと間違って書いていた)

 

ネパ-ルの雨季モンス-ン季節

 ネパ-ルの雨季にあたるモンス-ン季節は5月中ごろから9月20日前後まで続く。雨季と云っても一日中雨が降っているのではなく、私が雨期の期間にネパ-ルで生活しての体験では、早朝や夜間にも降ったことがあるが、ほぼ午後2時~3時頃から降り始め、2時間程度猛烈に降る。雨の量が多いから、降っている場所の気流は下降気流で、そのために雷も強烈に鳴り響くことになる。雷はピカ・ドドドォンと激しく落ちる。雲の動きを見ていると、厚い雲が移動して、雨の範囲も移動しているのが分かる。

 雨季に入る日や雨期明けは、インドの気象協会が発表し、ネパ-ルの人達がそのインドの広報で知ることになる。雨の時期は自然現象なので、相当日数がずれる年があって、雨期明けが10月10日近くになったこともある。最近は雨季が終わるのが判る様になった。たいていは2日間くらいどしゃ降りの雨が続いて、その後に晴天になるので雨期明けが身近に分かる。

 

雨期明け前のBC入り 寒気のジエット気流前に頂上アタック

 1991年のアンナプルナ登山は、雨期明け前の9月初めからキャラバンを開始して、ベ-スキャンプ入りした。普通のヒマラヤ登山のタクティクスは、寒さが厳しくなる前に頂上アタック日を設定する。8千m峰の頂上付近は、ポストモンス-ンから冬季に入る時期に徐々に寒気が入り込んで、寒さが厳しくなってアタックできなくなる。11月に入ると冬のジェットストリ-ムと云われる極寒気帯が7千m以上に入り込む。

 ヒマラヤの高峰登山では「タクティクス」と云われる言葉が、作戦・計画・対策に使われる。このタクティクスの言語、戦争時に使われる戦争作戦のこと。

 

キャラバンや登山日数が少ないアンナプルナⅠ峰

 世界に14座ある8千m峰で、なぜアンナプルナⅠ峰を目指したのか。これはただ一つ、私達の8千m峰を目指すために集まった仲間の全員が勤労者のため。職場の休暇の範囲で登頂を目指せる山の選定が行われた。

私の場合は最高の日数の有給休暇は、40日間+土曜・日曜日・祝日を加えて60日間。

 ネパ-ルの首都カトマンドゥから山のBCまでのキヤラバン日数が少ない山、それがアンナプルナⅠ峰だった。カトマンドゥから山のBCまでのキヤラバン日数は、10日間を要する。私はとてもこの日数では参加できず、山の近くまでフライトして5日間の短日数キャラバンでの入山となった。

 

ネパ-ルに到着前に、国際線飛行機事故

アンナプルナⅠ峰では雪崩事故に遭遇することになる。

 私は、職場の休暇日数がギリギリで、先発隊で出発できず後発隊となった。ところがこの後発隊は、フイリピンのマニラ空港着陸時に乗っていた飛行機がオ-バ-ラン事故を起こした。

 アンナプルナⅠ峰北海道隊は11名の隊員。往復の飛行機代金を節約するため、格安航空のエジプト航空会社便で、成田発マニラ経由でタイのバンコク着フライトとした。ところが、フイリピンのマニラ空港で給油と搭乗客の追加のために着陸態勢を取った時だった。急ブレ-キをかけるではないか。北海道の冬道のブレ-キと同じで、ポンピング・ブレ-キ。普通は徐々にスピ-ドを緩めるのに、グゥ-ググっと前のめりになるほど、そしてだ、こんどは急ハンドルで機体が横滑りするほどの勢いで回った。

機内では「火を使わないで下さい」のアナウンス。

機から降りてみてびっくり。機体の前輪が草地にめり込んでいた。

こうして、マニラのホテルで二泊、余計な日にちを取られてしまった。

 

後発隊の皆から三日遅れのBC入り いつものこと高度順応遅れ

韓国隊が雪崩死亡事故でBCから引き上げに出会う

ネパ-ルの首都カトマンドゥからアンナプルナヒマ-ルの玄関口ポカラまでバス移動。 そして先発隊はここから一週間のキャラバンを。私達後発隊は身軽で、ここからジョムソンまでフライト。

その日のうちに徒歩でレテ村のマナステロッジ着。

 私はここからが登山の最初の困難な高度順応になる。いつものことだが、4千m越えの順応が皆より遅れる。

 二人のロ-カルポ-タ-を引き連れて、二泊三日のキャラバンを始めると、約50人のポ-タ-が皆空身で後から追い付いてきた。アンナプルナⅠ峰で事故があったことを知る。

大勢のポ-タ-と一緒にBC入りして、先発隊のみんなとようやく合流することができた。

 BCのコックに、二人のポ-タ-に食事を食べさせる指示し、賃金を支払いながら事故の様子を聞く。

 北海道隊よりも先にBC入りして、クライミング中の韓国隊がキャンプ3設営後、キャンプ4へル-トメイキングしている最中に雪崩発生。先頭のネパ-ルメンバ-高所ガイド頭のサ-ダ-一人だけが無事。残りのネパ-ルメンバ-4人と韓国隊員2人の合計6人が雪崩で行方不明。

 既にベ-スキャンプで仮葬儀が済まされていた。北海道隊のメンバ-も参列してしめやかに行われたとのこと。

 

アンナプルナⅠ峰 8091m

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キャラバン ロ-カルポ-タ-達

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アンナプルナⅠ峰 北海道隊ベ-スキャンプ風景

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プジャ ベ-スキャンプで行われる安全祈願

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ベ-スキャンプにネパ-ル・北海道の旗

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韓国隊6名死亡の雪崩後の雪煙

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アンナプルナⅠ峰北面で遭難死した人達の墓標

右下には日本人遭難死の名前

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