koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのお祭り その3

ネパ-ルのお祭り その三回目

前回の一回目は女性のお祭りティ-ジュ祭、二回目はお祭りでの各家庭のプジャのティカ儀式を写真で見た。

三回目はネパ-ル全国で行われるダサイン大祭を写真で見てみる。

 

ダサイン大祭 Dasain

ネパ-ルで最大のお祭り。

 ヒンドゥ-教のお祭りだったが、現在ではネパ-ル人全員のお祭りとしてヒンドゥ-教徒以外の他の宗教徒にも広がっている。

 私がネパ-ル暮らしをしていて、市民や友人から聞くと2週間続くと云う人と10日間の人がいる。確かなのは後半の7日間は官公庁が休日となり、商店やレストランが一斉に店を閉めてシャッタ-を下ろす。国中の働いている従業員が皆故郷へ帰るのである。

どこへも行く予定のない人は、事前に一週間分の食料を買いだめしなければならない。

 

10日間を説明。

 初めの日は麦のから付きを買い求め、器にすなを入れて麦を蒔く。毎日水を入れて発芽させ、最終日に10cm~20cmに伸びた、黄色のモヤシの様なのを髪飾りとして髪に刺す。この黄色の麦芽はドゥルガ-女神の恵み。

 7日目は旧王宮や街中のトゥンディ広場に、大統領などが出席して神に祈り国軍兵士による悪魔祓い儀式が行われる。私はネパ-ル王の時代に、国王列席のトゥンディ広場での儀式に参加したことがある。

 9日目、生け贄としてニワトリやヤギ・水牛などを屠り、神に捧げた後家族が揃って肉の多い食事となる。戦いの神ドゥルガ-女神にヤギや水牛を捧げるのが、街中で見られる。友人の家でもニワトリを生け贄として、その血を自家用車の車輪にかけて祈りをささげる様子が見れた

 10日目、勝利の女神ドウルガ-神のお祭りらしく、戦いの勝利の日として、親戚一同の最長老からの祝福のティカ儀式を行う。実際には長老は親戚一同の代表者にティカを行い、その後は男女入り乱れて楽しくティカを付け合う。なぜか、最長老だけはティカを受けない、その理由は分からない。

 

ライ族の友人からダサイン大祭のプジャにご招待され

ティカの儀式を書いてみる

 ネパ-ルのダサイン大祭が10月1日から始まった。8日目から本格的な行事が繰り広げられる。日本のお正月とお盆が一緒にくるみたいなもの。その中でも最重要な日、ティカの日が10日目。田舎のある人は田舎に帰り、カトマンドゥから外に出ている人は帰って来る。

友人の家には、私と友人のお兄さん夫婦、妹一家と友人の家族3名の総勢9名が集う。

 ティカの儀式のティカはヒンデゥ-教徒が額を赤くしているのを見かける、あれである。9年もネパ-ルて過ごしている私にも知らないことが多くある。赤いのがティカとばかり思っていたが、じつは白も良いのだそうだ。この日は米を炊いたご飯に赤色を付けて、それを額に付(着)けるのだけれど、赤色を付けなくとも良いのだそうだ。友人の説明では要するに好みの問題。モンゴロイド系が昔、いろを付けずにごはんをそのまま額に付けていたのだそうだ。友人親戚一同は色を付けずに行っていた。

 では誰が誰に付けるのか。これも誰でも良いのた。ただし異性でなければならない。男が女性に、女が男性にだ。この日は一番の長老が誰か、から始まった。一番の長老が付ける側に回り、自分は付けてもらわないのだ。勿論私が最年長だから付けまくるだけの係になるはずだが、そこは家族や親戚一同の輪を乱す訳にはいかない。私が自ら願い出て辞退するしかない。友人のお兄さんが付ける側以外は、男女入り乱れてのティカの儀式が始まった。

 まず女性二人が儀式用のカ-ペットに胡座をかいて坐り、男性がごはんのティカを額に付ける。その後にご祝儀が渡される。封筒に幾らかRSルピ-が入ったものを手渡す。儀式だから両手で封筒を持ち、拝みながら渡す。渡される側も丁寧にお辞儀をしながら額の前で受け取る。このご祝儀はティハ-ルのお祭りのとは逆になっていた。ティハ-ル祭の時には年下の女性が歳上の男性にティカを付けるだけの儀式で、付けてもらった男が年下の女性の足元に頭を垂れて祝儀を渡すのである。今日は最後にティカにした米を頭の上からぽろぽろと拝みながらかける。かけられる側も神妙にである。

 これらのことが入り乱れながら、それも楽しそうに顔は常に笑顔だ。写真を撮っても良いかと聞いたが、初めから皆お互いに写真を取り合いながらなのだ。楽しそうに顔は常に笑顔なのはお祭りなのであたりまえ。ティハ-ルのティカの儀式の時に、私もテイカを付けてもらったことがあるが、その時のティカの色も違うしやり方も異なった。ダサイン大祭は楽しいお祭りなのだ。

 ここで、友人一家は4人家族で、オ-ストラリアのサロジャさんをスマ-トホ-ンで呼び出してのティカの儀式も始まった。オ-ストラリアでは儀式用の麦の芽の植物も買いそろえて行っていた。夫と二人の儀式。私とサロジャ・スェタ-姉妹とは9年も付き合っているので、スマ-トホ-ンで私の顔を見て、なぜティカが付いていないのか不思議だと応答がある。この二人の姉妹は、9年前には母親が経営するレストランでモモ(ギョウザ)作りを小さな子供二人が手伝っていた。

 儀式が無事終了し、宴会だ。これが男尊女卑の典型で、男だけが飲み食いする。男の飲み食いが終わって、初めて女性が食べるのだ。ヒンデゥ-だからなおさらなのだ。日本人の私には理解ができない。

 

宴会はトンバのお酒から

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お酒の後はダルバ-トの食事

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お父さんから娘と甥へティカの儀式とお年玉

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ダサイン大祭 カトマンドゥ旧王宮にお参り

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ダサイン大祭には生き神様クマリが練り歩く

カトマンドゥ旧王宮のクマリの住む館 クマリの館

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ロイヤル・クマリを載せて練り歩く山車

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カトマンドゥ市内の三人のクマリ地域

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キラガル・クマリ

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生き神様のキラガル・クマリ一家が参拝に

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